河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日の五十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第二十二回 「ただ者ではない」[龜注付き]

突然、龜鳴屋勝井君より電話があり、「デスペラーズというホームページに河崎さんと私の事が載っている」との事。 [龜注:「デスペラーズ」というのは、アカペラグループじゃありません。赤坂のモルトバー「ですぺら」のことなんですが、河崎さんにそういったのに、こう書いてきた] 私「デスペラーズってどうゆう意味?」、勝井君「“絶望”かな」、私「今はやりの自殺願望の人達のホームページで、ワシにいっしょ に死んでくれ、という事か」、「ちがう、ちがう。うち(龜鳴屋)の本をいつもお店で売ってくれている人で…」と10分ぐらいガスペラーズ [龜注:これも当然「ですぺら」なんですが、今度はデスがガスに変格活用している] とワタナベさん [龜注:「ですぺら」のご主人、渡邉一考さんのこと] の説明が続いた。
私「ところでホームページとはどんな仕組みや?」と、また彼の説明が続くが少々いらいらしている様子。私「それじゃ、帰りにお前の家に寄るから、くわしい話しはその時に」、彼「わかった。その記事をプリントしておくわ」。実は、インターネット上に私のコー ナーがあるらしいが [龜注:ずっと昔からあります。もう二十数回も連載してるのに、あるらしいとは…] 、これは勝井君が私の店の宣伝を兼ね造ってくれたもので、私が持っていった原稿(彼しか読めないきたない字)を直して載せてくれているらしい。私はこれまでパソコンはさわった事がない。昔から(若い頃から)パソコンとうるしの木には近づ かない事に決めているのだ。

さて、我が家に帰る途中、龜鳴屋兼・勝井家(逆か)、勝井家兼・龜鳴屋に立ち寄り、プリントしたものを見せてもらう。私の事も、勝井君の事も好意的に書いてもらっている分にはありがたいのだが、何せむずかしい漢字が多くて困った。裏日本が禁止用語(差別用語)なら、当用漢字(これでも私には読めない字がいっぱいある)以外を使うのも禁止してほしいものだ。もっとも、私は表より裏の方が昔から好きである。週刊誌はいつも裏の方から読むし、藤田まことの必殺仕事人の「ムコ殿」の裏稼業は私のあこがれでもある。
そ れからほめ言葉の『勝井君はただ者ではない』は確かに彼はただ者ではない。私と同様「変わり者」である。いつぞやも「なんじゃいなあやしげ」 [龜注:これは誰のことかと言うと、編集者でライターの南陀楼綾繁さんのこと] という同業者のホームページにも「彼はただ者ではない」と書かれていた(その時は「ほめ殺し」と思っていた)。
彼も 私も大学中退、その後色々あって現在彼は本造り、私は魚造り(養殖)、その間二人ともロクな収入を得ていないし、二人ともつれ合いの収入をあてにして延々と今も仕事を続けている。これを「ただ者でない」というか、「変わり者」と言うかは彼の奥さんの判断を 仰ぐしかない(我が家ではとっくの昔に結論は出ている)。もっとも彼の場合、出身が私(金沢)よりさらに田舎(能登)で、現役で [龜注:だから浪人してたっていってるのに] 早大に入学したのだから、当時は周囲からやはり「ただ者ではない」と言われていただろう。だがそれも昔の話しである。
まあ若い時 ならシャイ、内気で個性的なといえばデェームスデーン [龜注:かつてジミーをこう表記した者があったであろうか] や赤木圭一郎(古いな)を思い浮かべるが、現在の彼(と私)は融通の利かない人間ぎらいのガンコなおっさんである。前回あまりに周囲からドジ、アホ、マヌケといわれていたので、見るに見かねて「どんな人間 でもいい所はある」という私の持論をむりやり持ち出した訳である。
ついでに私は、と言えば、一浪して金大(金沢大学)に入り、当時の大学紛争に巻き込まれ、母親とはケンカの毎日で「こんなヒネクレ者に育てた覚えはない」といわれ、中退して「そのうち働くか ら」といっていたら、「兄弟の中でお前ほどナマケ者はいない」とかいわれていた。今現在は母親も九十近くになり、ケンカをする事もなくなったが、たぶん私の事を「オタズネ者にならなかっただけヨシとするか」ぐらいに思っているだろう。

ところで、指摘されたように貧乏で内気となれば、一歩下がって余計な事はせず(言わず)、「みなさまのおかげでかろうじて生きています」となるのがマトモな人の生き方であろう。貧乏なら「文章を書くヒマがあったら働く」とか、「内気で社会的地位が低ければ エラソウな事は言わない」とかなってもいいようだが、そこがそれ「変わり者」、そんな境遇ならでしか見えない(言えない)事が見えてくるし、私がそんな視点から文章を書くから少々の意義がある、とこれまたエラソウな事を言って文章を書いている。それがマ ゾヒストだと言われるならその通りであろう。痛めつけられたのが快感になったのだろうか。彼(勝井君)も、私にドジ、アホ、マヌケと評されたにも関わらず、密かに私の文章を直してホームページに載せるあたり、やはりマゾシスト [龜注:エクソシストとごっちゃにな っているみたいだが、本人はマゾヒストのつもり] だからつらい事に耐えられるのかもしれない。
最後に、マゾ、サド、暴力性、自虐性、残虐性…を持った人間が、勝手気ままに世界中に向けて言いたい放題を放出するインターネット、それがいいのか悪いのか私にはわからない。ただその事を時間をかけてゆっくりと検証する間もなく次から次と(インターネット に限らず)便利なものが生み出されていくのに、私はどうも付いていけない(人間の体の構造は数世紀前とほとんど変わっていない私だけではない)。こんな事を言うと、どこからか「だからお前は時代遅れと言われるのだ」という声が聞こえてきそうだ。

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