丸銭さんは庭師です。サギ
師、ペテン師、庭師の庭師
です。家族のヒンシュクをい
くら買っても、いつに変わら
ぬ酒とバカの日々。さあ、路
地のやくざもん達とのあきれ
果てた、でも無性にいとしい
日常と非日常(その境目の
ないのが問題ですが)をご贔
屓、ご愛読くださいますよう。
※ゴタムキとは…
金沢の方言で、理屈を言ったり、文句を言ったり、うそをつくこと。またはそうする人のことをいう。
なお、ここに使用したイケテル写真は十数年前のものであり、現在は見る影も無くしょぼくれております(為念)。
二〇〇三年

二月二三日

物忘れが激しい年齢になったものだと、つくづく感じている今日この頃、カメナク屋のご主人には、いたってご健勝であらせられ、物忘れなんていうドジな行為は微塵もない、あってたまるかという自信は昨夜の電話の語尾に鮮明に聞き取れますのでゴザイマス。ハイ!
今朝、愛犬「ハク」のウンチの始末をする際、ウンチに丸い琥珀色のビーズがコロコロと出て来たのです。とくと拝察すると、それは宗教の御参りに欠かせない「数珠」であることが判明しました。記憶をたどるに、この「数珠」は、確か半年前、私が金沢の知人の母親の通夜のおり、「数珠」を忘れ、カメナク屋から借りていった「数珠」だったのです。愛犬「ハク」が通夜に数珠を忘れる不謹慎な主人を憂いてか、はたまた、朝に仏壇を参る老いた母親の姿に感動したのか、宗教心の無い主人になりかわり、せめて私くし「ハク」がと、浄土真宗の門をたたこうと決意して数珠を飲み込んだのでしょう。なんとけなげな愛犬「ハク」でございましょう。この時ばかりは、私も神妙な気持ちになり、ナムアミダブツ、なぁまんだあと唱え、チリトリにのせ、事務所のトイレに流しました。なぁまんだあ。
尚、数珠と一緒に置いてある香典のお返しの品、ビール券は一切、口にしてありませんでした。なんと幼気(いたいけ)な愛犬「ハク」でございましょう。一応報告まで。


二月九日

  遠吠え

昨年九月、拙宅に犬が迷い込んできた。それも、首輪に血統書をさげて来たのです。犬種は「ラブラドール・レトリバー」というのだそうな。色は愛犬家が泣いてヨダレを出すというチョコレート色、名前は八月九日生まれで「ハック」というのだそうな。ただ、発音に訛りが伴うと「ファック」と聞きとられたら血統書に傷がつくので、「ハク」と呼ぶ。盛唐の詩人「李白」の「白」である。ゆえに雄である。
我家は、女四人がはびこる家族構成にあって、雄が二人になることは私くしとしては願ったりのこと、北朝鮮のミサイルを保持した気分である。さっそく、私の忠実な家来として、首に朱いリボンを付け、マスゲームはおろか、私を父と拝り、主人のため切腹もいとわない僕(しもべ)にと、あり余る時間をおしげもなく躾についやす土曜日でございます。
日曜日、さっそく忠実な家来としての教育にとりかかるが、大きな誤算が生じる。雑種の主人が、血統書付きの輩を僕(しもべ)として教育するのはもってのほか、というツラで、ドノツラサゲテ、顔洗ッテデナオセ、というツラで、私のツラを射るのでございます。ですから、私も、私の埃(ほこり)にかけて「オメエの血統がナンボンモンヤ」と麦焼酎のお湯割の息をふっかけてののしり愛する毎日でございます。
連日連夜の洗脳的躾は努力の甲斐もあり、「マテ」「オスワリ」をようやく躾けたかに思えたら、嫁さんの「ハクチャン」の一言で彼女の股間に顔を埋めてススリ泣く姿は、お前さんの血統書には記録にないはず。せめて若い娘達の股間ならいざしらず、よりにもよって……! どういう血統なんや!
その夜の主人は、月に向って
「オー、オー」「アイゴー」と吠えるのでございます。


正 月

前略
龜鳴屋のホームページへの便りとだえて一年余月、心の里は忘れるものではございません。マブタと瞼を合わせれば、はっきりと龜鳴屋のオカミサンの顔が!
皆様にはご健勝のことと存じます。

わたくしは、持病の「貧」という病に伏せておりました。なにしろ「貧」という病には強情なウイルスが存在しているので、免疫のない龜鳴屋の主人や、知人の機械(パソコン)に乗り移るのを畏れ、龜鳴屋のホームページに便りを見せないのがその由でありました。
しかし、昨夜、私の主治医であり、書道家であらせます井上有一先生は、「貧」という病の特効薬は友人、知人にベッタリ寄り添って、そしらぬ顔して「元気」、「元気ですか」、「元気です」とかなんとか言って、「貧」のウイルスを撒き散らす横着性が私の病を軽くする。すなわち「貧が笑う」というしぐさがなによりもの養生だというのです。
なにしろ、主治医さんのおっしゃることですので、突然ですが、年頭のあいさつに変えさせていただきます。
今年もよろしく。

尚、末娘の「笑子(しょうこ)」は、私の病名とは一切関係ありませんので、彼女とは安心して笑って下さい。

                                床ズレの庭師より



二〇〇二年


三月三一日

日曜日の朝である。
畏友の川島法夫氏から電話がある。
「さつま芋、あるか?」
「少しあるはず」
川島氏の嫁はん文子さんが来た。
「ありがとう。姑(カア)さんが風邪で食欲がないので法夫さんが芋粥作る」
と報告した。彼女のふくよかな手の中にすっぽりと埋った小さなさつま芋が一つ、それしかなかったのである。

先日、勝手口のドアを閉める際に、母親の指をドアにはさんでしまった。
「アッ」といったら「ウッ」といった。だいじょうぶか、なっとんないか、ないか、ないか。「ウッ」「ウッ」「ウッ」と両手を重ねている。右手の中指が「くの字」に曲っていた。病院、病院、折れたな、病院、病院や、「バカ、はさんだのはこっちの手の指や」
重ねた下の左手の人差指にしっかりと巻いたバンソウコに薄っすら血がにじんでいた。
母親の「くの字」に曲った右手の中指、嫁いで来てからのケガらしい。82才になる母親の「くの字」に曲った中指、しらなかった。本当にしらなかったのか? 本当に記憶がない。

日曜日の二度目のベルがなる。長男壮平である。
「お父さんか」
「なんの用や」
「べつに、今から旅つ」
「何処へや」
「英国。成田空港や」
「気ぃつけて」
「おぅ、じゃあ」
「・・・・・・・」
川島家で芋粥でもごちになろう。

二月一〇日

   難儀な日曜日(ゴタムキ再開)

久しぶりにお便りします。 
二日酔の楽しい日曜日の朝です。楽しい日曜日なのですが、楽しい日曜日のはずなのですが難儀な日曜日です。と言うのも、朝起きておはようの挨拶もない嫁はんが、JAの預金通帳と、国民年金の納付書を食卓の上にタタツケテ、シリマセン、スキニシテクダサイ、ナニカンガエテイルノ、シリマセン、シリマセン、シリマセン。

夕んべのカラオケの「お別れ公衆電話」、皆さんにたくさんの拍手喝采を頂いたのに、あれが原因で難儀な日曜日になったのか! 松山恵子「お別れ公衆電話」、私の十八番です。
庭屋、丸銭、五十五歳の立春です。


二〇〇一年へ