ANTIQUE花小筐 花がたみ
上 陽子

連載その12 みどりの黒髪

 おわらに興じていたうちに秋がきていた。
空気が秋冷になると磁器よりは土もの、そしてやきものよりは一層暖かみのある漆ものの肌合いが恋しくなる。
 漆というと漆器に目がいくが、漆の美、技術をより集約させたものは、髪を彩った櫛ではなかろうか。手の平に納まる小宇宙に、花鳥風月などの意匠が蒔絵、沈金、螺鈿などの技術をもって施されている。どのような佳人がその櫛を挿したのだろうといたく想像を掻きたてられる品である。
 古来、櫛は呪術的信仰の聖なるものであった。神話の世界ではイザナギが黄泉醜女に追われたとき櫛を投げ捨て助かった。またかつて伊勢の斎宮に決められた皇女は、天皇から櫛を挿された直後から聖女となった。それは人界と霊界を区切るものであったのだ。
 時代がさがり江戸に入ると、風俗の変化とともに櫛は女性のお洒落に欠かせないものとなり華々しく咲き誇った。それらは東京の青梅市にある「澤乃井 櫛かんざし美術館」にて目の当たりにできる。櫛の収集家として著名な岡崎智予氏の長年にわたるコレクションを一括継承したもので、収蔵総数は4000点にものぼる。幻想的な作風の羊遊斎や琳派の巨匠尾形光琳、酒井抱一のデレクションによる櫛、江戸ガラスの櫛など、収められている櫛は多種多様。その豊かな世界を見て、櫛というものに、また日本人の感性に、そして漆の美というものに愁眉をひらき、感動したことを今も思い出す。
 青梅まで足をのばせない方には、そのコレクションを紹介する一冊「櫛かんざし」(紫紅社)をぜひご覧頂きたい。そして併せ読むと面白いのが岡崎さんとそのコレクションを下地にして描かれた小説、芝木好子の「光琳の櫛」である。
 料亭「雪園」を女手一人で営む久住園は、古櫛を集めている。忙しく料亭を切り盛りしたあとのひとりの時間を、まだ買ってきて間もない汚れのついた古櫛をやさしく清めて過ごしたり、また仕舞ってある櫛をひとつひとつ取り出し眺めて過ごす。女性自らが求めた櫛もあろう、好いた男から贈られた物もあったろう。その男に邪険にされたなら、髪から櫛を抜いては手にとって櫛を眺め、怨みつらみを語られていたやもしれない。
 ある時はそういう櫛が語る物語りに耳を傾け、ある時は自身の内なる声そのものを吐露し、園は自分の心の寂しさを補ってきたのであった。
 私も物ずきで物を集めたがるが、園の思いは一段と狂おしく妄執としか言いようがない。それは、小説のタイトルにもなった光琳の櫛を手中に収めたいがためにとった園の行動が物語る。何としてでも手に入れたい櫛を、園に買い与えてくれるパトロンが目の前に現れたとき、彼女は資金もなくまた感情のずれが生じ始めてきた恋人を捨てるところまでに行きつく。自分より櫛をとったと知った恋人は、怒りのあまり櫛を二階より投げ捨て、無残にも櫛は……。
 きものを日常に着ることが少ない現在では、それに合わせて櫛を挿すことなぞまず無くなってきてしまった。そうして、緑の黒髪すら見かけなくなったのが今の世であったか。櫛は本来の役目を終え、静かに美しく日本の伝統を伝えている。

『岡崎智予コレクション 櫛かんざし』(紫紅社刊)より

上 陽子(かみ ようこ)さんは、アンティークのお店「花小筐」(はなこばこ)のあるじ。古いものたちの持つおもむきの微妙をさとる確かな目を持った女性です。 連載その11へ