河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日の五十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第二十六回 「あの時だれかホメていてくれたなら」

「いつもヘタな文章を読んでいただきありがとう…」
これは(この文面は)、いつも龜鳴屋のホームページの中にある私のコーナーを読んでくれて唯一感想を言ってくれる、そして龜鳴屋の本をいつも買ってくれているワタナベさんに、そのお礼にと、私の所で作っている商売物の佃煮を送った時の添え状である。

「勝井とワシの名前でこれ、送って」と勝井宅(龜鳴屋)に佃煮を持って行ったら、「俺も書くから、河崎さんも何か一筆書いて」と言われ、そこで添え状の書き方を教わった。「河崎さんは自分をへりくだった事がないから仕方がない。今回は俺(勝井君)が考えよう」と、いつも優しそうな奥さんと二人で、いとも簡単に、しかも楽しそうに「いつもヘタな文章を読んでいただきありがとう…」の文が出来上がった。
とっさにこんな文章がスラスラと出てくるあたり、「さすがこんな出版業なんて仕事をしている人間は違うな」と感心して、龜鳴屋を後にする。
が、しかし、車を運転してしばらくして、「待てよ、勝井が私に成り代わってスラスラと書いてくれた文章(へりくだった文章)は、彼がいつも私に言っている『自分の思っている事を素直に書く』様に、実は常日頃、私の文章を読んで思っていた気持ちを素直に表現したものなのではないのか」と気がついた。
まあ、仕方がない。その代わり、次回は私が龜鳴屋の添え状を素直な気持ちで書いてやろう。「いつも売れない本を買っていただきありがとう…」。

さて、みっともない痴話喧嘩の話しはさて置き、ネットでワタナベさんの「ですぺら」掲示板を読んだ勝井君から(私はパソコンを持っていないし、使い方も知らない)、「河崎さんの俳句の事が書いてある」という連絡があり、その写しを見せてもらった。そういえば、何年か前まで、確かに俳句らしきものを載せていた記憶がある。けれど、改めて“私の俳句”を読んでみると、自分で書いた様でもあり、また、こんな句を書いたっけかな、というのもある。それに、私は自分の書いた原稿はすぐ捨ててしまう(字が汚いから後で読み返す気がない)ので、確かめようがない。別に格好をつける訳ではないが、私の俳句は、この文章のように、釣り場で釣りをしながら釣れなくてヒマな時、目だけは竿先を見つめ、頭の中は文章を考える、という雑な作業とは少々異なり、自分だけの世界(少々気持ち悪い世界)なので、「期待しているから作れ」と言われても…。それにその当時の俳句を載せていた時期、他の同人誌にも載せていたと思うのに、だれ一人として、全く何の反応もなかった。私の趣味の釣りの場合は、他人や家族が全く興味を示さなくとも関係なくやり続けてきたが、文章を書く(俳句を作る)というのは、どこか不純な動機(学校教育のせい)があるのか、全く相手にされず、それでやめてしまった様だ。あの当時、お世辞でもいい、「あなたの俳句を読んでいます。 ○○子より」とあれば、たぶん今も続いていただろう。また不純な動機が出てくれば始めるかもしれません。

次にワタナベさんの文章は難しい言葉が多く、その意味がよくわからないのですが、どうもお前(私)は虚無な生き方をしているような書き方をされているけれど、それはただの見せ掛けだけで、未だに色即是空(色とは色恋沙汰―私の勝手な解釈)など、とんでもないと思っている。また将来の夢もある。もし龜鳴屋の本が沢山売れてもうかったら、私が県内一の老舗旅館“加賀屋”(一泊最低でも5万円ほど)に執筆のためと称して龜鳴屋の名前で滞在し、一日目は知り合いを大勢集めてドンチャン騒ぎをし、二日目は文豪気取りで室内に豪華な食事を運ばせ、三日目はこれまた書くそぶりをして立派な庭などを散策(露天風呂などのぞいたりはしない)し、そしてその夜「この旅館では私は書けない」と書き置きを残して非常階段から逃げて姿をくらます、という壮大な計画もある。勝井君は嫌がっているが。
現在ではタマに鏡を見れば、頭の方も少々さみしく、歯はガタガタだが、もう少し歳を取れば山崎努や仲代達矢のようなシブイ男になれるのでは、と期待している。いずれにせよ、言う事(書く事)だけは自由だから、ワタナベさんには会わない(会えない)事をこれ幸いに大風呂敷を広げたり、たまには閉じたりして、適当に書いていこうと思っています。

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