河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日の五十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第十四回 「今だから言える学校の悪口(英語)」

ロシア語の通訳(女性)の話し。久し振りに日本へ帰って、日本人と会い、相手に「職業は?」と聞かれ、「通訳です。」と言うと、相手は「英語が堪能でうらやましい」と。通訳として世界の各地を回って「職業は?」と聞かれて、通訳=英語と単純な発想をするのは日本人だけだと。又日本の若い人と会って職業としての通訳の話しをすると、多くの日本人は「私は英語を話せるから将来通訳の仕事につきたい。」と言う。それで、色々話しを聞いてみると、「自分の考え」というものがない、と嘆いておられた。さらに手厳しい。「英語(各国の言葉)が話せるだけで通訳になれると思っている日本人が多い様だが、とんでもない話しだ。そこの国へ行けば3才ぐらいの子供でもみんな国の言葉は話せる。言葉(言語)というものは自分の考えをしっかり持ってそれを相手に伝える。又、相手の考えをしっかり受け止め、それに対する自分の考えを述べる。そのための手段であり、そこの所がよく解っていない。」と、これだけ(通訳の人の話し)を書けば、今の(私の時代も)英語教育がいかにまちがっているかわかっていただけたと思うが、原稿用紙一枚ぐらいではもの足りないので、いつもの様に少々自分のハジをさらし、その何倍ものエラソウな事を書いてみたい。

私の英語とのかかわりは、中高大学と十年以上にもなるのだが、その英語(授業)がおもしろいと思った事がほとんどなかった。ただ一度だけ大学生の時、「老人と海」の原作を授業でやる事になり、自分で「知りたい。読みたい。」との思いで、そのための手段として自ずから英語の辞書を開いた。それ以外は試験(受験)のためのものだった様に思う。

英語の授業のはじまりは中学生だったと思う。This is a pen. ではじまった様である。丁度3才頃の子供がはじめて言葉を覚えるかの様にして。3才の子供、それは自分の意思をどうにかして相手に伝えたい。又、相手の言っている事を何とか理解したい。そこから言葉を覚えていくのである。それと3才児が中学生とまったく異なるのは純粋で他人(相手)の事をまだ疑う事がないという点である。一方、多感で反抗期真っ盛りの中学生に3才児と同じ方法で教えようというのだから、今から思えば土台無茶な方法である。

イイ年(中学生)になってまだヒト(他人)を疑わないような中学生ならいざ知らず、小心者ながら反抗心だけは人一倍だった私は(何でイイ年こいてガキみたいな事をやらないかんのか)と不満であった。その不満な気持ちを教科書いっぱいに落書きをしていた。例えば「これはエンピツです(絵)。」「見ればわかるだろう。」「これは本です。」「本と言う名前の本か。」「私の名前はベティです。」「写真ぐらいのせろ。」「姉の名前は…」「美人か。」といった具合である。たかが3才の子供の興味を引くぐらいの内容だが、これを英語でがまんして覚えなくてはならない。なぜか、その後で否応なしに「テスト」が待っているからである。そして、ここが重要なのである。このテストでイイ点を取れば誉められる=やる気が出る。一方、イイ点を取らなければしかられる=やる気が出ない。ここで両者の差が広がっていくのである。
それでも私はしかられながらも渋々(落書きをしながら)英語の勉強をやっていた。「これからは英語の時代(?)だ。英語ができなければ高校へも大学へも行けない。」と励まされ(威され)て、多くの子供達(中学生)は落書きはしないまでも、何のために英語を学ぶか疑問を持っていたと思う。
例えば、英文法なるもの、日本語だったら文法を知らなくても話せるのに、「なぜ」と。そして決定的だったのは、大学まで受験用英語なるものをやってきた大人達が、「あんな受験用英語は実際には役に立たない。」と言っていた事である。
それなのになぜ、要するに学生時代の英語(長時間にわたる)とは、私のように全然おもしろくはないが威かされながらやってきた人間か、テストにイイ点を取って周囲に誉められテスト用の英語を身に付けた人間か、のどちらかのものなのである。受験用英語、まず話す必要はない。答えが何通りもある(受験の考え方によって)ような問題は出ない。
今、この年になって当時の英語の勉強なるものを思い出してみると、実に不思議な事をやっていたという思いがある。よくもまあ、あんなムダな時間をガマンしていたなという反面、今もそんな授業をしているのでは、と思うとゾッとする。

まあ、ここまでは英語の試験でイイ点数を取れなかった(誉められなかった)私の腹いせみたいなものも入っているが、問題なのはこれだけでなく、あやまった英語教育による英語圏人間に対するコンプレックスみたいなものの一因になっているのでは、と思えてならない。戦前の鬼畜米英にはじまり、六〇、七〇年代の反米、そして現在の親米、さらに従米にまで成り下がった原因がそこにありそうだ。

これからの話しも、中学生だったか高校生だったか定かではないが、某国営放送(NHK)の「青年の主張」という番組で、そこで青年の主張をする若者の日本語の話し方が私達には「不自然極まりない」ものであった。一度、それをまねして国語の教科書を読んだ奴がいたが、教室中大爆笑だった(そいつは教師にしかられたが)。その話し方というのは、大げさなゼスチャーで言葉一つずつに妙なアクセントがあり、丁度外国人の話す日本語の様であった。
又、ある時、クラスの友達が急に英語の教科書を読むのがうまくなり、みんなから原因を問われた時、「青年の主張」と答えていた。文部省がなんでこんな話し方をしようとするのか考えた時、これは日本語が平坦な言葉であり、日本人がだれでもうまく話しができるようにするために日本語を変えよう(英語風日本語)という、とんでもない事をかんがえていたのではないだろうか。
確かに日本語と英語はそこが違う。だから外国人(英語圏)には日本語が逆にむずかしいという事だろう。しかし、その外国人(英語圏)のごく一般の人は、日本に来て外国人特有のアクセント、発音で、平気で日本語を話している。私(日本人)も外国人なら仕方のない事、又、相手(外国人)もそれで何ら自分を卑下している様子はない。その一方、一般の日本人が外国語(英語)を話す時はどうだろうか。日本語さえもハッキリしゃべれない私にとって、そんな話し方(アクセント、発音)では外国人には通じないと学生時代から言われ続けていた。
この「日本語にはない発音、アクセントができなければ外国人と会話できない」という考え方が恥ずかしがり屋の日本人(私)をどれだけ英語恐怖症にさせてきた事か。外国人の外国語風日本語を日本人が「外国人なら」と受け入れているのに、日本語風外国語をなぜ卑下しなければいけないのか。専門的な仕事で語学(外国語)が必要な人ならいざ知らず、「日本人が話す外国語」があってもいいのではないか。歴史も肉体も異なっているのに、外国人と同じ話し方をしなければいけないと思い込んでいる事自体が無理なのであろう。外国へ行って、そこの国の言葉を話しただけで「日本人」とわかってもらえればそれこそ好都合ではないか。

今の日本を従米(英)と書いた様に、上は首相(小泉)から「何で、アメリカ様々と遠慮しなければならないのか。」という状態はどうもこの英語教育にあるように思う。人間の持つ劣等感(コンプレックス)などは、案外子供の頃からの、さして根拠のないものかもしれない。本当に大切なのは、言葉(外国語)をしゃべれるか、ではなく、自分の考えを持つ事である、というロシア語通訳の言葉がその事を物語っている。

   第十三回へ