河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日の五十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第三十九回 「四季折々度に人の来るこそうれしけれとは言うもののお主ではなし」

これはあの客人ぎらいの内田百閧フ「世の中に人の来るこそうれしけれ、とは言うものの、お前ではなし」を私がパクったものである(もっとも内田百閧瑯山人の狂歌をパクったものらしい)。

私がここ里山のこの地に来た当時は「変な奴(私)が村にやって来たが、だいじょうぶか」と村の年寄りが偵察に来た。ここは金沢の市街地から気安く来れる医王山という山の登山口から近く(周囲に民家はほとんどない)にあるので、道を通る人が興味を持って「いい所で仕事をしてますね」と言って立ち寄ったりしていた。

もともと私がここで仕事(養殖業)を始めたのは、それほど深い訳(決心)があった訳ではない。どちらかといえば成り行きでそうなったぐらいのものである。たまたま通りかかったら古い養魚場の跡らしきものがあって、すぐ持ち主に話し(借りられるかどうか)たら、即「いいよ」との返事で決めた。私の性格からして対人関係がうまくない、だけどまったく人のいない所で黙々と働くのもいやだ、簡単に言えば、里山(仕事場)のいい所(自然がいい)と、街のいい所(自宅から夜遊びにいける)だけをとって気楽にやりたい、というのが本音だったのだろう。だから、村の人から疑惑の目で見られ、街の人からは「こんな環境で仕事ができるのは理想的」なんて言われているうちに、この言葉(内田百閨jを思い出し「四季折々度に…」を仕事場の入口に貼ろうと思いついた。でも、そんな事をしたらますます近所の人から疑いの目で見られそうだったので結局貼り紙はしなかった。

あれから三十年、相変わらず付き合いベタ、ナマケモノのままである。そしてやはり村には若者はいない(私も若者ではなくなった)。変わったと言えば、私の仕事場の前を歩いている(主に登山者)いるのは、当時は学生等の若者がほとんどだったが、今は逆に中高年がほとんどだ。若者は車で私の仕事場の前をぶっとばしていくだけだ。新緑の今、中学・高校生が学校の行事(オリエンテーリング)でみんな同じ色の服装でだるそう(中には元気そうな子供もいるが)に歩いている。それを車に乗った教師がハンドマイクで「しっかり歩け」と、どなっている。風景に合わない無粋な族である。その学生の集団が、仕事場の前で会うと突然、いっせいに「こんにちは」と挨拶をする事がある。ビックリして私も挨拶を返すが、それがどうも不自然である。一度聞いてみたら、「教師から、村の人は純朴な人が多い(私の事か)から挨拶をしろ」と、どうも主体性のない連中である。感性豊かなはずの若者達だが、気持ちにゆとりがないのだろうか。

それに比べ、中高年は元気である。たぶん定年になって、しかも老後は年金をしっかりもらえる様な人達(私とちがって)で気持ちにゆとりがあるのだろう。自然に対峙するには気持ちにゆとりが必要である。私の場合は金がなくても、それをすぐ忘れてしまう特異体質なので今日までやってこれた様だ。

ふるさとの山に向かいて言う事ナシ、とは言うものの、金はナシ(これは石川啄木と内田百閧フ両方からパクったものである)。
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