河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日の五十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第二十五回 「乗り過ぎは健康を害するおそれがあります。
乗り過ぎには注意しましょう。」

ある日の夕方、久しぶりに帰ってきた娘と親子三人でファミリーレストランに行った。入店するや若い店員(女性)が「いらっしゃいませ。三人様ですね」と言って、更に「おタバコを吸いますか、吸いませんか」と店中に聞こえるような大声でさけんだ。私には「お客様はイイ人ですか、悪い人ですか」とたずねられている様に聞こえた。フト、店の片隅をのぞくように見ると、私ぐらいの中高年の数人がふてくされた様子でタバコをふかしていた。久しぶりに親子で来たのに、「悪い人のコーナー」に座る勇気もなく「吸いません」と言って、「イイ人達の席」に着いた。それにしても「お客様…」と言うなら、もっと小さな声で聞くとかの配慮があってもいいだろうし、数十年間、一日も欠かさず税金(タバコ税=高率)を払ってきた人間をそんなに無下に扱うものではないだろう。

ところで、この頃ではダメ人間の目安の一つになっている「タバコを吸う」様になったのは、わたしの場合、いつの頃からだったろうか。記憶をたどると、それは学問をする気もないのに、「船乗り(遠洋航海)になって世界一周したい」という不純な動機で、北海道(なんとなく若者にはいいイメージがあった)の大学の水産学部を受験することになった。あこがれの北海道で受験できると思っていたら、実際の試験は東京のどこかの私大で、この田舎者は生まれてはじめての東京へ向かった。受験場になっている大学に着いてビックリした。私のように丸ボウズで学生服姿の受験生はほとんどいなかったと思う。ブレザー姿、セーラー服(たぶん水産高校)の受験生がほとんどで、私が一番おどろいたのは、その大学の前の広場で、受験開始時までたむろしていた学生の多くが、もうタバコを吸っていたのである。もう受験する前から小心者であった私は気後れしてしまった。結果は言わずもがな、で働く気のないこの学生は一浪する事にした。一年間、十分時間があると思い、まず髪を伸ばし、おやじの危なかしげな背広の上着を着て予備校へ通い、毎日タバコをスパスパ吸い、半年ぐらい経った時点で「これで気後れする事もなかろう」と、ただ今回(一浪後)は、一期校(当時は一期校と二期校があり、国立校は二度受験できた)で前回落ちて縁起の悪い北海道をやめて、地元の大学に受験して合格が決まっていたので、二期校は鹿児島の大学の水産学部にした。受験場の大学に着くと、案の定、学生服姿の学生は少なく、しかもタバコスパスパ、私も負けずにタバコスパスパ、そして、試験が始まって、これも前もって決めていたのだが、誰よりも早く(一番に)答案用紙を出して室を出た。
そんな不謹慎な受験態度にもかかわらず、合格してしまった(試験なんて、そんなものだろう)。ただ浪人中に三日間ほど船(漁船)に乗って、自分が特別船に弱い(船酔いがひどい)事を知らされ、又、我が家の事情もあり、結局地元の大学へ入る事になった。

さて、この様に私たちの時代はタバコを吸う=大人の仲間入り、という感じだった(バカバカしいと言えばその通りだが)。とりわけ、映画スターの洋モク(外国製タバコ)をくわえ、カッコイイ外車(外国産車)に乗ったポスターは「カッコイイ」そのものであった。それが今では、カッコイイ「スター」は外車には得意顔で乗るが、タバコをくわえたポスターはない。私の様に、我が家の子供さえ乗りたがらない「キッタネー」車にタバコをくわえて乗っているのは「さえないオッサン」の典型である。がしかし、体に害のあるものを吸い、さらに他人にも害を与えて、とよく言われるが、カッコのイイ車の方はどうなんだ。排気ガスはタバコ以上に体に害はあるし、地球の温暖化の原因でもある(今回はその事はふれない)。さらに、最も悪い所は、それは車によって歩く事をしなくなった、という事である。政府機関の発表によると、国民の健康を害するワースト3は、第一位が運動不足(歩く事がなくなった=車社会)、二位が食生活(カロリーの摂り過ぎ)、そして三位がタバコである。
考えてみれば、今の私達より数世代前までは、食べものを手に入れるために朝から晩まで歩き回っていた。それでもロクなものしか手に入れる事ができなかった(カロリー不足)、それが現代はどうであろうか。人間の体(ほかの動物も)というのは、自然の中でいかに食べものを口にする事ができるかという点で進化してきた。一日中歩き回ってもいい体と、ロクな食べものが手に入らなくても(雑食)でも耐えられるDNAを残して、この地球上で繁栄してきた。それがここに来て(現代)、急に人間らしくない生活をしだした。歩く事なく車に乗って、仕事で一日中パソコンの前に座り、夜おそくまで仕事をして、カロリーの高い物を食う。おかげで精神までおかしくなった(健康な肉体にこそ健全な精神が宿る−−少々ウサン臭いが)。「おまえのタバコを吸う言い訳のため、そこまで車の悪口を言う訳、おまえがタバコをやめられないのは、単に意志が弱いだけじゃないの」まったくその通りである。高級車に乗って運動不足になっている人間に同情している訳でもない。ただもう危機的状況になりつつある環境(温暖化)、人間の体、それを「タバコ、タバコ」と目のカタキとして弱い者いじめをして、一番やらなくてはならない車から目をそらしている事が気に入らないのである。
私も車に乗っている(オンボロだが)。そして、今の社会を支えているのは車社会である。この車社会がこわれていったら、日本は(どうせなら世界と言っておこう)どうなるだろうか。又、その時私はどうなるだろうか。たぶん、「そん時はそん時、なんとかなるだろう」という今の生き方(たぶん失うものが少ない)からすれば、やはり「なんとかなるだろう」。そん時(十年後、何十年後)この窓からながめる街の風景はどうなっているだろうか。広い車道には、ほとんど車は走らず、たまに走る高級車の車体の横にタバコと同様「乗り過ぎは体を害する恐れがあります。乗り過ぎには注意しましょう」と書いてある。その道路の片すみで「未だ車に乗ってるバカな奴がいる」といいながらタバコを吸って「ところで養魚場へ帰るのはどっちだったかな」といっているボケ(認知症)の老人が立っている。

「トウサン、なにボケッとしているの。早く注文して」「久しぶりに肉でも食べるかな」「タバコもよくないけど、年寄りには肉もよくない」という娘の適切なアドバイスが返ってきた。

追伸
「タバコがまた値上がり」。国家予算編成に際して、どうしても財源が足りない時「いざという時のタバコ頼み(神頼み)」という言葉があり、今回もそれによって財政難を切り抜けようとする。国民の皆さん、恐れ多くてタバコ飲みには足を向けて寝られないでしょう。

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