河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日間際の六十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第四十八回 「差別」

それは私にとって、いやなヒビキのある言葉である。私の恩師の奥野良之助さん(故人)は、社会の不平等の根源に差別意識があると。私の意識の中に差別意識がない、なんてエラソウな事は言わないし、差別は差別された人にしかわからない。というのも真実であろう。

だがその前提があっても今問題になっている沖縄県民の長年の悲願「沖縄から米軍が撤退する」に関して「沖縄にはこれからも米軍は駐留する」としているのは、沖縄を沖縄以外の日本人が「沖縄を差別している」以外のなにものでもない、という事ぐらいはわかるだろう、と思うのだが。この日本という国において、先の大戦で沖縄だけが県民を巻き込んだ地上戦をやり、沖縄県民、とりわけ民間人に多くの犠牲者を出した。しかも、その後長い間、アメリカ軍に占領され、日本に返還されたものの、アメリカ軍の多くの基地が残っている。同じ日本の一つの県とは言うものの、ひどい仕打ち(差別)を受けて来た。

それらの原因は、沖縄自体のどこにも見当たらない。原因は「沖縄の人間の事など知らん」という意識であろう。それは沖縄を日本の一県と認めていないと同じである。今の国際情勢(中国等に対して)では、沖縄に米軍基地が必要だとか、沖縄以外に米軍基地を受け入れてくれる県がない、とか、「自分には差別意識はない」と思っている様なバカな議員などが言っているが、この問題の簡単な本質がわかっていない。今まで同じ日本の中で唯一、みんな(他県)に代わってひどい目に会ってきたのに、沖縄の総意として「もう米軍は沖縄にいてほしくない」と言ったのだから、どこか(他県)に変るべきである。こんな理屈は子供の「鬼ゴッコ」と同じレベルである。一人の子供にいつまでも鬼を平気でやらせ続けるのは「いじめ」と同じである。だれも鬼になりたくなかったら、沖縄を除く他の県全部でジャンケンでもして、鬼を決めればいい。あの戦争が好きそうな、石原東京知事の所(東京)にでも行けば(あの人は口は達者だが、ジャンケンは弱そう)、案外、地方分権が進む(みんな東京から逃げ出し)かもしれない。
以前の自民党時代、差別まる出しで「格差の何が悪い」と叫んでいた小泉政権より、自分達が差別している事に気が付いていない今の政権の方が「余計タチが悪い」かもしれない。
日本の中で沖縄一県だけを差別する。そういう事をいつまでもやっていたら、いずれ痛い「しっぺ返し」を受けるかもしれない。
人間とは「差別された事は忘れない」という生き物だから。

さて、話しは変わるが、この差別と言う言葉、現在ではいろんな所で使われている。大学では「他校との差別化を計る」、企業では「他社との差別化を計る」という風に使われている。確かに差別という意味には「ちがい」という単純な意味もあるだろう。私の若い頃の人種差別、男女差別、部落差別、差別待遇…どれを取っても、いい言葉ではなかった。そんな時代に育って、今責任ある地位の人達が、なぜわざわざ好んでこの「差別」という言葉だけを切り離して使うのだろうか。若い頃に耳にしたいやな言葉「差別」、私には今も、いやな響きを持った使いたくない言葉である。
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