河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日の五十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第二十四回 「社長のアンタにはわかるまい」

「私は今日まで生きてみました。私は今日まで生きてみました。私は今日まで生きてみました。そして今、私は思っています。明日からもこうして生きてゆくだろうと。」 これは、確か三〇年ほど前に歌手の吉田拓郎が唄っていた歌の一節である。
その当時の私は、毎日この一節だけを唄っていて、周囲の人達に「そんな歌詞に何の意味がある」と、よく言われていた。それでも、その当時の私の虚無的(たぶんポーズだったと思う)な気分にピッタリだったのだと思う。

先日、本棚の整理をしていたら、数年ほど前にベストセラーになった森永卓郎の『年収三百万円時代を生き抜く経済学』という表題の本が出てきた。たぶん、周囲の誰かに「読んで参考になった」と、すすめられて買ったか、借りた本だと思う(私も読んだような記憶がある)。私の周囲には、比較的老後に対してしっかりとした貯え(年収三百万ぐらいの年金生活ができる公務員退職者)がある人達もいる。そういう人達には、いい本だった様だ。ただし、わたしの知り合いには、(私も含め、例えば龜鳴屋店主とか)まだ現役ながら、そして老後もたぶん三百万には到底達しない人達も多い。そんな人達からは、読む前から(本の表題を見て)、「わしら、年収三百万ももらえればオンの字や。何の不満もありません」とか、「年収三百万、週休二日、酒、タバコ飲み放題(三百万でそこまでできるはずないだろう)。これが、わしの理想」とか。それでほとんどの人は本の中身は読まず、私も込めて、年収三百万以下の人には不評だった。

さて、次の話しは、落語家の古今亭志ん生のこと。この人は、有名になるまで(なってからも)大変貧乏で、有名(得意)なのが、その当時の壮絶な暮らしに基づく貧乏長屋の噺。その彼が、常日頃言っていた言葉が、「貧乏はするものではなく、味わうもの」である。たぶん、彼も貧乏して苦しい思いをしただろう。だが、その貧乏だった故に見えてきたものを芸の足しにしたのだろうと思う。これが、金に困っていない人間が「金なんてあってもなくてもどちらでもいい、貧乏も楽しい」なんて言ったら、しらけてしまうだけである。
話しがいつものように大げさになるが、小泉、安部、麻生の二世議員が「公平な競争社会」なんて現実離れした事を言うが、自分が政治家の家に生まれて、あの鈴木宗男議員が言う様に「地盤、看板、カバンのない一般人が政治家になるのが、今の社会ではどれほど大変な事か」という苦労はわからないだろう。
私も若い頃、生活のため、近所の中学生を集めて勉強を教えていたが、子供達のだれも勉強なるものを好きでやっていない事に気付き、「勉強ぎらいなら、高校なんかいかなくていいではないか」と言ったら、みんなから「そんな事をしたら結婚もできない。だって先生(私)みたいに大学まで(中退だけど)行った人がそんな事を言ってもダメだ」と、逆に説教された。それ以後、そんなエラそうな事は言わない様にしている。

さて、何が言いたかったかと言えば、私の仕事場に来て、「まだ訳のわからんムダな事(文章を書く)をして、仕事さぼっとる」というYさん(としておこう)が言うように、人は年齢によって、所得によって、社会的地位によって、感じるもの、見えるものが違っていて、私の書いている事が読む人すべてに面白いなどという事はないだろうし、又、期待もしていない(社長のアンタにはわからんだろう)。金なし、地位なし、・・・なし、から見えてくるもの(事)を書いているつもりでいる。
ただ、惜しむらくは、我が家の家族にすら読んでもらっていないという事である。「父さんのは、そんなカッコのいいもんじゃない。単に憂さ晴らしで書いているだけ」と、もうとっくに見透かされているようだ。

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