河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日間際の六十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第四十五回 「私が文章を書くワケ(セコイと言わないで)」

戦後六十数年の今、私達の親(高齢)のだれもが何らかの形で戦争の傷を負って生きてきた世代であったように思う。「この人は戦争の事を忘れたのか」と思える人が、ある日酒を飲み出したら、戦争中の事を語りだした光景を目にした。
又永年、私の釣りの師匠であった医者(故人)は軍医で将校であったため、敗戦後、最後までシベリア(ロシア)に抑留されていた。後にその当時の事を何度も聞き出そうとしたが「戦争だけはやってはいかん。人間が人間でなくなる」という言葉しか聞けなかった。たぶん他の人にもそうだっただろう。自分の心の中に全部しまい込んで墓まで持って行ったのだろうと思う。

私の若い頃(大学へ入るまで)は、戦争(太平洋戦争)をおこした日本国民とは「何とバカな国民だろうか」とずっと思っていた。戦争中は「一億総火玉となって敵にあたる」そしてもう勝ち目がなくなると「一億総玉砕」、敗戦後は「一億総ザンゲ」と。
私の親族にも二〇才で戦死した若者がいた。私の年老いた母親が突然「一郎ちゃん(パイロットとしてレイテ沖縄戦で戦死し遺骨もなし)はかわいそうな事をした。最後に会った時に、彼は周囲に気を配りながら(少しでも変な事、反戦的な発言をすれば本人だけでなく周囲にも迷惑が及ぶ)、『私はもう生きては帰れないだろう。親の反対を押し切り、パイロットとしてこの戦争に参加した事は間違いだった。でも、もう遅い』と言って、その後帰らぬ人となった。まだしたい事も言いたい事もいっぱいあっただろうに」と今にも泣き出しそうな顔で話してくれた。
いろんな人の人生を狂わせてしまった戦争を「一億総…」で締めくくってしまい、歴史の片スミに押し込めてしまう指導者には腹立たしい思いがする。

だがここであの「一億総…」はもう過去のものか、と考えた時、どうもそうではない様に思えてきた。数年前まで国民に圧倒的人気があったあの小泉元総理が、バブルがはじけて、その対策として国に膨大な借金が残った原因を国会で追及された時、「あの当時、国民全体がバブルに踊った(一億総バブル)」と言ってはばからなかった。今の国(日本)のとてつもない借金(一人あたり数百万円)も、あの当時のバカな国民全体の責任とされている様だ。その証拠に、ある新聞の投書欄に若者のこんな事が載っていた。「なぜバカな大人達の残した膨大な借金を私達若者まで払わなければならないのか。なぜそんなバカな大人達の年金まで私達が面倒を見なければいけないのか」と。ごもっともな意見である。今の若者はおとなしい、と言われているが、若者を過小評価すると痛いしっぺ返しを食う。何といっても若者の潜在エネルギーはすごいはずである(善しにつけ悪しきにつけ)。
バブル当時、銀行と地上げ屋が結託して年寄りの住む住宅からその年寄りを追い出す光景を眼にして、その追い出された年寄りの「こんな事をしていたら、将来日本はダメになる」という言葉に、私も「そうだ、その通りだ」という主旨の事を書いた文章を当時残している。私はバブルに踊った記憶もない(単に踊りがヘタだったのかも)、だからこの件に関しては、バカな大人の仲間に入れないで欲しい。これからは、益々年寄りは金がかかる厄介者扱いをされる時代なのだから。そのためにも大人(老人)のみなさん、自分の意見を文章にして書いて残しておきましょう(セコイなんて言わないで)。
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