ANTIQUE花小筐 花がたみ
上 陽子

連載その7 蝶ゝ、チョウチョウ
   千草の嘘つきさん
   とうちゃんの
   おくちから
   蝶々が
   飛んでつた、なんて
山村暮鳥晩年の詩集「雲」のなかのこどもという詩。父と小さな娘のほのぼのとした情愛が伝わってくる一篇だ。
蝶々はどこにいったのかなあと思っていたら、あれ、伊万里のお碗の中に…。
実りの秋への感謝と豊穣を現すまあるい葡萄の実と葉の間に、ふわりと飛んでいた。この文様は中国の古染付にある葡萄栗鼠文の写しからきたものだが、栗鼠は逃げたのか代わりに愛らしい蝶々がいた。
伊万里の文様は大別すると、唐子や仙人、南蛮人などの人物が描かれたもの。鹿、兎、麒麟など四つ足の動物が描かれたもの。そして牡丹、あやめ、葡萄などの植物や鶯、鷺などの花鳥が描かれたもの。そして山々、海辺の様子などが描かれた山水などにわけられる。人物は上手のものに描かれまたその数も少ないことから値段も高いが、数の多い山水は安く手に入れることができる。市場的にはあまり顧みられない山水であるが、わたしはこちらの方が気に入っている。
山水には中国絵画に倣ったものと日本の風景を描いたものとがあり、中国の影響を受けたものは、桂林の山々を思わせる聳え立つ山々、手前には楼閣などが描かれ、点景で小さな人物などがある。眺めているとその人物になってその風景に入っていきたくなることもしばしば。桃仙境へと誘われていく。また海辺の様子を描いたものは、近景の浜辺に網が干され、遠く沖あいに帆かけ舟がいき、鳥が舞う。これを描いた人が直に目にしたその当時の風景がそのまま写し取られ、海の色やそこに漂う潮の匂いも感じさせてくれる。山水が好きなのは、心を遊ばすことができるからだ。
先日、久しぶりに能登を巡る機会に恵まれた。まだ冷たさを残す海の碧さ、萌えいずる山々の緑は眩しく、沿道には菜の花やハマボウフウなどの花々が風にそよいでいた。海辺を描いた山水の文様そのものが息づいていた。
そして、あれ、ここにも蝶々。ひらひらと春風に戯れていた。
幕末頃の伊万里色絵飯碗。呉須で蝶が描かれている。

上 陽子(かみ ようこ)さんは、アンティークのお店「花小筐」(はなこばこ)のあるじ。古いものたちの持つおもむきの微妙をさとる確かな目を持った女性です。 連載その6へ