架空の庭 [2003.01.19]  
日記 セレクション

しみ

「感情」って不思議だ。みんな、感情というものは、自然に備わってると思っている。だから、きっと、「感情」は人間だけにあるものではなくて、意識のもっと深い層から生じるものであろう
無意識層の、より深いところから、人間の意識を超えたところから、生じるのであろう。

とすれば、つまり、木や動物や石や、その他の「もの」全てに感情があるのではなかろうか?つまり、海、大地、植物、といった森羅万象に、感情があると考えるのだ。その感情は、「かなしみ」だ。いとしさとか愛とかを含んだ大いなる「かなしみ」。これが、自然(人間も含む)の感情なのだ。

この「かなしみ」の感情は、「もの」全ての無意識の深い部分の根底に横たわっている、皆が感じている(持っている?)感情(或は、感情のみなもととなるもの)である。

「かなしみ」とは、生まれてしまったかなしみ、そこに存在するかなしみ。それは「母なるもの」からの別離から生まれるものなのかもしれない。そして、生きる為に、「いのち」を犠牲にしなくてはならないかなしみ。「生きる」とは、いつも、何かを犠牲にすることである。

「かなしみ」とは、「悲しい」ではない。「哀しい」に近い。「あはれ」の感情なのだ。をぉ、これは、ひょっとして、日本人の「わび」「さび」に通じるものかもしれない。ものの「あはれ」。これこそ、全てのものの意識(無意識)の根底にある共通の感情、いや、感情の源となるものなのかもしれない。

[1999.10.01 Yoshimoto]
 
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