架空の庭 [2003.01.19]  
日記 セレクション

マドンナ 〜アルバム「レイオブライト」感想〜

『レイオブライト』マドンナを聞く。
内容についての事前の情報では、エレクトリカルポップという風にあったのだけど、聞いてみると確かにそれ風。ポップな感じで、エレクトリカルな感じ。(そのままやんけ)でも、テクノとまではいかない、が、そこへ通じるものはある。
一言で言えば、今までの親しみのあるマドンナサウンドと、それとは違うちょっと新しいサウンドの融合した音、という感じだ。
それを耳で感じ取って、後からCDの中に入ってた紙(なんていうの、あの紙?)を読んで納得。今回のCDのプロデューサというのが、いつもマドンナをプロデュースしてる旧知の仲のプロデューサと、オービットっていう今回初めて組む全く新しい人だったのだ。
CDを聞いた時に感じた、ポップな感じは、今までのマドンナのイメージと一緒なので、多分そのいつものプロデューサによって生み出された感覚なのだ。そして、もうひとつのエレクトリカルな感じ。この感じは、わたしが個人的に思うには、ケン・イシイ等に見られるインテリジェントなテクノに通じるものがある。この感じが、オービットという今回初めて組むひとによって生み出された感覚なのだ。そして、わたしが今回のマドンナのアルバムに魅力を感じたのは、間違いなくこのインテリジェントで未来的なエレクトリカルな感じのほうだ。この未来的でインテリジェントなサウンドというのは、これからのわたしのイチオシなんだけど。

内容だけじゃなく、アルバムのカバー写真もすごく気に入ってるのだ。これまでのアルバムの表紙の写真では、マドンナの唇って、真っ赤で肉感的な感じを強調する唇だった。自分のくちびるより厚めに塗ってたからね。でも、今回の『Ray Of Right』では真っ赤じゃないのだ。唇が強調されていないのだ。しかも、アルバムの裏表紙の写真は、彼女の背中なのだ。その背中には、セクシーさとかそういうメッセージは何もこめられてない。そこにあるのは、肉とか欲とかそういうこととはかけ離れたイメージだ。

以上のことから感じるこのアルバムのコンセプトは、肉体的快楽よりも精神的なもの、内面的なものということを重視しているってことだ。歌詞は、多少陳腐かな・・・・等と思ったりするけど、全体的に、知的で内面重視な傾向である。「シャンティ」という曲なんてそのものずばりのイメージだしね。

そういうわけで、今回のマドンナのアルバムは、個人的に好みの作品です。

ところで、久久に、マドンナのアルバムを聞いていて、思ったこと。
それは、「マドンナの作品」というのは、音楽とかアルバムとかそういったものでなくて、「マドンナ」という存在そのものなのだなあ、ということだ。

マドンナのアルバムは、その時代の流行ってるものを先取りして作られてる。だから、その時代においての最先端、「カッコイイ」もので作られてる。逆に言えば、マドンナ独自の音楽性というのは、あまりないのだ。マドンナでなければできない音楽というものではないのだ。でも、創ってみると、マドンナのアルバムになってしまう。マドンナの音楽は、変動的だと思う。

マドンナの個性は、その音楽性にあるのじゃないのだ。
つまり、マドンナが創っているのは、「マドンナ」という商品なのだ。あのルックスも言動もスキャンダルもすべて、その「マドンナ」という商品を構成している要素なのだ。
その時代時代のトレンディなものを組み合わせて「マドンナ」を表現してるのだ。マドンナは、ださくてはいけないのだ。常にかっこよくなくてはいけないのだ。
マドンナ音楽というものはない。そこに表現されてるのは、その時々のマドンナの存在なのだ。
(でもよく考えるとこれはどのアーティストにもいえることなのかもしれないが…)

[1998.02.24 Yoshimoto]
 
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