◆ANTIQUE花小筐◆ 花がたみ |
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上 陽子 |
連載その9 弥生の朱 |
私の住む賃貸集合住宅の4階からは高尾の山並みや微かに海が見える。それは本当に微かで空と陸のあわいにわずか。季節によって時間帯は変わるが、太陽の光が海の真上にきたひとときにだけ、天目茶碗に施された覆輪のように輝いてその存在を示す。 夕暮れどき、その窓から学校帰りの学生や家路に急ぐ人々を眺めるのが好きだ。夕日が少しずつ風景を染め上げていく。茜とも朱ともさまざまにとれる色を見ていると、数年前に買い損ねた弥生時代の壷を思い出した。 その壷と出会ったのは京都の新門前にある今出川という古美術店。たしか仏教美術を扱う東京の甍堂で修業をされ独立した方の店だったように記憶する。店には星ガ岡寮に勤めたあと古美術商として活躍した瀬津伊之助旧蔵の猿投平瓶、瀞を思わす深い緑青をふいた平安時代の閼伽桶、室町時代の力強い木彫の狛犬など、静謐な美を持つ確かな品々が並んでいた。あいにくご主人は不在だった。 弥生の壷は李朝のシンプルな卓子(棚)に、初期伊万里の小皿などの小品と共にあった。壷は二つあったのだがそのうちの小さい方に目がいった。大きさは手のひらにすっぽり包み込めるほどの愛らしさ。一般に弥生の壷は物を蓄えるためか胴の部分はふっくらと丸みを帯びている。その壷も小さいくせに見事なほどたっぷりと豊かな丸みをもち、媚びることなく素朴であった。かわら撫子などがそっと一輪似あうようなそんな壷であった。 そして何よりはっとするほどの朱色をしていた。日の出の朱であり日の入りの朱。それは以前ケニアのアンボセリ国立公園での早朝サファリで見た太陽と深く重なった。漆黒の地平線がすっと白み出したかと思うと、白から黄色、橙、朱へと一秒ごとに色を変え、やがて巨大で強烈な太陽が姿を現した。光は何百頭というヌーの大群をシルエットで浮かび上がらせた。無事にまた朝を迎えることができた命の喜び。弥生の壷の朱にはそんな生命の讃歌、太陽への憧憬があった。 欲しかった。しかし、である。悔しいことに既に他の骨董店で散財したあとの出会いで持ち合わせがなかった。後ろ髪をひかれつつ店を後にした。 もう何年も前のことなのに未だにその壷が忘れられない。ちょうど成就しなかった淡い恋のように、いつまでも美しく思われて仕方がない。 |
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上 陽子(かみ ようこ)さんは、アンティークのお店「花小筐」(はなこばこ)のあるじ。古いものたちの持つおもむきの微妙をさとる確かな目を持った女性です。 | 連載その8へ |
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