河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日の五十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第三十回 「冬の日に」

今年の冬は暖冬だった。いや冬がなかった。この地(里山)に来て三〇年以上にもなるが、こんな年は初めてである(一月中は積雪〇)。雪の少ない年もあったが、そんな年は「今年の冬は暖かくて楽な年だ」と単純に喜んでいた。でも今年は誰れもが「何か変だ、このままでいいのだろうか」と言っている。この地のいつもの年の今頃は、秋に枯れ葉が大量に地面に降り積り、それがやがてこれ又、大量の雪に押しつぶされ、徐々に地にもどっていく。ところがその雪がなく、そこに少し風が吹くと道路に積った枯れ葉が舞い上がり、これ又、いつもは白一色の田んぼが茶色の地肌を見せ、そこをゆっくりと純白のウサギ(冬毛)が、いかにも「私(ウサギ)、ここに居ますよ」と走る様は、やはり変だ。雪の多いこの場所に来てからずっと、心、体とも「いよいよ冬か」と自分に言い聞かせ、ギアチェンジして冬を受け入れてきた。そして又「冬来たりなば春遠からじ」とも自分に言い聞かせ。

雪の多い(冬のきびしい)所に住む人は、たぶん皆そうであろう。気候のいい春秋には、そんな決心はないだろう。それ故「これが冬か(暖か過ぎる)」という今、ストーブもつけず、窓すら開けて「去年の冬は、その前の冬は」と思いめぐらすと、これまでの冬の出来事がなつかしく色々と浮んでくる。

私が「いよいよ冬が来たか」と腹をくくるのは初雪の日である。ただそれは悲愴感だけではない。その日仕事場(里山の養魚場)に着くと、なんとなくすっきりとした気分になる。それは池(養魚場)の周りに散らばる色んなガラクタ(ゴミ)が真白な雪でおおい隠されて、無精者の私には「これで来年の春まで何もしなくて済む」という気になれる。又そのガラクタの隠し方が実にうまいのである(時には必要な物も隠されるがそれは仕方がない)。そしてその日だけこの壊れかけた一軒家も周りの風景にマッチして「捨てたものではない」とうそぶくのである。

  己が恥じ 隠してうれし 初雪の朝

人は春夏秋冬、その折々の季節に、ふと「これが春の風、これが夏のニオイ、これが秋の…」と自然の中で感ずるものがあるだろう。その時の体の芯にまで達するような感覚を体のどこかで覚えている様な気がする。私には、釣りに行った春の磯でゆっくり寝そべっている時、夏の海水浴の後の昼寝、秋の夕暮れ時の田舎道の散歩、言葉では表現しにくいが、その心地よい感覚がやはり体のどこかに残っている。そのいずれもが「ゆったり」としたものだ。だが、私が一番自分の体のどこかに残っている心地よい感覚とは、白一色の雪の原の中に、自分一人だけが立った時(動くものは外にない)。寒いにちがいないのだが、なぜか背筋がピンと延び、全身の筋肉が引き締まるような感覚におそわれる事がある。それは強いて言えば「凛」としてという言葉だろうか、冬だけの感覚である。どうも私には北方民族の血を引いているようだ。

  六〇才 凛として 雪原に立つ

子供の頃の記憶をたどると、やはり冬の事が多く、そして今となってはなつかしくて楽しいと思える記憶が多い。
もう米寿(八十八)の母親と昔しの話しとなると、私との冬の日の出来事が話題になる。私の中にも、どこかに母親の愛情とはこういうものだろう、という思い出がある。当時田舎の小学校へは歩いて一時間ほどかかり、私の住んでいた村から学校まで雪よけになるような
遮蔽物もなかった。私が小学校低学年の時、冬の猛吹雪の日、学校まで迎えに来た母親に手を引かれて、もう薄暗くなった吹雪の中、家に向かって帰り道を二人で急いだ。当時は冬の防寒着と言えばマントぐらいだった。私は母親のマントの中に入り、マントに包まれるように二人で雪道をひたすら歩いた。
正面から雪が吹きつけ、母親も真っ直ぐ前を見られない。他の人の足跡をたどっていたと思う。私はただ下を向いて、ひたすら母親の足もとを見つめながら必死だった。子供なりに、この吹雪の中で弱音を吐いてはいけないと感じていたのだろう。その時の母親のマントにくるまれていた「温もり」が長い間残っている。そういう事があったためか、この年までずっと私と意見が合った事のない母親だが、それなりに付き合ってこられたのかもしれない。

  すれ違い かはたれそ ふぶきの中で

日本人は桜が好き、とよく言われている。私も年に一度は花見をしているようだ。でも、もっと好き(すばらしい)と思うのは、年(冬)に何度あるか、なしかの晴れの日の朝に、出会う雪化粧した木々の間を私の車だけが通り抜けてくる時に見る風景である。少しでも風があれば、木々の細部まで雪を貼り付ける事が出来ず、実に手の込んだ作業に見える。それに、もう葉もつけられないような老木でも、又、木材としての価値のない木も、みなすばらしい雪の花をつけるのである。私もその日は元気が出そうな気になる。

  おもしろきかな 雪化粧した老木達

木々が雪化粧した時の風景を「こんな風景を見られるのは私だけ」と、悦に入っているが、もう一つ「こんな楽しい事を今出来るのは私ぐらいかな」と思っている事がある。雪の日が何日も続いて雪が少しずつ締まっていく。そしてある日、この辺ではめずらしい晴天となり、雪面が昼の太陽の熱で少し融け、やがて夜に、天気がよい故にぐっと気温が下がり、その雪の表面が凍り、積雪が一メートルあろうが二メートルあろうが、大人がその上に乗って飛び跳ねようが何をしようが、ビクともしなくなる。そうなった日の朝は実に楽しい。私の所に二匹の犬がいて、いつも朝その辺を散歩する。ここ(養魚場)に連れて来られて初めての冬、初めは雪が降った時には喜んでその辺を走り回っていたが、そのうち自分(犬)の数倍もの高さの積雪となり、前に進もうとしても雪の中に埋れて進めず、犬小屋のごく限られた所でしか遊べず、つまらなさそうにしていた。それがある雪面が凍りついた日、私が先に立って、雪の上をさっさと歩いていく姿を見て、はじめは(なぜ)と、おそるおそるという感じだったが、沈まないと知るや、二匹でいっせいに走り出し、飛び跳ねて、体いっぱいに喜びを表わしていた。私も雪のあるところならどこでも行けるので、道も小川も関係なく、どんどん山の方へ入っていく。ただ困った事に、時間が経って(太陽が高くなるにつれ)、だんだん雪がゆるんで長靴が雪に食い込んでくる。そうなると、急いで帰らなくてはならない。ところが、犬の方はそんな事がわからない。「早く帰るぞ」と何度呼んでもついて来ない。仕方ないので、私だけ先に帰ると、しばらく経って、融けかけた雪の中を「何でこうなるの」という風に必死に雪かきをしながら帰ってきた。今頃は暖冬で、この辺でも雪が少なく、又気温も高くなって、こんな楽しい事もままならずとなってしまった。私の子供の頃は、海岸近くの我家の周囲でも雪が多く又寒かった。よく学校へ行く朝、凍りついた田んぼの雪原を歩くのは本当に楽しかった。飛んでも跳ねても沈まない。いつもの道でなく、自分の足でどこを歩いてもいい、というのは本当に気持ちのいいものだった。そんな日は、たいてい学校へは遅刻していた様だ(距離的にはどこでも歩けるのだから近道なはずなのに)。こんな楽しい道草を今時の子供達に体験させてやれないのは残念である。

  雪景色 もの言わぬ犬らと 感激し

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