唯我独走の品ゾロエと陳列ぶり、芸達者な書評っぷりで、知る人ぞ知るネット古本屋Honey Bee Brand。この“みつばち印”の店主、「本」にもまさって、ひたすら「食」に執着する「食魂」持ち。昼はアレ食ってニンマリ、夜はコレ食ってプチギレ。もう、「愛」と「憎」が入り乱れる「食魂」炸裂エッセイですから。
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スマイル\10,000

 今でもマクドナルドには「スマイル¥0」というメニューがあるのだろうか? マックへ行くと、いかに納得のいくものを食べるか、必死になってオーダーするので、確かめるのを忘れてしまう。
 スマイル¥0、この理念には全面的に賛成だ。笑顔はタダでできるサービスだもんね。笑わない接客業の人に会うと、なぜ笑わないのか、疑問に思う。タダなのに。タダなのになのになのに(エコー)。
 飲食店でそう思う機会は大変多い。中でもひどかったのは、或るイタリア料理店。恐らくシェフが夫で、サービス係(ウェイトレス)が妻なのだろう。どちらもニコリともしない。能面のようだった。まるで笑えば預金が減るとでも言いたげな態度である。この店ではスマイルはタダではなく、メニューにもないのだ。一度だけ行って、嫌な思いをした。感じが悪くても、食べたいレベルというのは世の中にあるだろうが、そこまでには達していない。感じが悪いから二度と行かないレベル。
 ランチが確か、春キャベツのパスタで、キャベツの入ったペペロンチーノ風だった。キャベツだけでおいしく作るのは偉い。でも、リーズナブルではない。「ウチはディナーがメインです。ランチは少し劣りますが、多少お安く、ウチのシェフの腕を味わっていただけます」というのは、もう古いと思う。思いませんか? 「ランチには、おいしいものを安く食べて欲しいんだぜ! イェー!」っていうのが、ほんとでしょ? それが商いの道だと思う。「さぁ、どうですかー? 今日もがんばりました! ハイッ!」という、裂帛の気合いに出会って初めて、お客はおいしいと思い、「お金のある時は夜に来たいな」と自然に思うのである。ランチの内容にも、店の理念が現れている。そう、だからあの店には笑顔がないのだ。
 ところで、そのイタメシ屋で、偉い人、及びそのイタメシ屋の知人が会食したという話を聞いた。同席した方に尋ねたところ、そこそこ、笑顔があったそうだ。フーン。やっぱり、ある程度以上の値段を払う、偉い人と知人にしか笑顔は出せないということだろうか。つまり
隠れメニューなんだね。スマイル¥10,000以上と私は見積っている。

 姫野カオルコの小説『ひと呼んでミツコ』の中に、ダメ公務員をマクドナルドに研修に行かせる短編がある。あれを読んで以来、能面に出会う度、「マックに行け」と思う私なのだった。
 そうは言っても、最近ではマクドナルドでも¥0のスマイルになかなか出会えない。もしかすると、笑顔も注文しなければ出て来ない時代になったのかもしれないと思う。

 ──と、美しく締めようとしたが、もうひとこと。
 能面のようなお店の人々に「笑ったらどうでしょうか?」とは、言えない。お客にはいろんな権利があり、「それ、半額よ」と指摘することや、「お水ください」と要求することはできるが、「笑顔」を要求すること、「感じの悪さ」を相手に指摘することは、なかなかできない。黙って我慢することしかできない。客というのも忍耐の要る立場だなぁと思う。だから、たまにはキレたっていいじゃん?

(2006年2月9日)
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