河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日の五十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第三十八回 「試験なんて個人評価のごく一部にすぎない」

元南海ホークス(現楽天)の野村監督が、NHKでの対談で「私が現在ある(野球一筋の人生)は、ある人達のおかげである」と。一人は野球に関して無名の高校時代(京都峰山高校)から、何とかして野球で金を稼ぎたい一心で、当時の南海ホークス入団テストを受けた時の試験官(ホークスのコーチといっていた様だ)の話。その入団テストの科目に遠投(肩の強さをテストする)というのがあり、二回の試技で合格ラインを越さなければ、その時点で失格となるものだった。一投目ではるか及ばず、二投目に入る前に「もうこれでダメか」と思っていたら、そのコーチがスーと寄って来て小声で「もっと前から投げろ」と言ってくれ、数メートル先から投げさせてもらい、無事合格できた。その時、そのコーチが神様に見えたという話だった。その結果入団できたものの、一年目は「かべ」と言われる投手の球を受けるだけのキャッチャーで終わってしまった。それでも給料の一部を実家へ仕送りして貧しい実家の家計を助ける事ができたと。しかし一年後、二年目の契約時に、球団から「成績からして球団としては、お前の残留はない(クビ)。別の仕事を探せ」と言われてしまった。彼は、実家への仕送りの事などを述べ何としても残りたいと担当者に必死に頼み込んで残れる様になったと。それから徐々に実力を発揮できるようになっていったと言う。この二つのの事がなかったら(成績通りだったら)、いずれも「クビ」になり、現在の自分はなかっただろうと言っていた。

私も野村監督とは次元が違うが、二〇才の頃、アルバイトで貯めた金で、夏休み中に自動車免許を取ろうと一発勝負の試験(当時は一回の試験で合格可能だった)を警察の免許センターへ受けに行った。一回で合格すると思っていなかったが、二、三回行けば免許は取れるだろうと思っていた。が、あにはからんや、はっきり覚えていないが五、六回も落ちただろうか。そのうちにお金も底をつき、大学の授業も始まるやらで、「これが最後のチャンス」という日、逆に緊張して自分では最悪の出来で、実施試験が一通り終わってスタート地点まで戻り、「今日もダメか。この先どうしようか」と思いながら同乗の試験官の判定を聞いたら、年配のその試験官が発した言葉は意外だった。「まだまだ、だけどその内(運転している内)うまくなるだろう。その事を自覚して慎重に運転するように」と言われた。その時、私もやはりその年配の試験官が神様の様に思えた。「はい。その言葉を肝に銘じて運転します」と返事した。そのせいか、この年になるまで毎日自動車の運転をしているが事故は起こしていない。
まあ私の運転免許はたいした事ではないが、後で(何年、何十年後に)なぜあの時、うまく行ったのか(うまく行かなかったのか)わからない事が多い。たぶん私の場合、その時の(私が関わった人達の)価値基準がいろいろだったからだと思う。まあそれだから、まだ人生はおもしろいし(こわい事もあるが)、少しは社会に対する期待も持てる。

だが、今の世の中、試験の点数だけで個人の評価を決定するような風潮が強まっている。試験による点数なんてものは個人の評価の一部でしかない。子供の頃から試験試験で人間が評価され、社会に出てからも同様で、その最高とされるものが国家公務員試験、司法試験である。そしてその難関を突破した人達が今の国を動かしているのである。どうもその辺に、この国の今の閉塞感の原因がある様に思う。司法(裁判)に一般人を、というのは、そんな意味ではいい事だと思う(ただし私は別の意味で賛成できない)。あのオウム真理教の顧問弁護士(本人も信者)が、大学在学中(二十か二十一歳)に戦後最年少で司法試験にパスしたという事を聞いたが、やはり試験とはそんなものだろう(たぶん六法全書をオウム返しで覚えたのだろう)。そういう反省もあって一般人の参加が考えられたのかもしれない。

ところで、司法試験と同様、むずかしいとされる国家公務員一級(上級)の試験、これに合格した者が国を動かしている官僚達である。私は「もともと人間の能力なんてものは計れない。なぜかと言えば、今存在する人達は人類の長い歴史を生き抜いて生存しているのだから」という考え方を持っている。だが、最も世間から優秀(?)と言われている官僚達が二年間かけて(小泉内閣から)作った自信作、後期高齢者医療制度、内容も名称も「何これ?」である。日頃から上品な言葉遣い(?)をモットーとする私だが、この名称を聞いた時には思わず言ってしまった。「あいつらホント、ダラ(馬鹿)や。その辺のガキ共でももっとましな名前付けるぞ」
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