流れる雲によって月が見え隠れする夜。 ふっと目の前に現れたかと思えば、またすぐに闇に紛れる影。 こつこつと二人分の靴音が響く路地には、少し冷たい風が吹いている。 彼らが異変に気付いたのは、闇に浮かぶ大きな薔薇の木が見えてきた頃である。 「おい、。何か聞こえないか?」 「ん?」 声をかけられたという名の青年は、白線帽の下から流れる闇に溶け込みそうな長い漆黒の髪を鬱陶しそうに耳にかけると、 訝しげに耳を澄ました。どこか遠くで梟の鳴く声が聞こえ、それから・・・。 「・・・」 それから、別の声が聞こえ、はその男性とは思えないほど甘く美しく整った顔を、あからさまに歪めた。 「これは、なかなかそそる声だと思わないか?」 悪戯に笑って、もう片方の青年が言う。 「くだらない。行くぞ」 がすたすたと前を歩く。 もう片方の青年は、置いて行くなと言わんばかりの速度でを追いかけた。 「ぅお!?」 と、が突然立ち止まったので、青年は思いっきりにぶつかった。 「急に止まるなよ!」 「しっ」 は声を潜めて、青年の声を制した。 「、あれを見ろ・・・」 隣で、したたかにぶつけた鼻をさする青年−−−に向かってそう言うと、は薔薇の木の根元を指差した。 「・・・おい、あれは・・・」 指差された場所に目をやると、信じられない光景がの目に飛び込んできた。 校舎の中の薔薇の木の根元。そこには青年があられもない格好で横たわっている。 とは、互いの顔を見合わせた。 その青年が不自然に動いているところを見ると、彼らのいる角度からは見えないが、どうやら相手がいるようだ。 時々、陶酔しきったような甘い秘め声が聞こえてくる。 その青年には見覚えがあった。 が戸惑いがちにを見やると、表情なく、その切れ長の眼を細めてその光景を見ていた。 「小使いの彼だよ・・・な?」 確信とまでは言えない、少し自信のなさ気なの声。 「・・・そのようだな」 真っ直ぐにその情景を見つめたまま返ってくる、特に興味もなさそうなの返事。 だが、薔薇の木の根元に横たわる青年を、小使いだと肯定はしているようだ。 二人がそのような会話をしている最中もその青年は、不自然に身体を捩じらせているように見える。 「・・・まさか、あんなに綺麗だったとはな。お前と並んでも見劣りしないかも知れないぞ?」 時折聞こえる秘め声を聞きながら、隣にいるを意識すると、どことなく身体が熱くなるのを感じた。 それで、無意識にうっかり口から出てしまったの本音。 幼馴染のは、昔からそこいらの女よりもずっと綺麗だった。 幼い頃には、姉のお下がりの服なんぞを着せられていたこともよくあったため、の目には余計にそう映っていた。 長い黒髪は腰まであり、普段は緩く後ろで束ねているが、ひとたびその紐を解けば艶っぽさが更に増すことも、知っている。 血筋のどこかに異国の人がいて隔世遺伝したのか、 光の具合によりほんの少し青味を帯びる瞳も、長い前髪に隠れてはいるが妖艶な魅力的の一つである。 本人はそこに触れられるのが嫌で、前髪でほとんど顔を隠しているのだが。 「」 じろり。 その美しい瞳から、キツイ視線が自分に向けられたことに気付き、が慌てて言う。 「じょ、冗談だ。いちいち気にするなよ」 苦笑交じりに言うに、これ見よがしに深い溜息をつく。その目は笑っていない。 それは怒っているという意思表示。 「行くぞ」 くるりとに背を向け、寮に向かって歩き出す。 「待てよ。どうせなら、最後まで見ていこうぜ?」 「それなら、お前だけ見ていろ。俺は他人の情事に興味はない」 振り向きもせずに言うに、は余計に苦笑し、後に続いた。 より少しだけ背の低いの後姿は、マントと帽子さえなければ、女のそれそのものである。 こうして時折出向く夜の街では、正面からでもよく女と間違われる。 その度に、自分の彼氏と間違われるに八つ当たりをするのだ。 そんなに嫌なら、その長い髪を切って、いっそのこと坊主にでもしてしまえばいいと、は思うのだが、 はその長い髪を切るつもりは毛頭ないらしい。願掛けか何からしいが。 しかし坊主にしたところで、その美しい顔立ちは変わらないから、あまり意味はないかもしれない。 そう思い直し、は無意識にうむ、と声を出して納得した。 「どうした?」 背後で笑う気配がしたのだろう、が少し歩幅を狭くして速度を落とし、の横に並んだ。 「いやなに・・・、綺麗っていうのは褒め言葉だぞ? 素直に喜べ」 「俺がそんな女みたいな言われ方を好かないことは、お前はよく知っているだろう?」 忌々しげに言う。 確かに、は昔から美人だの、綺麗だのとよく言われていた。 しかし昔はそれに対し、ここまでの嫌悪感を抱いていなかったと、は記憶している。 がそのような言葉に過剰に反応するようになったのは、おそらくあの事件からだろう・・・。 は過去に起こった事件の回想に引き込まれそうになったが、 不意に聞こえてきたの冷めた声のお陰で、現実に引き戻されることになった。 「しかしあの小使いが、あのような場所で逢い引きするような男だったとは」 口元に冷えた笑みを貼り付かせる。 世の中はわからないものだ。と、言っているようだ。 「確かに、それは俺も驚いた。もう少しあっちのほうからだと、相手の顔も見れたのにな」 「ほぅ・・・お前、もしかして彼に興味があるのか?」 意外そうな顔をして、はを見た。 「いや、そういうわけでもない。ただ、理乙の土田っているだろう? 剣道部の・・」 「土田・・・ああ、彼なら知っているが、それがあの小使いと何の関係がある?」 「あいつがよく、あの小使いを構っているところを見るから、多少興味はあったんだが・・・まさか彼が・・・と思ってな」 がぼんやりと土田の顔を思い出しながら言う。背が高く、無口で瞳が優しい青年。 何度か口をきいたことがあったが、あんな場所であんな行為をする大胆な感じには見えなかった。 が、それに関してはあの小使いにも同じことが言える。 ・・・つくづく人間とはわからないものだ、とは勝手に納得した。 それから二人は寮の部屋に戻ると、何事もなかったかのように各々の布団に潜り込んだ。 しばらくして、いつものように規則的な寝息を立て始める。 一方は、先ほどの情景が頭にちらつき、なかなか寝付くことが出来なかった。 それから半月ほど経ったある日のこと。 休み時間の鐘が鳴る。場所は二年文甲の教室前。 廊下を掃除している小使いの耳に、聞きなれぬ怒鳴り声が聞こえてきた。 「もう一度言ってみろ!!」 見ると、教室の扉の前で、一人の青年が自分よりも背の高い青年の胸ぐらを掴んで怒鳴っている。 胸ぐらを掴まれている青年は下品な顔で見下ろす。 「へへ。何度でも言ってやるさ、フロイライン?」 「・・・!!」 怒りに引き攣った顔で、相手の襟を掴む手に力を込める青年。 長い前髪のせいで、その表情までは見えないが、揺れる髪の隙間から覗く頬は高潮しているように見える。 小使いは、その様子をはらはらしながら見守る。 「はーい、そこまで」 すると、どこからともなく明るい声が聞こえてくる。 「・・・」 声と共に、長身で薄茶色のくせ毛とくりっとした大きな目が印象的の青年が現れた。 明るい声とは裏腹に、何かをその瞳に含んだ神妙な顔付きだ。 「なんだ、。正義の味方気取りか?」 下品な男はにやにやとしながら、今度は止めに入った青年に向かって言う。 「よかったな、フロイライン? 王子様の助けてが入って。今度からはお姫様と呼んでやるよ」 「倉田・・・貴様!」 振り上げた拳を、に止められる。 「、離せ」 低く、抑えた声。 しかしそれより更に低く、少し怒ったような調子でがの耳元で囁く。 「やめとけ、」 一瞬、びくついたように肩を震わせたは、不機嫌そうに握り拳を解いた。 「倉田、お前もこれ以上を挑発するな」 「別に俺は挑発したつもりなんてないぜ。 姫があまりにも澄ました顔で本なんか読んでるから、ちょっとからかってみただけだ」 「・・・・、抑えろ」 再び拳を握り込み、わなわなと怒りに震えるに、が低く言う。 「不愉快だ」 そう吐き捨てて、左手で掴んでいた胸ぐらを力いっぱい押しのけて、は踵を返した。 小使いとすれ違う。 「あの・・・大丈夫ですか?」 遠慮がちに声をかけられ、が無愛想に振り返る。 「何が、だ」 「いえ、その、だいぶ揉めていたようでしたから・・・」 おずおずと言う小使いの青年に、無意識に怒りを覚える。 「・・・・・・・・・・ふっ、君のような淫乱色魔にいちいち心配される覚えはないよ」 冷笑の後、忌々しげに軽く舌打ちをすると、顔面蒼白になる小使いを尻目に、はすたすたと足早に去って行った。 「あー・・・今のは気にするな。虫の居所が、相当悪いんだ。安心しろよ、俺達は別に誰にも言わないから」 急に背後から声をかけられ、小使いはびくりと跳ねるように身体を震わせた。 「掃除ご苦労さん」 にこにこと話しかけてくる薄茶色の髪の青年。 確かさっきの髪の長い青年は、彼のことを、と呼んだか。 いや、そんなことよりも今、この青年は何と言っただろうか。 「あの・・・」 「ん?」 「あ・・・あの・・・っ」 “安心しろよ、俺達は別に誰にも言わないから”小使いの中で何度も繰り返している、の台詞。 しかし、にそれがわかるはずもなく、何か閃いた顔をして、自己紹介を始めた。 「ああ、俺? 俺は二年文甲、。さっきのはって言って、同室の幼馴染。 ごめんな、やつは昔から美人とか綺麗とか、女みたいに言われるのが大嫌いでさ、さっきの気にしないでやって」 小使いの心臓が、早鐘のようになっているとは知らず、爽やかに笑いながらが言う。 「は、はい。そ、それで・・・さっきの・・・誰にも言わないとは・・・一体・・・・」 恐る恐る聞いてくる小使いに、は一瞬きょとんとした表情をしたが、次の瞬間にそれは得意の悪戯好きな子供の表情に変わる。 「ふふん、見ちゃったんだよねーって、悪気はなかったんだけど。あの薔薇の・・」 そこまで言いかけた時、小使いは完全に顔色を失う。 「・・・え? あ、いや、その、誰にも言わないって・・あ・・」 持っていた箒をその場に置き去りにし、走り去る小使い。 そんなに恥かしいなら、あんなところであんな大胆なことするなよ・・・というの心の声など、 全速力で走り出した小使いに聞こえるはずもなかった。 <<<戻 次>>> |