河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日の五十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第二十九回 「1周(2周)遅れのトップランナー」

金沢(石川県)の人間を他県の人が評して言うのに、「おだやかな半面、芯の強い所がある」とか、「時代に流されないで、伝統文化をしっかりと受け継いで生きている」とか言われているそうな。私には、どうも「そんなカッコのいいものではなかろう」という思いがあった。
そんな折、他県出身者の知人と話している時、「金沢の人間とは、1周遅れのトップランナーという言葉で言われているが、お前(私)を見ているとピッタリ」と言われた。私もその言葉がいたく気に入り、私「これから自分の事を聞かれたら、これを使わせてもらおう」と言うと、知人「ほめ言葉じゃない。そう言われて喜んでいる様では、もはやお前は2周遅れのトップランナーだ」と言われてしまった。

1周(2周)遅れのトップランナー。たぶんその例えは、もう、1周(2周)遅れてしまっているのに気づかず、図々しくもトップランナーの様な顔をして走っている奴、という意味だろう。やっぱりいい例えだ。

去年の1年を通しての日本の有様を現わす言葉は「命」だった(私は「恥じ」がいいと思ったが)。今年は「遅れ」になりそうだ(なったらいいな)。

年明け早々、金沢人の悪口(?)を言ってしまった様だが、どうせ伝統文化を大切にする様な人達は、私の文など読まないから気にする事もなかろう。

さて、1周(2周)遅れた人間は、この先どう走ったらいいのだろう。もう勝負は着いたも同然。今さらガンバッテも仕方ない。かといって、途中棄権する勇気もない(観客の目が恐い)。しんどいけれど走り続けるより仕方がない。だったら、観客の中に美人がいないか、ゆっくり走る事は体にいい事だと思って走ろうか、それとも走り終わった後の一杯のビールを思い起こして走ろうか。

話しは現実にもどるが、一昨年前頃から私の仕事場に、私より先にゴール(定年)して、賞金(退職金や私の今後より何倍もの年金)をもらう人々が訪ねてくる。私(まだ仕方なしに走っている)にすれば、うらやましい限りである。だが、ゴールテープを切るためだけしか考えていないので、よそ見(周囲)をして来なかったし、テープを切った後の事まで考えていなかったらしい。あまり私とは話しが合わない。
中には、まだ余力があるから走り続けたいのだが、会社が「もういい」と言ったとしょげている奴もいる。「そんなこと、私の知った事か」と思っても、口には出さない。

ついこの間まで“人生50年”と言われていて、定年になったらあとは死ぬのを待つだけの時代だった。だが、これからは“定年後”をいかに生きるか問題になってきた。先にゴールイン(定年)になった人に新しい年寄りの生き方を考えてもらおう。
ただし、現役時代成功した人(金持ち)には期待しない方がいい。日本人に最も人気のある(?)古典『徒然草』で兼好法師は「富める者でかしこき者はごくまれである(金持ちのほとんどがバカである)」と書いている。かと言って、私も含めた貧乏人が利口であるかと言えば、これまた疑問であるが、金持ちの現状維持よりは、これから新しいものの考え方をしようという期待はできそうである。

最後に今年(これから10年間)のKey Wordがなぜ「遅れ」かと言えば、地球環境の危機的状態を改善するには、経済発展の「遅れ」しかなく、人間本来の生活パターンも「遅れ」が必要だと思う。

「お前の様に、みんながゴールインした後、一人だけで1周(2周)遅れで走っているそんなみっともない姿を周囲にさらすのだけはいやだ」と定年になった男、私「御尤もな意見です」


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