河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日間際の六十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第四十七回 「したむきな人々−青春編」

クソ暑い今年の夏がようやく終って、少しすずしくなったと思ったら私はカゼを引いてしまった。室で横になって休んでいたが、どうせ休んでいるのならとテレビをつけた。
この時間(昼の二、三時頃)いつもはあまりテレビは観ていなかったが、何気なく観ていたら「この番組は青少年の視聴に配慮……」!これは大人向きの番組「成人向き」で「ひょっとしたらおもしろいかも(エロチックなシーンがあるかも)」と観ていたが、結局どこが「成人向け」なのかわからないまま終ってしまった。(いい年こいてしょうもないオヤジ)と自分の事を思ってもみたが、それだったら番組途中のコマーシャルの「これを毎日飲めばやせられる(ただやせればいいというもんでなかろう)」とか「あなたの将来だいじょうぶですか」とやたらと若者に将来に対して不安を与えて金をくすね取ろうとする保険のコマーシャル、またパチンコ屋の宣伝(昼間からパチンコやってる若者はロクでもない奴だ。私も若い頃は昼間からよくやっていた)等々、この方が若者にはよっぽど害があるだろう。自分の事はタナに上げ、ブツクサ文句を言っていたら少し元気が出て来たから「仕事でもするか」となった。
この「成人向け」番組(映画)に関して今思えば「バカをやっていたな」という思いと「ホロにがい」思いが入り混じり、あの当時の暗い「したむき」だった青春時代がよみがえってきた。

高校何年生の時だったか定かでない。当時学校の帰り道の途中に映画館が三、四軒あり、「成人向け映画、未成年おことわり」の看板が立っていた。「おことわり」とあらば、余計見たくなるのが青年の常である(そういう意味だけなら私は今でも青年である)。当時教室内では「マセた奴」がいて、自慢げに見て来た様な話しをすると「自分も見てみたい。でも、もしつかまったら」と、その勇気がなかった。それでもある時、意を決して「今日は何がなんでも行くぞ」と決めた日、その日は朝から犯罪者の様にひたすら他人に顔を見られない様「したむき」だった。授業が終わるや、すぐ学生服の上着を脱ぎ、確か晩秋だっただろう、レインコートの襟を立て、やはり「したむき」のままドキドキしながらそれを抑えるため、わざと低い声で「大人一枚」と顔を上げずに入場券を買って中に入った。館内に入ったものの、すぐもう帰ろうかという気分(弱気)になった。それでも勇気を出し、館内の一番スミの席に座り、いっさい周りを見ていなかった。映画の題名はもう忘れてしまったが、流れていた曲からフランスが舞台の映画だったと思う。

田舎から出て来た二人の若者が夜のパリ(だったと思う)の歓楽街をタクシーの窓から身を乗り出し、その風景に見とれていた。一人は「恋人を見つけるぞ」と、もう一人は「金をもうけるぞ」と叫ぶ。その歓楽街をなめる様な映像とバックに流れるムーランルージュの歌(だったと思う)が二人の高揚した気分にマッチして印象的だった。だがストーリーはやがて二人の若者の挫折で終わりを迎える。あこがれていた都会で田舎者の二人の青年、一人は女に弄ばれやがて捨てられる。もう一人も持ち金を全部だまし取られ、二人とも精神的にズタズタにされ、田舎に帰るハメとなる。二人は「これで見納め」と来た時と同じ歓楽街をタクシーで通る。そして同じ様にあの曲(ムーランルージュの唄)がバックに流れる。二人はその光景を静かに眺め、やがて通り過ぎるところで映画は終わる。映画が終わっても二人の青年の顔とバックに流れた曲が物悲しく当時の私の心に重くのしかかった。あこがれていた(?)男女のベッドシーンもあったが思ったほど(?)ではなかった。
映画館を出て、その前にある河原に下りて川面を見つめ、その映画の事を重い気分で振り返った。内容はともかく、「同じ世代の青年(主人公)と比べ、ただ言われた通り高校へ行き、好きでもない勉強をさせられ、恋といわれる様な経験もない。さらに何の変化もない毎日の自分、このままでいいのだろうか」と思ったら、無性に自分がなさけなく、さみしい気分になり、その日は一日中「したむき」なままで終った。次の日、学校へ行って教室でこの話しをしたのかは覚えていない。ただ、したならば、こう言っていただろう。「やっぱり成人映画はすごいわ。エロいシーンもあったし、外人の女はイイ。胸はでかいし、スタイルはいいし」と。

今年一月に亡くなられた私の恩師(奥野良之助氏。私が勝手にそう言っている)にある時(学生の頃)、「私は子供の頃から「禁止されている事」に興味があり、よく周りからしかられた」という話しをしたら、「それはそれこそが本当におもしろい事だから」と言われた。「私(奥野さん)の子供時代、青年の頃(戦争中)はそれらが本当に禁止された。男子はみんなお国のため、命を捨てて戦え、と言われていた。余計な事を考えていたら戦争(人殺し)などできない。実際、裸婦など描いていた画家などは非国民と言われ、ひどい目に会った。今の時代もそうだろう。余計な事を考えていたら勉強に身が入らんだろう(私の心の内を見透かされてしまった)し、会社でも仕事の能率が上がらんだろう。だから国や指導者は青少年のやる事をいろいろ禁止する。でも、本当におもしろいのはその余計な事なんだが」。
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