河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日の五十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第三十二回 「首根っこを押さえつけられた」

唐突だが、私は最初の頃「こんな事(文章を書く)をしていて何になるのだろう」と思う事があった。だがすぐに「いやなら、やめればいい」と悟り今日に到っている。その頃は、『君の文章は中々おもしろい』と周囲(といってもごく少数)から言われ書いていたが、そのうち(私の周囲にある気に入らない物事に文句を言っているうち)私の首根っこを押さえつけていた力がだんだんゆるんでくるのを感じ、「これだ(自分の思いを文章にする)」と思う様になった。
大袈裟な話しで恐縮だが、私の人生、若い頃はやはり周囲のいろんな力に首根っこを押さえつけられ、自分もあまり反抗せず生きてきた様だ。それが、文章を書く様になり、口下手で小心な自分が紙面を借りて好き勝手を書いて、周囲の私の首根っこを押さえつけていたもの、又、自分の内部にあるもの(いい子でありたい)をコケにし、さらけ出し、この頃ではようやく少し身軽に(押さえつける力が減ってきた)なってきた様に思っている。残りの人生、また若い時のように首根っこを押さえつけられて生きていきたくない。
ところがである。その「首根っこ」をつかまれてしまう事が起きたのである。
ガラにもなく、夫婦で海外旅行に行った時である。その事自体が間違い、といえばそうだが、ジャングルが見たかったが為に南米(アルゼンチン・ブラジル)へ行った時である。あの私がきらいなアメリカ(合衆国)を通過した時に起きてしまった。そう、私は知らなかったが、南米でも中米でもカナダでも、一般的にそこへ行くにはアメリカ(合衆国)経由でなくては日本からは行けないのである。ただアメリカが9.11テロ以来、入国出国に関しては厳しい検問があるとは聞いていたが、乗り継ぎで通過するだけだから大した事はなかろう、アメリカという国は何かにつけて世界一(?)の国で自由を看板にしている国だから、間違っても私の様な小心で善良な日本市民がテロリストであるかどうかぐらい寸時にはんだんできるだろうと、タカをくくっていた。だがどうして、「そこまでやるか」という検査をされた。徹底した服装持ち物検査、「う」も言わせない顔写真の撮影、さらに両手中指の指紋押捺である。私はどうせアメリカに滞在する気はなかったが、もし滞在する気なら完全に首根っこを押さえつけられ、目には見えないが首輪をはめられ、鑑札をつけられ、ようやく放された犬と同様である。
民主主義国家を奉じるアメリカが問答無用で「国家の安全が人権より優先する」というのは、北朝鮮と大して変わらない。又、世界一の資本主義社会といわれるにしては、あまりにもおそまつな客対応である。経済とは相手(客)あって成り立っているという事を忘れている。高い航空運賃を取り、狭い椅子に座らされ、やっと着いた所で「お前達、アメリカへ入りたいなら一切文句を言わず服従しなさい」では、お客に対してあるまじき態度である(私の店でもこれほど高慢ではない)。もう二度と行きたくない。しかも米国のダラスから成田へ向かう出国のための飛行機に乗る直前、中国系と思われる顔立ちの若い女性の警察官(?)に呼び止められ、何やら早口の英語で質問されたが、よくわからずに困っていたら、突然その女がヒステリックにわめき出し、二人の制服を着た屈強な男性警察官(?)を呼んで私を通路の片隅に連れて行き、机の上に私のショルダーバッグを置かせ、無言のまま二人で手を突っ込んで中をかき回した。私が、四、五日はいたパンツなどを入念にいじくり回し(何か変な趣味の持ち主だったのかも)目で合図して「よし」という事になった。私の少しは長い人生においていつも困るのは「何でみんなの中で私が選ばれなければいけないのか」という事態に遭遇する事が多いという事である。それは、大体が選ぶ側に「人を見る目がない」からである。それとも、今回は気の弱そうな日本人を痛めつけてやれ、という思いだったのだろうか。私の様に、日本の片隅でひっそり生きていて、時々「何か(どこかで)お上の言う事やる事に難癖つけている変な奴がいるが、まあ、ほっとけ」というのが健全な社会であり、お上がコンピューターのボタン一つ押したら、瞬時に顔写真、指紋が知れてしまうような社会には住みたくない(もうアメリカから私の顔写真と指紋は日本に送られているかも)。

追伸
アメリカ(合衆国)の悪口を言っていたら、先日、いよいよ日本もアメリカに倣って、入国する外国人に対して顔写真撮影、指紋押捺を実施するとの事。知らなかった(そんな法律が出来た事を)。私がバカだった(もう南米のジャングルに住める年でもないし)。
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