ANTIQUE花小筐 花がたみ
上 陽子

連載その19 雪峯

 いつか前にも書いたと思うのだが、この時季の夕方、住まいのベランダから空と地の間(あわい)に、ちょうどこの地球という星にはめられた覆輪のように海が輝くのが見える。覆輪とは茶碗などの縁が傷んだときに、錫だったか銀だったか忘れたが、薄くのばした金属で覆って補強をする修復の方法の一つである。
 修復の方法は他にもいくつかあり、例えばここに1枚、縁が欠けて、ヒビの入った皿があったとしよう。骨董業界の言葉でその皿の状態をいうと「ホツがあって、ニュウもある」とこうなる。これでもう駄目だね、いらないと捨ててしまわれたら、それでその皿の寿命はお終いなのだが、くどいようだが陶磁器は修復、直すことができる。
 今、一番ポピュラーな直しは金継ぎや銀継ぎという方法で、金継ぎを趣味にして楽しむ人もいるくらいである。昔は鎹(かすがい)止め、ガラス継ぎなどもあり、江戸後期には安価なガラスで直す継ぎ屋が流行りすぎて茶碗屋がつぶれた記録もある。つぶれた茶碗屋には悪いが、物を大切にする心、いいですねぇ。その心、日本人はどこにやってしまったんだか。
 もとい。陶磁器というものは直されたことで、不思議なことに今までとは全く違った評価を得て生きかえる。それが陶磁器の、そして直しの面白さでもある。しかしそうは言ったが、そこに、直しのなかに、美を見つめる「人の目」が介在しないと成り立たないのである。
 かつての能登国の守護畠山氏の末裔、畠山一清翁が集めた膨大な古美術品の品々のなかに、口縁から胴の中ほどまでに白釉のかかった本阿弥光悦(1558〜1637)の作・赤楽茶碗が一つある。この碗には、下の写真でもわかるように口縁から胴、高台にかけて大きな火割れ、窯傷があり、ふつうなら、窯出しでそのような状態をみれば、「あ、失敗だ」と割られるところを、光悦はそこに美を見出し、以来、茶碗は400年あまりの時を生きる。光悦は碗の白釉を山に降り積む雪に見立て、大きな火割れを大胆に金繕いを施し、雪解けの渓流になぞらえたのである。銘は「雪峯(せっぽう)」。新たな命をこの碗に授けたのであった。この火割れを起こした茶碗が窯だしされた刹那、この碗に新たな息吹をイメージした光悦の嬉々とした芸術家の顔が目に浮かんではこまいか。
 余談となるがこのような傷やらひずんだ茶碗が、茶席にはいるようになったのは、桃山時代の先人、千利休の新たな茶の湯や古田織部の創りだした織部「ひょうげたるもの」の存在による。文化というものは、つくづく繋がりをもって派生する。
 さて、陶磁器は直されることで、異なる生を与えられて歩みだす。それでは人の場合はどうだろう。傷ついた人の心を直すにはまず時間。そしてほかに何が必要になるかはその人自身の魂魄の求めによる。異なる生を与えられる陶磁器とちがい、人は自ら奮い立たねばならない。ひどく傷つき心を病むまでに至った人がいる。一日も早くその心中に穏やかな光がさし、新たな生を歩んでいくようにと、傷を自らの輝きに昇華した「雪峯」の堂々の姿を想うにつけ願うのである。

 

 

 
上 陽子(かみ ようこ)さんは、アンティークのお店「花小筐」(はなこばこ)のあるじ。古いものたちの持つおもむきの微妙をさとる確かな目を持った女性です。 連載その18へ