ANTIQUE花小筐 花がたみ
上 陽子

連載その17 昇華

 子どもの頃から本当は食いしん坊だった。でも、食べることは意地汚いと何となく思っていて、今でも人前で食べることはみっともないと遠慮をしてしまう。でも、影響を受けやすい。それも子供のころから。
 小学校の時、図書室から借りて読んだローラ・ワイルダーの「プラムクリークの土手で」に、ローラのママが焼き菓子を焼いて、ローラやその意地悪な友達ネリーにおやつで出していた。ページの間からローラの家じゅうに漂う焼き菓子の甘い香りが漂ってくる。それがものすごくおいしそうで、いったいどんなお菓子だろうとしばらくその焼き菓子のことが頭から離れなかった。ローラの家には甘い香りの「シアワセ」という言葉が詰まっていたように思った。
 うちのは両親は共働きだったから、母が平日に家にいてお菓子を焼くなんてことはなく、たまに日曜日にプリンを作ってくれたか、ホットケーキを焼いてくれたくらい。それも今では少し哀しみを伴った懐かしい思い出だ。そして今。キーボードを打ちこみながら、お日様の光をした白ワインを昼間から飲んでいる。いつもは日本酒党、それも純米酒か吟醸酒をヒヤで飲む私がである。というのも、昨日から読んでいた藤田宣永のいくつかの短編を収めた「壁画修復師」のせいだ。
 舞台は主にフランスのブルゴーニュ地方の村々。葡萄畑が続くなだらかな丘。ふりそそぐ太陽。石造りの家。そんな静かなフランスの田舎町にある教会の壁画を修復するアベという男が主人公だ。阿部なのか安倍なのかそれは作者にとって大した意味はなく、アベ=神父の意味するところが大きいようだ。人は、宗教画を修復する異邦人であるアベに、神父と同じ意味するアベに、心の暗闇を吐くのであった。それは人々の心の闇を聞くアベも、実は自身、深い暗闇をその胸に抱いていたせいだからだろうか。
 彼の心の遍歴は断片でしか伺うことはできないが、アベは火の気ない、しんと鎮まりかえった教会のなかで、組まれた足場に立って、もくもくと中世に描かれたフレスコ画の天使や聖人に向き合い、自身の心も静かに修復していったようである。
 作者の藤田宣永はかつて九年間フランスに滞在した。物語はその間に彼が呼吸した土地の風光をみごとに孕ませて紡がれてある。人間の心の機微とともに描かれたフランスの風光が物語りをより豊かに彩り、読者を「本」という素晴らしき魔法の国へと連れて行ってくれる。
 ヨーロッパではワインが水代りとよく聞く。紡がれたいくつかの物語のなか、主人公のアベが修復の間に世話になる家や町のカフェなどいたるところでもワインやお酒、そしてその土地の美味そうな料理が登場する。自家製ワイン、カルバドス、鴨のサルミ、リー・ド・ボー(小牛の胸腺肉)、シャロレ牛のアントルコート、クレープ・オ・ボム(林檎のクレープ)……、想像を巡らすだけでおなかいっぱい。すっかり術中にはめられた私は、その食いしん坊スピリットを目覚めてさせてしまったわけなのだ。
 しかしながら食べたい!と思っても料理本ではないので物語にレシピがあるわけでもなく、料理の作り方がわからない。それで手っ取り早くフランスの太陽の恵みをいっぱい浴びた果実、葡萄をしぼった飲みもの、ワインを飲みながら、物語世界を共有し味わったしだい。一滴、一滴に太陽の光を宿したワイン。グラスに施されたカットに輝いてそれはそれで美しいのだけど、シャンパングラスではね…。古道具商の身に恥じないお気に入りのアンティークのワイングラスを探さなくてはいけない。
 それにしても昼間に飲むお酒は甘いようで苦く、人生というものにも似ている。私の部屋にあるロシアのイコン。聖母と雷に打たれて聖人になったという人の姿の描かれたもので、中世とはいかずせいぜい200年ほど前のものだろうか。例によって信仰というよりは好き!というだけで購入したものだけど、時折仰ぎ見て、「あほやろ?私」と言って、聖母の真っ直ぐなまなざしに打たれ、ますます首をうなだれる。当然、アベのような魂の昇華にはいたっていない。
 どうやら飲みすぎた。本とお酒にすっかり酔ってしまった。聖母のまなざしがますます痛く、仰ぎみることもままならない。
  

上 陽子(かみ ようこ)さんは、アンティークのお店「花小筐」(はなこばこ)のあるじ。古いものたちの持つおもむきの微妙をさとる確かな目を持った女性です。 連載その16へ