河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日の五十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第十九回 「芥川賞小娘受賞騒動にいちゃもん」

自衛隊員を乗せた車が動き出すと、それを見送るための群衆から一斉に日の丸の小旗がふられ、「ガンバレヨー」の声援が周囲に広がっていった。
戦闘服に身をつつんだ自衛隊員「私は戦いに行くのではない。安全な所へ人道支援に行くのです。」
隊員の家族、涙ながらに「とにかく死なずに帰ってきてほしい。」
(やっている事も、言っている事もさっぱりわからない)、ただその中に阪神タイガースの応援旗をふっている人がいた(となれば、私としては少しは救われた気分になれただろうが、そんなことをした人間がいたら周囲から国賊として袋ダタキにあっているだろう)。この光景を見ていた私の母親(八十六歳)が「長く生きていて、今またこんな光景を見ようとは思わなかった。」とタメ息をついた。
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ところで、こんな光景が連日のように新聞の一面トップをかざっていた日々に、突然二人の若い女性の写真が大きく載った。モーニング娘(その名前しか知らない)が、またメンバーを交代したのかな、と一瞬思ったが、いくら今頃の新聞はダラクしたとはいえ「そこまでは」、と記事を読んで見ると、「純文学の最高峰、芥川賞に十九と二十歳の女性が選ばれた」と。さらに記事を読んでいくと、芥川賞というのは文学を志す人間(作家)にとってはすごい賞であり(それくらいは私も知っていた)、今回受賞した二人は以前より才能が注目され、これまでに出版された作品はすでに数十万部売れ…、とお褒めのことばが続き、最後の方に賞金百万円を贈られるという事であった。私「うらやましい(ただし百万円)」。
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ところで、「純文学の純とは何ぞや」、またいつもの悪いクセが出てきた。「純」があるのなら「不純」もあるのだろうか、いや聞いたことがない。ならば誰れか「不純文学」の賞を造ってくれないかな。小沢昭一あたりが審査員になって(でもあのじい様は若い女性に甘いから気をつけないと、受賞者は「若い女性に限る」となるかも)、そして賞金は芥川賞よりも高く「百万と一円」とし、授賞式も書評も一切なしで、受賞者にはある日突然百万と一円だけがポンと本人に届く。こんな賞があれば私など机の前に「メザセ!百万と一円」と大きな張り紙をして日夜文筆活動にハゲむのだが。
純文学も不純文学(?)も、要は読者が面白いか面白くないか、本屋(出版本)がもうかるかもうからないかの話である。でも、それだけでは作家として有名になった人間がもの足りない(箔をつけたい)から、頭に純をつけたのだろう。
近頃、若者が勝手に自分達で日本語を短くしたり、造ったりして「日本語が乱れてきた」と学識経験者なる人達が嘆いている、という記事があった。この学識経験者、文化人、知識人という訳のわからない多くの言葉も、これらの人達(知識人…)が勝手に使っているだけで、純、不純、近頃の若者言葉と同様、さほど意味のない言葉である。
まあ、今回の芥川賞作家が文学界の将来の期待の星であり、若い世代の「本離れ」に歯止めになる(本当かな)と言われるのはいいけれど、本を読む時間があって、本を買うだけの金を持って、余裕のあるのは私達より上の世代である。金もうけを考えるなら、この先期待はできなくても、酸いも甘いも、純も不純も知っている「小説家なんてサギ師と同じである。有りもしない作り話で他人から金をまきあげる奴ら」と言ってはばからないような人(ただし、どこかの大統領の有りもしない大量破壊兵器の作り話で罪もない市民、子供を死なすような輩はサギ師の風下にも置けない)の芥川高齢者賞(略して芥川ジジババ賞)を設けたらきっと本も売れるだろう。そして、受賞者には百万円相当の「墓石と戒名」を贈る、としたらどうだろう。
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さて、天下の芥川賞にケチをつけるのは「お前は、二十歳そこそこの小娘が大金を手にしたのが、それほどうらやましいのか」と私の本心を見抜かれたようだが、どうもそれだけではなさそうだ。
私の若い頃(二十歳前後)の、知識を身に付けるだけの学校の授業や受験勉強、ああでもない、こうでもない、結局大して意味のない難しい文章を読まされて、若者の感性をないがしろにされてきた事を今になって思えば、彼女らにケチを付ける理由などないようだ。
そして、今回のいやな戦争の記事の続くなかに載った彼女らの、この写真を一服の清涼剤として見なせばいいのかもしれない。
だが、ひねくれ者と言われている私(若い頃から親に「お前は物事を斜めに見るクセがある」と言われて来た)には、何かチグハグな、何かがちがう、どこか引っ掛かるもの(いい表現がない)がある様に思う。
私達の青春時代に当時作家といわれ活躍していた人達は、戦争という事態に好むと好まざるとに関わらず、あらゆる面で大きく影響を受けてきた人達であり、読み手であった私達も、その事(戦争にいかに関わったか)を問題にして来たように思う。それが証拠に、この年になった今でも、私にとって好きだった本(たいして本は読んでいないが)は、小林多喜二の『蟹工船』と、レマルクの『西部戦線異状なし』である。前者『蟹工船』は、その思想性はともかく、荒れ狂う北の海の状景や、その過酷な条件下で働く人達の荒々しい息遣いまでが伝わってくるような文章で、この作家(小林多喜二)とはどんな人物だったのだろうと調べてみた。

  小林多喜二:プロレタリア文学の代表的作家で、『蟹工船』、『不在地主』などの作品で、プロレタリア文学の旗手として注目を集める、非合法の日本共産党に入党。地下活動に入るが、昭和8年、築地署内で特高の拷問を受け虐殺された。享年三十歳。

という事を知り、「なんでこんな作家が若くして死ななければいけなかったのか」という怒りと同時に、同時代の作家と言われた人達が、このような人ひとりも救う事ができなかったのか、と思うと、余計に腹が立った。「クソッタレ! まとめて肥溜めに放り込め」(その当時の私の怒りの表現)
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また、レマルクの『西部戦線異状なし』はドイツの何の屈託もない一人の青年が戦場に送り込まれ、やがて、肉体的にも精神的にもボロボロになり、最後は自ら選ぶかのように死に到る。それでも戦争というのは、一人の人間の死など何の意味もないかのように、「西部戦線異状なし」で、この小説は終わる。この小説の文章のうまさ(翻訳のうまさ)と、そしていかに戦争というものが、一個人の苦悩と死を意味のないものにするかを、最後の言葉(西部戦線異状なし)で締めくくったすばらしさに感動し、この小説を読めば「だれもが戦争のバカらしさを知るだろう」と思ったのだが、実はこの戦争の舞台が第一次世界大戦で、それからまもなくさらに悲惨な第二次大戦が起きた事に気付き、「人間は何とバカな生き物なんだろう(自分もその人間だが)」と憤慨した。
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あれから半世紀あまり、今また「この先日本はどうなるんだ」と、この中年(もう老人か)のオッサンが大風呂敷を広げても、「お前の社会批判(政治批判)は面白くない。今の若い人は政治の話に興味はない」という龜鳴屋の主人の声が聞こえそうなので、これ以上は書かない方がよさそうだ(本当は私もよくわからない)。ただ、今わからなくとも、興味がなくとも、好むと好まざるとに関わらず、政治のあり方は個々の人間の身に降りかかってくる。今回受賞した若い女性のファッションに、次期総理大臣の呼び声高いタカ派の石原慎太郎(芥川賞審査員)がケチを付けたのに対して、彼女に何の反論もなかったのは残念である。せめて「ファッションの事もわからぬジジイが私のセンスにイチャモンつけやがった」ぐらいの暴言を吐いてほしかった。

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