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河崎 徹 | |
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日の五十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。 |
第十六回 「大風呂敷」 |
「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色盛者必衰の理りを現わす おごれる者は久しからず ただ春の夜の夢のごとし」、日本の古典と言われるものの中でもっとも親しまれている文学の一節がこれである(他に、徒然草、方丈記)。確かバブル期にどこかの雑誌社のアンケートによるものだったと記憶している。私も好きで特に「おごれる者は…ごとし」がイイと思う。 * ところで、これがバブル期だったというのが何とも皮肉ではないか(だから余計覚えている)。たぶん、当時の社会をリードしていた人間(政治家、学者、企業家)といわれる教養(?)のある人なら、この一節ぐらい知っているだろう。日本の歴史だけでなく、世界史の中でも「おごれる者は久しからず」は人類歴史の教訓であろう。 さて、この教訓がようやく国中に浸透してきた今、あの当時から今に到るまでも執拗に権力の座にしがみついている族(やから)は、「あの当時は国民全体がバブルに踊っていた時代」と過去を歪曲しようとしている。これはとんでもない話しである。 バブルの時、権力者(政治家)と大企業(銀行等)が結託して土地をつり上げ(地上げ)、その煽りをくって、住民達が立ち退かされる光景を何度も見た。その時、住居を追われる側の住民(年長者)の多くがうらみを込めて「こんな事をしていたら、いずれ日本という国がダメになる」という発言をしているのを何度も聞いた。要するに、今の日本の混乱をまねいたのは時の指導者であった。 では、なぜそんな「ダメ」な指導者が国をリードする事になったのか。それは、そんな指導者を生み出した教育(教育制度)にあったと思う(今も同じ)。高学歴、あるいは有名大学出身者=優秀という間違いである。この優秀という言葉を今一度生物(進化)という視点で考えてみると、人間(生物)は長い歴史の中で進化しつづけ現在にいたり、さらにこれからも生き長らえていく事が出来なければならない。結果として優秀でなければ淘汰されていただろう(だから、現在生きているもの(生物)は皆優秀な訳である)。ただ、今生きていても、明日(将来)には淘汰されてしまうかもしれない。そのために、いかにしたら生き残れるか、その可能性を追求している。そのために必要な事は自分達(人間は集団の事が多い)の周囲に起こる不都合なもの(危険なもの)を察知する能力が必要であり、それが将来にわたって生存を可能にする事になる。その能力を備えたものが、まさしく優秀な人間(生物)なのである。 * この前提で前の話しに戻すと、目の前の金に目がくらんだ指導者と、現在の日本の混乱を予言していた当時何の力も持っていなかった年長者と、どちらが真に優秀かははっきりしている。 では、なぜこの教育制度からこの様な結果が出たのだろうか。そのためにこの両者を比較すると、一方(指導的立場の人間)は自分が指導的立場となるためだけの学業(成績、知識)を習得し、他人から優秀と言われんがために努力する。それこそが、自分が生き残るのに必要な事と考えている。 一方、何の力も持たない前記した年長者が、なぜ将来の姿を予知できたかと言えば、それは「豊富な経験(主に自然の中で)と、何よりも自分の五感を働かせて危険を察知する能力」である。そもそも人類は、発生から現在まで生き延びてきたという事は、取りも直さず、この経験と、研ぎ澄まされた五感である。これは現代人でも生まれた時点でみんな持ち合わせているだろう。それが教育という名のもとに(指導者をみんなが目指すために)不必要、不要なものとみなされてしまった。それもたかだか百年間(近代日本)ほどの間に。人間社会がどんどん便利になった。これから更にどれだけ便利な社会になるだろうか、と大きな夢を描く。しかし、幸か不幸かこの自然(地球)とともに進化してきた人間はそれほど器用な生き物ではない。便利だからといって自動車に乗るだけの生活では歩く(走る)生活が人間の本来の姿であるから、どこか(体)に変調をきたし、高価で栄養満点の食事を毎日とっていれば、もともと粗食で足りる体のどこかにやはり変調をきたす。進化の過程で身に付けた生き延びる能力(自然環境に適応する)を不必要、不要な社会にしたけれど、体の構造(機能)は昔のままである(百年ぐらいでは変わらない)。 最近の日本の子供達は「どこかおかしい」という話しをよく耳にする。それと同時に「これではいけない。もっと学校教育を充実させる(授業時間を増やす=きびしくする)」と文部省は言っている。そこには、子供本来の姿(長い人類の歴史で子供とはどういうものであるか)という視点がない。これから先の将来、日本(地球)がどうもおかしくなっていくようだ(社会も環境も)、という考え(不安)がいつもエラソウな事を言っている私だけでなく大勢の人達にある。これはまだ人間の持つ(将来の危険を察知する)能力を失っていない証だと思う。人間の歴史の教訓「おごれる者は久しからず…」の例の通り、バブル時代にさっさと幕を下ろし、当時関係のあった指導者は退き、その後(二〇年か三〇年後)、歴史の検証(バブル期の)が行われて、バカな(優秀でない)指導者により、「かなり長い間、人間の本来の姿(長い進化の過程を無視した社会があったが、その後人間本来の姿を基盤とした社会)がつくられた」となってほしいものである。 * 今回は、最初から最後までエラソウな、夢みたいな話(実現しそうもない話)を書いてしまった。どこからか「そんな事を考えるヒマがあったら仕事しろ! もっと生物学を勉強しろ!」という声が飛んできそうだ。 |
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