二月ばかり月のあかき夜、二条院にて人々あまたゐあかして物語などし侍りけるに
内侍周防よりふして枕をがなとしのびやかに言ふを聞きて
大納言忠家、これを枕にとてかひなを御簾の下よりさし入れて侍りければ詠み侍りける

春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ

(周防内侍:千載集・雑上961)

《詞書》
二月ごろの月の明るい夜、二条院(後冷泉天皇中宮章子内親王)のもとで人々が夜明かしして話などをしていた時
周防内侍が物に寄り臥して「枕が欲しいものです」とそっと言うのを聞いて
大納言忠家が「これを枕にしなさい」と御簾の下から腕を差し入れてきたので、詠んだのである

《歌》
短い春の夜の夢のような、はかない戯れの手枕をしていただいたためにつまらなく立つ浮名が口惜しゅうございます

<周防内侍>
平安後期の女流歌人・周防守平棟仲の女(むすめ)・本名仲子
後冷泉天皇に出仕、以後、白河・堀河両天皇にも仕えた
この歌は百人一首にも採られており、有名である

内のおほいまうち君の家にて人々酒たうべて歌よみ侍りけるに
遥かに山の桜を望むといふ心をよめる

高砂の尾上の桜咲きにけり外山の霞立たずもあらなむ

(権中納言匡房:後拾遺集・春上120)

《詞書》
内大臣(藤原師通)の邸宅で人々が酒を飲み、歌会を催した際に「遥かに山の桜を望む」という題で詠んだ

《歌》
はるか遠くの高い山の峰の桜が咲いたなぁ
桜が見えなくなるから里山の霞よ、どうか立たないでおくれ

<権中納言(大江)匡房>
従四位上信濃守大学頭成衡の息子
白河院の近臣として重用され、儒家出身ながら正二位権中納言に至る
この歌は百人一首に採られている

桜の花の散るを詠める

久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ

(紀友則:古今集巻二・春下84)

陽の光ものどかなこの春の日だというのに、どうして桜の花はあわただしく散ってゆくのであろうか

<紀友則>
古今時代を代表する歌人。他にも優れた歌をたくさん残した
が、百人一首に採られたことによって、現在では恐らく友則の歌の中でこの歌が一番有名であろう

渚の院にて桜を見て詠める

世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

(在原業平:古今集巻一・春上)

世の中に、もしまったく桜というものがなければ、春の心はどんなにのどかであることだろう

<在原業平>
平城天皇の皇子阿保親王の五男、母は桓武天皇の皇女伊登内親王
はっきりとは書かれていないが「伊勢物語」の主人公とされている

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