架空の庭 [2003.01.19]  
日記 セレクション

野と神話

先日、友人C子が、出雲大社に旅行に出かけた。実は、出雲大社は、わたしも一度は行ってみたいところなので、とても羨ましい。大学時代から、行ってみたいと思っているのだけど、まだ実現していないのだ。

なぜ、出雲大社に行ってみたいのか。
それは、大学時代に、熊野信仰に凝っていたからである。別に本当に信仰していたわけではない。ただ、「熊野信仰」とはどういったものであるのか、を研究していただけなのであるが。

熊野、といえば、和歌山県と思われるかもしれない。でも、実は出雲にも熊野という地名はある。他にも何個かあるらしい。
だから、恐らく、「クマノ」とは、固有名詞ではなく「神の地」という意味の固有名詞なのではないかと思っているのだ。
つまり、クマ、とはカミ、の意ではないかと。クム、とかカムイとか、カミに音が近い言葉でカミを表す言葉は他にもある。北海道かどこか、いや、韓国だったかな、動物の熊が神様としてあがめられている地域があるらしい。そのクマも、熊の前には、まず「クマ」という言葉があってその後に、動物の熊も神格化されるようになったのではないだろうか。クマが先か、動物の熊にクマと名がついたのが先かは、よくわからない問題ではあるが。神格化されたから、クマとつけられたのかもしれないし。そういえば、オオカミだって、そうだ。

音が似ているため、同一化される例に、こんなのもある。出雲大社の神様、「大国主命」も大黒様と音が似ているため、習合されて、大黒様も出雲大社の神様になっているそうだ。

で、クマノに話を戻すと、クマノ信仰、すなわち、神の地信仰とは、大和朝廷が日本を統一する前に、日本で信仰されてた信仰なのではないか、と思うのだ。
そして、その信仰には、御柱信仰も含まれてるのではないかと思う。

そういう古い信仰ってすごい興味があるのだ。それは、どういう心理なのかとちょっと考えてみると、多分、昔の日本人の観念が知りたいのではないか、と。昔の日本人が何を怖れ、何を崇めていたかを知れば、何を考えていたのかそういうことがちょっとわかるのじゃないかと思うのだ。昔の日本人といっても多分そんなに変ってないのではないかと。大本は。

でも、クマノ信仰の中には、海の彼方に神の国がある、という考え方があって、それは、恵比寿さんにも通じるかも、と思う。
恵比寿さんは、七福神の一人だけど、七福神中、唯一の日本古来の神様だそうだ。他の、大黒天、弁財天、毘沙門天は印度の神様が由来で、福禄寿、布袋、ともう一人名前忘れたんだけど、その3人は、中国の神様なのだ。布袋は、実在の禅僧だそうだ。福禄寿か、もうひとりは、道教の神様、らしい。よくは知らない。
えびす、という言葉は、「よそもの」という意味みたいで、もとは、漁村の神様のようだ。だから、釣り竿と鯛を持ってるんである。で、漁村で、よそもの、ということは、やっぱり、どうしても海からやってきた人をイメージしてしまう。ということは、そこから、昔の日本人の中には、海の向こうに神の国があると考える人がいてもいいのでは、と思ったりする。事実、海の向こうに神の国がある、というイメージは、ウェールズの神話にもある。ウェールズというか、ケルト神話だ。あの辺の神話って、非常に面白いので、わたしはとても好きである。ク・ホリン(ク・フーリンともいう)とか。ダーナ神話とか。

というわけで、わたしは、古代の人々の観念を探るのが大好きである。勿論、現代の人々のも興味津津。ということは、わたしは、時代を問わず、人間の観念を探るのが好きなのである。

[1999.04.16 Yoshimoto]
 
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