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河崎 徹 | |
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日の五十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。 |
第二十一回 「リンゴの贈り物」 |
少し前の話しになるが(去年のクリスマスの前々夜)、当地金沢にイラストレーターの和田誠、平野レミ夫妻がやって来た(と後で龜鳴屋店主勝井君に聞いた)。それは、金沢のある所(喫茶店もっきり屋)でジャズ演奏会があり、映画や音楽にまつわる和田さんのトークと、それにあわせてピアノ演奏を聞く会で、最後には奥さんの平野レミさんも歌って楽しい一夜を過ごされたそうだ。 実は、この演奏会に勝井君も「一緒に来たらどうだ」と知人から誘われていたらしい。彼は彼なりに行こうか、行くまいか考え、悩んで結局その会に出席せず、そのかわりにリンゴのプレゼントを会場に届けた、という事だった。 ここから話しがややこしくなる。彼の龜鳴屋が最近出版した『幻の猫』のあとがきを和田誠氏に書いてもらった、という経緯があり、演奏会を聞きに行った周りの人間達から「和田さんに会って、一言その時のお礼を言うのがスジだろう」とか、「有名人に会えるチャンスを逃してバカな奴」とか、散々言われたらしい。 私もダンナの和田誠さんの方は名前しか知らないが、テレビでよく見ている“いつも元気な”平野レミさんの本物は見てみたかった。 彼女は、果たして料理がうまいのか、また、若いのかそうでないのか、本当に陽気なのか単に“…”なのか、不思議な人である。私が若い頃から座右の銘としている「おもしろき事のなき世をおもしろく」という高杉晋作の辞世の句のように、「人生くよくよしても仕方ないジャン」と思っているように思えるのである。 話しが少し横道にそれたので元にもどすと、確かに彼にとって、こんな地方に住んでいて有名人に会えるのは千載一遇のチャンスとわかっていたはず。しかし、会えば、しっかりと挨拶をして、気の利いた一言も言わなければならないだろう。それができないから、考えあぐねた末に「リンゴを贈った」のである。 周りはドジ、アホ、マヌケと言うが、彼と同じ土壌(裏日本、北陸)を持つ私としては、それを「シャイで恥ずかしがりや」なだけ、と弁解したいのである。そんな事がそつなくこなせる位なら、この薄暗い冬の裏日本の金沢で、コタツに入って売れるか売れないかわからない本を一人で黙々と造ってなんかいないだろう。私も含めて裏日本の人間は、一般的に言って表日本より、何事につけても「一歩さがって」という所がある。その裏日本でも、北陸の人間はもう一歩さがり、ましてや能登出身の彼はさらに一歩、あわせて三歩さがって気が付いたら崖下に転落しかけていたという人間である(彼の実家の近くには、松本清張の作品で自殺の名所となっている断崖絶壁がある)。それでも、その最後列からしぶとく「何か言っている人間がいる」というのが、私や彼の存在意義である(勝手にいっしょだと決めつけていいのかな)。 今回の彼の、「それならばリンゴを贈った」というのも、結局は出席者の「ごちそうさま」だけで終わってしまった様だ。しかし、実はこれには彼なりの演出があったという(私はそれを粋なはからいと思うのだが)。その演奏会の前宣伝にヴァン・ヒューゼンの曲を演奏する、とあったのを見て、ちょうどクリスマスの頃だし、この人が音楽を手がけた『ポケット一杯の幸福』というリンゴ売りの老婆が主人公のクリスマス定番映画があるので、和田さんがきっとその話をするだろうと踏んだ彼が、リンゴを届けたのである(和田さんが以前好きな映画に挙げていたそうで、貧しいリンゴ売りの老婆が可愛い孫のため仲間といっしょに大富豪のふりをしてクリスマスを祝うという、暖かくも切ない物語だという)。 残念なことに当日その話や演奏はなく、リンゴの演出はだれにも気付いてもらえなかったというのが事の次第である。まあ、粋なはからいとは得てしてそういうものだろう。あれやこれやと思いあぐねてやった事が相手に通じない、これはこの種の人間にとっては日常茶飯事なのである。ただ、人はそんな失敗ばかりしていると、やがてそんな面倒くさい事はやらなくなり、特に年を重ねていくと実利的な事にしか目が向かなくなる。イイ年をして、まだ「無駄」な事をやっている彼だから、私も応援したくなる様だ。 前回、『幻の猫』が売れますようにと私が感想文(お世辞文)を書いたが、「あんなものは感想文ではない」と読者から言われ、また勝井君からは「あれはあれでいいから(どういう意味だろう?)、次回はちゃんとした感想文を書いてくれ」と言われた。しかし、日頃からロクに本を読まず肉体労働専門の私には、それは無理な事だとわかった。それで、それならばと今回は、龜鳴屋店主がいかにドジ、アホ、マヌケであっても、未だに「粋」のわかる人間であるかを書いてみた。これで本が売れるようになるだろう。“マチガイナイ!” |
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