【初恋ノ木ニ一夜ノ花咲ク】     ・・・ 2006.8.5


、おい、聞いているのか?」

ぐっと腰をかがめ、不思議そうに覗き込んでくる一対の青い宝石。
例の一件があってから、は少し明るくなった。
もともと人間的に問題になるほど暗かったわけではないが、
にとって、のこのような変化は、どこか心に微妙なわだかまりを与えていた。
あれほど長い間ずっと一緒の日々を送っていたのに、自分は彼をあのように変えることは出来なかったのだ。
言い知れぬ悔しさがの中に芽生える。

?」

「ん、あ・・・あぁ、すまん」

慌てて返事をすると、少々不機嫌そうに返された。

「お前の意識、一体どこに飛んでいた?」

お前に何がわかる。
そう言いたいのをぐっと堪え、は何食わぬ顔で返事をする。

「別に。で、なんだ?」

「あ・・・いや、その・・・」

自分から話しかけておきながら、は急に口篭る。
が訝しげな視線をよこした。

「恋愛の相談なら、する相手を間違えていると思うが?」

少々嫌味になる口調を、自分ではどうすることも出来ない。
ずっと愛しいと思い続けていた人に、別の相手のことについて相談されようものならば、誰でもそうなるだろう。
それも彼の相手は、長年憧れ続けていた作家なのだ。到底勝ち目はない。
わかってはいても嫉妬に焦がれるこの身を、は持て余すしかないのだ。

「いや、相談では・・・ないのだが」

視線を逸らしつつ、その少し朱に染まった頬を誤魔化すように咳払いを一つした。
相談ではない、ということは恋愛絡みの話というところは図星のようだ。

「で、なんだ?」

面白くないとは思いつつも、に非はない。・・・たぶん。は仕方なく、話題を戻してやった。
やれやれ、少しは俺の気持ちも察してくれと言いたい表情で。

「その・・・今日、付き合ってほしい場所がある」

付き合って欲しい場所?
が自らどこかへ誘ってくるとは、珍しいことである。
少し、この話題に興味が湧いてきた。

「どこ?」

「・・・・・・付き合ってくれるのか、くれないのか・・・っ」

・・・何故そこで怒られなければならないのか。が呆れながら思う。
そして、これは完全に照れている顔だ。
なんだかよくわからんが、とりあえず腹立たしいこと、この上ない。
しかし、このようなくだらないことで、喧嘩などしたくもない。
ふぅ・・・と、深い溜息。

「はいはい、わかったよ。付き合えばいいんだろ。どうせ用なんかないから、何時間でも付き合うさ」

「・・・そうか。すまない、恩に着る」

は言いたいことだけ言うと、今まさに始業の鐘がなったにも関わらず、さっさと席を立った。

「ん、サボタージュか?」

「いや・・・月村教授から呼び出しが・・・」

の目の色が変わる。

「なんだと?」

「心配するな。例の件の決着は既に付いている」

どことなく、神妙な顔の

「そういう問題じゃないだろ?」

「・・・しかし、行かなくてはまた何をされるかわからないだろう。
 それに、もしも彼が何か誤解していることがあるならば、一刻も早く解かなくてはまた後が面倒だ」

確かにその通りでは、ある。
だがしかし、あのような事があった上でを月村の部屋に行かせるわけにはいかない。
何をされるかわかったものではない。

「放っておけよ」

「いや、そうもいかない。それに、その・・・し・・水川抱月の態度を見る限り、
 月村教授が今、俺におかしなことをするようには思えないんだ。これは、その、俺の勘だが・・・」

繁・・・そう言いかけて、何故か『水川抱月』と言い直し、が言った。
ここ最近、繁は月村の話題をの前ではほとんどしない。
しかし、時折薔薇の木を覗くと仲良さげに話をしているところを目撃したりする。
何があったのかは知らないが、月村にも以前のような異様な空気は漂っていないように見える。
とはいえ、今の今まで−−−つい先ほど同じ教室の学生が、月村からの伝言を伝えてくるまで完全に避けていたわけだが。

「勘だと? お前、そんな根拠のない話・・」

「とにかく、危険じゃない。だから、無用な心配をするな」

の言葉を遮ると、すたすたと教室を出て行く。
他の学生達がその様子を見て、何やらひそひそと話し始める。

「おいおい、痴話喧嘩か〜?」

誰かが、冷やかし声で言ったが、の耳には届いていなかった。
どうにもこうにも、苛々する。
すぅーっと息を吸う。
そして・・・。

「心配するなと言われて、はいそうですか。と、しなくてすむなら楽なんだよ、この馬鹿がっ!!」

辺りがしんっと静まり返り、ようやく我に返ったは、目の前の人物を見て凍りついた。

「い、石川教授・・・・っ!?」

直後、耳を劈くような「立っとれ、この馬鹿者がーーーっ!!!!」という声が、
教室中をこだましたのは言うまでもない。












こうなってしまえば自棄だと言わんばかりに、教室からつまみ出されたは校舎を出た。
何もかも、あの男がを掻っ攫っていったせいだ。本当に頭にくる。
ずんずんと歩いていく。
このまま街にでも出てしまおうかと思った矢先に、との約束を思い出し足を止めた。
どこか手頃な暇つぶし場所はないだろうか、と辺りを見渡した時、どこかで見覚えのある男が校舎内を横切った。

「・・・・あれは・・・」

その男が見えた辺りまで戻ってきたは、そこで立ち止まる。
確かこの辺だったと思ったが。

「やぁ、くんだったかな?」

突然声をかけられ、は飛び上がった。

「おっと、これは驚かせてしまったかな? 失敬」

「・・・金子・・・」

金子光伸。理乙で、学年でも首席の秀才だ。
そして、例の件の被害者の一人・・・。
そういえばが、どこかの倉庫を隠れ家代わりに使っていると言っていた気がするが、なるほど、ここが例の倉庫か。

「俺に、何か用か?」

「あ、いや・・・」

少し気まずそうにしたを見て、金子はくすくすと笑いながら言う。

「そういえば・・・お前のお姫様は、よくあの薔薇の木の下で昼寝をしている異国人に奪われてしまったようだな」

はムッとして言い返す。

「俺とはただの幼馴染だ」

「へぇ・・・これは失敬。確かに、の方は完全にそう思っていたみたいだが、君はもっと別の感情を持っていたのかと思ってね」

「なんだと・・・っ!?」

なんという失礼な男なのか。

「立ち話もなんだ・・・入れよ」

口調が、普段とは全然違う。いや、確か土田と話す時もこのような調子だったかも知れない。
かなり裏表のある人間だ。
金子はそう言うと、倉庫の扉を開け、を招き入れる動作をした。
なんとなく釈然としないものを感じつつも、との約束の時間までの暇つぶしだと思うことにして、は金子の後に続き倉庫に入った。
中は使っていない道具が山積みにされていて、埃っぽかったが、その奥の一角はどこか居心地の良さそうな空間があった。

「大体、お前は・・・」

が、ふと思ったことを言いかけて、不意に口を閉じる。
これを聞けば、先ほどの彼の言葉を肯定することになるような気がしたからである。
しかし、金子は妙に鋭く、の言わんとしたことを見抜いたらしい。
口元が僅かに歪んだように見えた。

「俺が、と呼ぶ理由か?」

何故だろうか、その眼はまったく笑っていない。口元には薄い笑み浮かべているのに。

「・・・」

無言の肯定。気になるものは気になるのだから、仕方がない。
は、基本的に親しい相手にしか名前を呼ばせないのだ。

「一応、お許しは頂いているが?」

金子は何かを思い出すように、遠い瞳で言った。やはり、笑っていない。

「・・・確か、お前もあの事件の被害者だったな?」

が、少し遠慮がちに聞いてみる。
その件のことくらいでしか、とこの男の接点は今までなかったはずである。
は、あの時事件に直接関わりのあることしかに報告していない。
この倉庫で、とこの男の間にどのような会話があり、どのようなことがあったのかを、はほぼ知らないのだ。

「そういう君も被害者と言えば被害者だと思うが?」

「・・・」

嫌な返しをしてくる。は心の中で軽く舌打ちをした。
どうも、話しにくい相手だ。も気難しい方だと思っていたが、この男はもっと別の種類で扱いにくい。
が憮然とした顔で黙ると、何故か金子はふ、と破顔した。

「お互い、大事なものを奪われてしまったみたいだな」

・・・・・・・・・・・・・・。
驚いた。この男はこんな風に笑うことも出来るのだ。は思わずその笑顔に見惚れてしまった。
顔がいいのは、知っていた。とは・・・これまた別の種類だが、綺麗ではある。
なんでもかんでも比較対象がになってしまう自分に、半ば呆れながらも、はそう思った。

「どうかしたのか?」

「あ・・・いや、すまん」

まさかお前の笑顔に見惚れていたとも言えず、は言葉を濁す。

「女みたいな顔をしているくせに、芯が強くて頭の回転も速い。それでいて、どこか抜けていて単純で・・」

どこから出してきたのか、煙草を咥えて火を付けながら金子が話している。
病弱な優等生などとは、とんでもない話である。
そして気が付く。この男もまた、を愛してしまった可哀想な男の一人なのだと。

「昔からだ」

小さく言って、の幼い頃を思い出す。
今よりもずっと小さく、いつもいつも女の子に間違われていた幼少時代。
を守ることが、自分の役割だなどと本気で思い込んでいた。
それも、あの事件が終わるまで・・・いや、あの男に奪われるまでずっと。ほぼ無意識のうちに。
愛しいあまりに嫌われることを恐れ、何も言えず、何も出来ず・・・こんなに傍にいたのに。
悔しい、憎い、許し難い事実。
それはに対してではなく、自分の情けなさや、不甲斐なさに対して。

「俺はまだいい。・・・お前は・・・もっと辛かったのだろうな」

鼻で笑いながらも、その瞳は優しくを映している。
は思わず顔を背けた。

「何度も言うが、俺とは・・」

「ああ、ただの幼馴染だったな。失敬失敬」

「・・・・」

「ん、なんだ。気分でも害したか? 俺が気を遣ってやったのが気に入らなかったのか?」

「お前、腹の立つやつだな」

「それは、すまんな。どうもお前を見ていると、どこかあいつと似ていて、からかいたくなるらしい」

からからと笑いながら金子が言った。

「あいつ?」

「あぁ、すまん。土田だ」

「・・・俺と、土田が似ている? 俺はあんなに・・」

「そうだな、お前の方がずっと軟派な雰囲気だが・・・その不器用なところが似ている」

の言葉を遮って、金子は言った。
確かに金子はそう思っているのだろう。いつの間にか、二人称が「お前」になっている。

「ようするに、だ」

「?」

「どうも俺は、土田やお前のような相手とは、相性がいいらしい」

「・・・よくわからんが・・・」

意外に、よく喋る男である。
勝手に喋くって、勝手にまとめて、納得したように頷いている。

「わからないなら、わからなくてもいい」

そして、最終的にはこれだ。
もあれで結構自分勝手に物事を進めて、他人にはお構いなしな男だったが、この男はそれ以上かも知れない。
しかし、どうしてだろうか・・・は、少し考えるようなそぶりをして言った。

「相性云々はよくわからんが・・・俺も、お前とはどこか同じ匂いはする」

何しろ、同じ相手に惚れたという事実があるのだ。
そして叶わなかったというところも。
の考えていたことがわかったのか、金子は笑って言う。

「そうだな。もしかすると・・・土田ではなく、お前は俺と似ているのかも知れない」

不思議と嫌な感じはしなかった。
無意識に警戒していたのだろう、強張っていた身体の緊張が解けたようで、は倉庫の壁に背を預けた。

「吸うか?」

「・・・あぁ、すまん」

金子が差し出した煙草を、遠慮なく貰う。ごく自然な流れで、火を付けてもらった。
それから、ほんの少し語り合って、がわかったこと。
金子は確かに多少裏表の激しい男だが、考えなしに行動したりはしないこと。
口では結構嫌味なことを言うが、一応、本質的なところを見抜いた上で嫌味を込めているということ。
・・・それはつまり、が会話中に何度も自分の考えを読まれたこと、そして嫌味を言われたことに繋がるのだが。
それから・・・それから、に対しては結構本気で惚れたらしいこと。
最終的に、という男は、つくづく罪な男だ、ということで話は締め括られた。















薄暗い歩道。
隣に並んで歩いている、自分より少し背の高い幼馴染を、は見上げた。
どうも、様子がおかしい。機嫌が良いのか、悪いのか。
口数はいつもより少ないような気がするのだが、何かの拍子に口を開けば、口調はとても陽気だ。

「しかし、今川焼きねぇ」

が考え込んでいると、当の本人がやはりどこか陽気な声で話しかけてきた。
二人は店を出てきた直後だ。
どうやらは、一人で甘味を買いに行くことに抵抗があったらしい。
昔から、よくわからないところに拘る自尊心の持ち主だとは思っていたが、今回のこれもいい例である。

「そういうお前も買っていただろう? まぁ、お前は昔からそのようなものを好んでいたか・・・」

そう、実はの手にも、先ほど買った今川焼きの入った袋があった。
それも結構大量に買い込んでいたのだ。

「見てたら食べたくなったんだ」

「そんなに大量にか?」

「お前だって、それは二人分には思えないが?」

「これの中に俺の分は含まれていない。食うのは全てし・・・水川抱月だ」

何故、の前で素直に繁と呼ばないのかも謎だが、それも例のよくわからない自尊心だろう。
は苦笑した。ここまでくれば、もう、どうでもいい気がする。
が幸せならそれで良い。そう思って、初めて気付く。
こんな簡単なことに、何故今まで気が付かなかったのだろうか。

「あっそ」

わざと適当に返事をしてから、は昼間のことを思い出した。

「そういえば、月村は何だったんだ?」

「あ、ああ・・・いや、特にその、重要な用件ではなく・・・」

「あ?」

「いや、気にするな。本当に大した用ではなかったんだ」

あからさまに怪しい。
だが、の表情は険しいというよりも、照れているように見えた。
と、いうことは、おそらくあの男・・・水川抱月関係の話でもあったのだろうか。
月村と水川抱月は昔からの知り合いという話だったはずだ。
それならば、別に無理に問いただす必要はない。
それからたわいもない話をしながら寮の部屋に戻り、夕飯を済ませた。
が風呂から戻ったときには、の姿はなかった。
今川焼きの袋と共に。

「さて・・・どうしたものかな」

は自分の買った今川焼きの袋を見つめて、呟いた。



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