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Somekawa & vafirs

『時をかける新幹線』

湯口哲也

最近、金沢を紹介するテレビ番組を多く目にするようになった。
名古屋でテレビを見ていると、以前、ロブロイを訪れた時に散策した場所が映し出されたりして、ついつい見入ってしまう。

言うまでもなく、3月14日に金沢ー東京間が開業した北陸新幹線の影響だ。

何気なく金沢に遊びに行った事を思い出す機会が増えたと思ったら、マスターより「ロブロイストの日々」への原稿依頼があった。
これも何かの繋がりと引き受けて文章を考え始めたものの、締め切りも近く気の利いたテーマが思いつかない。
仕方がない。
安直だけど、今回は時事ネタに乗っかって新幹線がテーマだ。

ロブロイストの皆さんは、生まれて初めて新幹線に乗った時の事を覚えているだろうか?
私の初新幹線の記憶。
昭和40年代に時代を遡って、3度目の「ロブロイストの日々」を始めよう。

私が4歳ごろの我が家は父母に子一人のアパート暮らし。
アパートにはお風呂がないので、夕方になると銭湯に通っていた。
物心がついたばかりの銭湯の思い出は、洗い場で体を洗っていたり湯船につかっていると、時々、ゴォーーーッと、とんでもない大きな音が響き、銭湯の建物全体が揺れていた事だ。
何とその銭湯は、東海道新幹線のガード下にあり、列車が通過するたびに轟音に包まれていたのだ。 (場所は名古屋市熱田区六番町。後に新幹線の騒音訴訟で有名なった場所)
自分の初新幹線は列車の中ではなく、列車の下からなのだ。

近くのスーパーの屋上から、銭湯の上を走る列車を眺めながら、「いつかひかり号に乗って東京に遊びに行こうね」と言う母の言葉を聞いて、幼ごころに楽しみにしていたが、我が家にはそのような余裕などなく、新幹線のシートに座って初体験をするのは数年後であった。

父はひたむきに働き、私が保育園に上がるころには、部屋は3つしかないものの建売の一軒家に引っ越していた。
もちろん、お風呂はあり。(シャワーはなかったけど)
風呂なしアパートと轟音銭湯から卒業したころ、突然、東海道新幹線に乗る機会がやってきた。

母の弟、私の叔父が、ユーゴスラビアという当時の自分は聞いた事もない国に、大きな機械の組み立てのため1年間も仕事に行くという。
そのため、家族で羽田空港まで見送るために東京に出かける事となったのだ。

初めて新幹線に乗るだけでも大イベントなのに、これから外国に出かける叔父と一緒なのだ。
大興奮で、名古屋から東京に向かうひかり号の中では、ひとりずっと歌を歌っていた。

品川駅近くの旅館で一泊して、モノレールに乗って羽田空港へ。
コートの襟を立てて、飛行機のタラップを登る叔父に手を振って見送った時が最高のクライマックス。
初新幹線の思い出は、今も自分の記憶に鮮明に残っている。

我が家も苦しいながら成長し、叔父も日本から外国に仕事に行く。
まさに日本の高度経済成長と足並みを合わせていた時代だった。
自分にとっての新幹線の記憶は、元気な昭和の記憶でもあるのだ。

みなさんも、初めて新幹線に乗った時の事を思い出してみて欲しい。
自分自身や家族の歴史を思い出し、振り返るきっかけになるかも知れないので。

PS.
叔父がユーゴスラビアから帰ってきた時、お土産を買ってきてくれた。
オメガの腕時計。
叔父が現地で普段使いしていた時計を譲ってくれたのだ。
今、思い出すと恥ずかしいが、舶来の時計を腕にして親類に自慢して歩いていた。

昭和の大イベントを経て手に入れたオメガ時計。
その後も大切に使って、お出かけの時や、試験の時に身につける自分の勝負時計となった。

社会人になって就職した時、社内研修を受けるため神奈川県鎌倉の社員寮に向かう新幹線の中の自分の腕にも、もちろん、オメガの時計があった。
自分の人生で初めてとなる、試練・勝負に向かうために・・・。
To be continued.

<ロブロイストの日々>  毎・月始め更新いたします。