河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日の五十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第三十三回 「私がタバコをやめる理由(ワケ)」

平成二十年が明けた。正月だ。だがどうってことはない(どうってことがないから文章を書いている)。
ここ1、2年、どうも年が改まっても気分が乗って来ない。いや、年が明ける前から「来年こそは…」という気にならない。年賀状を書くのも、おっくうになっている(以前からそれほど積極的ではなかったが)。それでも(改まった気分にならなくても)、正月になれば毎年、たぶん私が仕事場でヒマだろうと思ってか、何人かの若い人や、昔若かった人が訪れてくる。訪れてくる人は正月にもかかわらず、それぞれ本人にすれば深刻なまじめな話をする。
若い人は「私の人生、このままでいいのだろうか」とか、「今の世の中腹の立つ事ばかり」とか、私「人間どうせ死ぬまでこれでいいという結論など出る訳はない。ずっと迷い続けるだろう。その内、年を取ればだんだん体力、感覚もにぶって、自分を責める気力も薄れ、やがて自分の都合のよい自分史をつくる様になり、少しは楽しく生きられる。若いうちは先を考えず、今現在を楽しむ(苦しむ)事をやればいい。」私の座右の銘は『おもしろき ことのなき世をおもしろく』だ。
またある若い人々には、「怒る気持ちが多いと言うのは若い証拠だ。年を取ったら、そんな気持ちはだんだん薄れるものだ。せいぜい怒っていたら」と、それぞれ納得した風で帰っていった。

だが、こっち(私)の方はなんだかすっきりしない(何となく白々しい)。また子供の頃一緒によく遊んだ同年輩で、公務員の定年を迎えた人間が訪ねてきて、ひとしきり子供の頃の話をし、今は孫と遊ぶのが唯一の楽しみといい、最後に「お互い年を取ったな」と勝手にしゃべって帰っていった。そんなものかと別に反論はしなかったが、「こっちとら、この先まだ何の見通しもないのに」と。

私は自分の定年(勝手に六十五才と決めている)までは、それまでの人生をあまり振り返らないでおこう。また、この先の事もあまり考えないでおこう、と思っている。だが、もう知らずに定年に近づいている(体力、気力が失われつつある)と心配になってきた。
私は子供の頃から「ヒマを持て余す」という事がほとんどなかった(あったとすれば学校の授業中ぐらい)。特に自然の中での遊びにはいつも満足していた。だから若いときに勉強ばかりしている人間をバカにしていた(人間一度に二つ三つの事はできない)し、自然に対する感性は、だれにも負けないものを持っている、と自負していた。それ故五十才ぐらいまでは、夏が来るとあの子供の頃の夏休みが忘れられず、心が浮き々々とし、冬は冬で雪遊びの事で心がふくらんだものだ。
だがこの頃、それが減ってきた様だ。人間はその年齢でやりたい事、やれる事があるだろう。それを後回しせず、そしてやがて年老いていけば、体力気力感受性が衰える。そのかわり、いつも小心で世間に対してオドオドしていた(感受性が強いとも言える)自分が、少しは楽になる。私の推測どおりである。
ただ問題なのは、六十五才と決めていたので「ちょっと早いぞ」という事と、他人の事ならいざ知らず、自分の事となると「ちょっと待ってくれ」と言いたくなる。若者に年老いたらどうなるか今の若い内が花、などと適切な(?)アドバイスをしたからといって、又、老人同士(相憐れむ)といたわり合った所でどうも納得いかない。仕事の方はどうでもいいが、もうしばらく体力気力感受性を保ちたい(要は年を取った、という事をみとめたくないだけか)。
ならば何が可能か、どうしたらいいか、そうだ、タバコをやめよう(安易な発想か)。自分に何かを荷す。負荷をかける。

これまで本気で考えた事はなかった。タバコなど吸う奴は出世できないと世間では言われているが、「それがどうした」とやり過ごしてきた。私の様な小心者にとっては、何か緊張した時タバコは切っても切れないものだったが、それでもほとんど惰性で吸っていた様だ。
「ここは一番ガンバッテみよう」ただ、釣りで大物がかかり、悪戦苦闘してようやく手に入れた後の一服(至福の一服)、あれがやめられるかどうか。又、野球で活躍した後の一服、あれもやめられるかどうか。
ようやく文章が書けた。ここらで一服吸うか(??)。
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