二〇〇二年へ | |
二〇〇一年 |
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八月二七日 | 東京の人は「バカ」と言い、大阪の人は「アホ」と言う。ではどこからどこまでが「バカ」の地域で、どこからどこまでが「アホ」なのか、正確に知る人は、かつて誰れひとりとしていなかった。――というまえがきで始まるのは、「全国アホ・バカ分布考」松本修著である。 |
七月二〇日 |
私は植木職人である。決してヤクザではない。私は石川県植木職人連合会の舎弟として草鞋を脱ぐ!ではなく、地下足袋をはいている。石川県植木職人連合会という大層な名称であるが、石川県に認知された覚えもないし、しようと思ったこともない組織である。 |
明日香村にて |
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七月一五日(続) |
昨夜、酒を呑んで愛車(軽四輪トラック)を馴じみの店の駐車場に放置してきた。末娘に車を取りに行きたいので送ってほしい、とおそるおそる哀願したら、意外にも「ついでがあるからどうぞ」と優しい返事が返ってきたが、鼻であしらうような軽い調子と、語尾にさげすんだいつもの寒さがある。ついでというのは、家族でお墓参りに行くついでのことらしい。家長の私抜きでの墓参りらしい、らしいのではなくそうなのである。我家の墓参りの回数は少ない方で、従兄弟の浅田夫婦にいたっては、毎月お花、ローソク、線香を上げてくれる。ローソク立ての穴が埋まっているから、庭屋の道具できれいにしておけ、と会うたびごとにおこられる。従兄弟の智美チャンは、墓のスキ間が大きいので雨が入ってくるから、とわざわざ電話をくれたので、手っ取り早い補修工事をした。建築材のコーキングで埋めたが、スタッフが言うには、あれは石の接着剤だと。その部分は、納骨する際に取り外し開放する箇所なので、弱ったことしたなァーと思った。その時はバリかタガネでむりやりこじ開けなければならんな。納骨にバリを持参というのもなァー。どおりで我が母堂、80余歳がピンピンしているわけである。 |
七月一五日 |
昨日、「花村萬月」の講演を拝聴した。芥川賞作家の萬月さんである。内灘町主催「内灘文芸スクール」開講記念講師としての講演である。ぼくは、なんの弾みか知らんが千円支払って「文芸スクール生」として入校した。萬月さんの小説は買ったことはあるが、読んだことはない。エッセーみたいものは読んだ記憶がある。「ナマイキ」なヤツだなァーという印象があった。実物の萬月さんは頭の前頭葉に萬月を乗せていた。イイカゲンなペンネームはここから生まれたのだと納得した。ナマイキな萬月さんはハズカシイーそうに語った。ぼくも「ハズカシイーなあー」と聞いていた。ハズカシイーのでそろそろ席を立とうと思っていた。講演の終りに一般質問があった。「日誌を毎日書いている。他人に覗かれるのを意識しながら、わたくし、作家になれるでしょうか?」ハズカシイーという回路の欠落した人の質問は、ホント、グロテスクにハズカシイー。萬月さんは「作家になれますよ。でも作家という仕事は奨めませんけど」と言ったように思う。一流の作家はハズカシそうに語っているが、どこかで「人間」を喰って生きることを糧としていると思った。いやな職業だと思う。 |
龜鳴屋より |
六月二四日分ページアップ後、丸銭さんのご長女から重大な事実誤認の指摘と、父親の素行不良を嘆くメールをいただきました。ご本人の許可を得て、そのまま掲載させていただきます。 |
六月二四日 |
日曜日八時です。拙宅の掃除機の喧騒から逃げ、仕事場へ行く。10帖1LKである。ミニコンポでクラシックを十時半頃までウトウトしながら鑑賞する。そろそろお腹がすいたので、近所のコンビニへ行く。買う物はいつもの通り、サッポロビール缶。ミニ弁当。そして、決して欠かせない一品は「江戸っ子煮」の缶詰である。 |
六月一七日 |
日曜日である。庭屋稼業も休みにしなければならない。休みにしなければならない訳は、実働スタッフ2名が「明日は日曜日で休みです。」「毎月20日は給料日です。」という決定権を持っているからです。決定すべき判断は、実力があるからです。実力のある人には従わなければならないのです。我が家の日曜日に至っては、早朝から家中の掃除が始まる。便所からガスレンジの五徳、換気扇の扇まで…etc. 日曜日ぐらいは静かにしてくれと言いたいが実力がないので、決定権のある人に服従するしかない日曜日です。 |
五月一九日 |
午前11時より親父の13回忌法要を務める。平成元年の5月20日が命日である。命日は20日であることは覚えていた。20日は給料の支払日である。だが、法名はしっかり忘れていた。仏壇を覗き見たら「釈善慶」と命打ってあった。弁慶の兄貴さんみたいな名であると思った。ご坊さんは檀家の人々をよく眺めている。ご坊さんは法名を付ける時が楽しく真剣で、ここ一番勃起するのだと思った。庭屋が自分の仕事を眺めて自分一人で褒めているのとよく似ている。素敵な法名であると思った。この日の路地はアカシアの花が満開である。易い線香で咽せて、アカシアの花粉で鼻を拭きながらバチが当たりそうな酒宴が始まる。73才で逝った父の日である。 |
五月九日 |
総持寺門前町商店街を歩く。静かな商店街である。5分も歩けば通り抜けられるこの商店街に、どういう訳か衣料品店が6店舗もある。どの店も同じような商品陳列である。モンペからスーツまで、革靴からゴム長靴まで、素っ裸で店に入っても、その人の職業に最適の服装がコージネート出来るのである。楽しくなる商店街である。とくに店のネーミングが素敵である。「幸福さん」という衣料品店。「しやわせさん」の前を通るとき、「ありがとさん」と答えたくなる。「ビュー・サンセット」とかいう町の第3セクターなるリゾートホテルよりはるかに「幸福」にさせてくれる。「幸福さん」になった所で、尊厳灼な総持寺より駅前食堂の蕎麦、霊水「古和秀水」よりビールを呷る。「じんのび」である。 |
四月三〇日 |
能登は門前町黒島に一泊する。門前町黒島は友人角田君の実家が宿である。この町は天領の地「北前船・角海家」が県指定文化財として遠い日の栄華を残している。黒島の路地は静かである。裏山からホトトギスがさえずり、おとなりの茶わんを洗う音が聞こえる。癖のある足音がゆったりしたリズムで路地の奥に消えた。老練な職人の無駄のない音のように。静かに夕日が海に入る。今夜は高島家のお婆ちゃんの通夜であるらしい。 |
四月某日 |
路地の若衆で発足した「はばたけ会」がある。年に一度温泉でドンチャン騒ぎすることのみを目的とする。会員の職業は、二人のサラリーマンをのぞくと、大工、タイル屋、土建屋、庭屋、で構成する。その「はばたけ会」が町の草野球連盟に参加した。ネーミングは「はばたけず」である。何にも足さない、何にも引かない、というウィスキーの宣伝コピーにピッタリな野球チーム名である。「はばたけず」ひらがなで書くとこなんか、なかなかにくいのである。 |
三月某日 |
晴。春眠暁を覚えずである。快晴の凪である。早い昼飯を馴じみの「来来(ライライ)食堂」で食う。鯖の味噌煮にビールが最高である。食堂の親父が出前から帰って、いわく、「××の野郎が朝から呑んで神社の階段枕に高イビキ」との報告である。我が路地の春眠は猫はネズミを獲るのを忘れ、人間は借金を忘れる程度の春眠ではない。神様からバチがあたっても気がつかないくらいの春眠である。 |