果たして平凡な食は罪なのか。
理論をこねまわすために、せめて大前提だけはわかりやすく、
「人に腹立たしい思いをさせること」=「罪」として検討してみよう──。
▼ すぐに思い付く「平凡」な食の例(完全な私見。しかしこの時点で共感できない人には、この先、まったく共感できない話だ)
1 |
マックやコンビニデザート |
みんなが知っているアレ。 |
腹は立たない。 |
2 |
ファミレス |
みんなが知っているアレ。 |
腹は立たない。 |
3 |
なか卯の親子丼 |
眠たくなるほど普通の味。 |
腹は立たない。 |
4 |
おばちゃんの手作りお惣菜店 |
チェーン店ではない。おばちゃん達の手作りお惣菜がずらり。そこから好きなものを選ぶシステム。味はものすごくフツー。時々好みに合わない味付け。やや割高感。 |
ほぼ腹は立たない。が、腹は立たないだけとも言える。 |
5 |
イタリアンのランチ¥1000 |
工夫のないパスタ、工夫のないサラダ、パン、コーヒー。 |
腹立つ。 |
6 |
町の定食屋のランチ¥800 |
唐揚げとポテトサラダとレタスを1皿に盛ってある(ドレッシングは市販品)、なんかの小鉢、味噌汁、漬物、ごはん。味噌汁も漬物も好みでない。 |
腹立つ。 |
○ 現時点での結論:「平凡」は罪である場合も、罪でない場合もある(当たり前)。
が!
疑問その1
1〜3は安いから腹が立たないのではないか。
しかし、マックで¥800ほど使っても別に怒りは感じない。ファミレスも安くない。コンビニスイーツも存外高い。
疑問その2
5と6は「平凡」ではなく、「ややマズ」なのではないか。
しかし、厳密に言えば、1〜4だって「ややマズ」寄りではあるし、5と6に欠点がなければ、それは平凡ではなく、「そこそこうまい店」ではないだろうか?
つまり、われわれの意識の中では、すでに「平凡」=「ややマズ」と認識済みなのであろうか?
それなら、すべてに腹が立ってもいいはずなのに、評価の差は何か。
要するに問題は、「平凡」=「ややマズ」なのか、「平凡」=「フツーにうまい」なのか、気分と捉え方で大きく差が出るということだろうか。
1〜3と5、6に対する評価を分けるものは、その辺りかもしれない。諦念と期待感の有無。ハードルの高低。1〜3には諦念が有り、期待感は無く、ハードルは低い。5&6にはまだ諦念は無く、期待感が有り、ハードルはやや高い。
1〜3は「フツーにうまく」→腹が立たず、
5&6は「ややマズく」→腹が立つ。
そこにデリケートな問題「価格」も多少関係してくるかもしれない。金銭感覚の違いによって諦念に差が出るだろうから。
疑問1、2に対し、それぞれどっちつかずの境界線上にいるのが4。だからこそ4は、腹が立つか立たないかという点でもはなはだ曖昧になるのであろう。
違うか?
ま、結論から言えば、じつは私は「正解」を持ち合わせている。
昨年「平凡」No.1を体験したのだ。ザ・キング・オブ・平凡。平凡オブ平凡。
町の定食屋系。¥700のランチで、豚肉のピカタ(キャベツ添え)、ブロッコリーとカニカマの和え物(マヨネーズ)、ごはん、味噌汁、漬物どっさり、コーヒーおかわり自由。もう一品くらいあったかもしれない。良心的だ。でも今思い出しても腹が立つ。
安い。まずくはない。しかしまったくうまくもない! 工夫もない。閃きもない。理念もない。誇りもない。腹立つ〜!
ウキウキして出かけた先での、「平凡」なランチ。あのウキウキ感からの落差がムカつきに変わったのであろうか。あんなことなら、マックで食べたほうがなんぼかマシだった。
安かろうが、マズくなかろうが、腹は立つのだ!
腹立ちまぎれに思い出す、あの¥700ランチは正真正銘の「罪」だった。
結論:平凡は腹が立つ。平凡は罪だ! すごく!(※1)
マズくなくて腹立つのだから、マズければ腹立つ。
よって、腹が立つものは平凡かそれ以下。
もっと言うなら、
平凡は罪であり、「罪のないもの(腹が立たないもの)は平凡ではない」と言ったほうがいい。正確には、「腹が立たないものは、平凡以外の何かだ」。(注:「美味」とは言っていない。平凡以外の「何か」。もちろん美味である場合も含まれる)
腹が立つ=まずい、もしくは平凡
腹が立たない=それ以外の何か
したがって、1〜3は腹が立たない限りは、「平凡」ではない。それ以外の何かだ(※2)。
1〜3を「平凡」以外の何かとして支えるのは企業努力でしかなかろう。利益を追求する企業だからこそ、あれだけばんばん売るために試行錯誤があるはず
で、手作りでさえあれば、その辺の定食屋がファストフードやファミレスに勝てると思ったら大間違いというものだ。ほんとに腹立つ、あの定食屋。
4は、境界線上。腹が立つなら平凡以下で、腹が立たないなら少しだけおいしいのか、懐かしいのか、何か秀でたところがあるのであろう。ちょっと腹が立つなら、ちょっと平凡なのだ。
▼ 改定版 「平凡」な食としての正しい例
A |
町の定食屋系のランチ¥700 |
豚肉のピカタ(キャベツ添え)、ブロッコリーとカニカマの和え物(マヨネーズ)、ごはん、味噌汁、漬物どっさり、コーヒーおかわり自由。もう一品くらいあったかもしれない。良心的。安い。まずくはない。がうまくもない。 |
腹が立って仕方がない。 |
B |
イタリアンのランチ¥1000 |
工夫のないパスタ、工夫のないサラダ、パン、コーヒー。 |
腹立つ。 |
C |
町の定食屋のランチ¥800 |
唐揚げとポテトサラダとレタスを1皿に盛ってある(ドレッシングは市販品)、なんかの小鉢、味噌汁、漬物、ごはん。味噌汁も漬物も好みでない。 |
腹立つ。 |
さて、「平凡=腹が立つ」とはっきりした以上、他人に店の評価を伝える際、少しでも腹が立ったのなら「平凡もしくはそれ以下だった」と端的に言いたいものである。
「平凡だがうまかった」「フツーにうまかった」という言葉は、できれば使わないでもらいたい。有罪なのか無罪なのか、混乱するからね。聞くほうが的確に判断を下せるように表現に工夫を凝らしてほしいのだが、それを難しいと感じる方は、この表現を使ってみてはいかがか。
「『アリ』か『ナシ』かで言えば、『アリ』」 / 「『アリ』か『ナシ』かで言えば、『ナシ』」。
アホみたいな言い回しだが、聞き手のみならず話し手の心もこれですっきりするはずだ。自分の心のもやもやが晴れる。実践してみてほしい。うっかり「平凡」な店を訪れてしまう無駄足をみんなでなくそうではないか。
(2012年3月27日)
※1 味の話をするから、微妙にブレが出るのであって、平凡な「映画」「小説」「ドラマ」を考えてみればいいのだ。すべて腹が立って仕方がない。時間と金を返せと思う。最初からそう考えてみればよかった。
結論:なんだろうと平凡は罪だ! すごく!
※2 特にマックはマックであって、平凡か否かを探るべき存在ではなく、ひとつの基準だと思う。マックという基準。ファミレスという基準。(この諦めをひそませた「基準」については次回に語りたいと思う。)
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