OBSERVATION AUTOGYRO

KAGO TYPE 1 - LEAF -

カ号観測機一型 (Fine Molds 1/72)

製作/2004年春

 

 

 

 

〜 石川県珠洲郡内浦町松波 〜 (地名は2004年春現在です。)

能登半島の先端から程近い、海に面する小さな町外れの丘に旧陸軍の航空隊が配置されたのは、

終戦まで残り3ヶ月足らずの昭和20年5月頃だったそうです。

能登地方出身の父(当時中学生)は、私が子供の頃から「内浦に日本軍の飛行場があった。」とか、

超がつくメカ音痴のくせに「オートジャイロ」などと通な単語を知ってたりで…今にして、この飛行機の

事だったのかと判った次第でして…え〜思わずプラモを製作してしまいました。(笑)

相変らず下手な模型の話の前に、帰省した際、当時を覚えていた人達に伺った話をば、少しだけ…

 

「みんなで見に行ったら、基地の中に入れてくれてね。オートジャイロに触らせてくれたな〜。」

「そうそう、触った所が布で出来ていて、てっきり、物が不足しているせいかと思った。」

「緑?銀色?…いや〜茶色っぽかったよねぇ?」

「う〜ん、さすがに色までは思い出せない…でも結構な数がずらっと並んでいて、壮観だったよ。」

「時々、訓練なのか、沖の方で爆弾を落として水柱が見えて、凄いと思った。」

「いや、富山湾の中までアメリカの潜水艦が来てたって聞いたね。」

「着陸の時とか電線を切るんじゃないかって、町の皆で冷々しながら見てたもんだ。」

「(部隊が来てから)すぐに終戦になって、その後は兵隊さん達と皆で魚をとったんだよ。」

「そうそう!さすがの兵隊さんも、ちょっとヤケクソだったかもね。」(笑)

(魚を「釣った」んじゃなく「とった」そうですが、その漁法は御想像にお任せします…)

「そのあと誰もいなくなったよ。本当にあっという間だったけど…代わりにアメリカ兵が来たっけな。」

 

とまぁ、それらは60年も前の事。今では父のように、当時まだ子供だったという人々も高齢となり、

御当地出身の方でも、既に知らない人も多いみたいです。

実質数十機という少量生産だったカ号観測機ですが、日本の航空史には確実に残るでしょうね。

現在、飛行場があった場所には中学校が建っているそうです。

 

  

 

 

 

…で、模型の話ですが、たまたま見つけて買った時も高いような?とは思ったのですが、どうやらコレって

初期とか限定とかのプロペラがメタルパーツのキットでして、せっかくだからバフ仕上げにしちゃいました。

それに合わせてローターも、最近流行り?のメッキ風塗料を試してみましたけど、メッキまでいかなくとも

バフ研磨レベルの光沢が簡単に出来て驚きましたよ。勿論、機体色も含めて全てフィクションですが。

デカールは、水につけただけでバラバラってのを初めて体験しました。(笑) 仕方なくストックキットから

日の丸を流用しました。 飛行機模型も数十年ぶりでしたけど、いきなりハイレベルな物を選んじゃった

のかな?って思うぐらい、あれこれ難儀したりで、ま〜これも修行ですね。地元ネタもありましたし、久々

に更新できそうってな感じで、そういう点では、いみじくも楽しげに作れたかもですね。(ばき)

 

 

(^^ゞ

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