河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日間際の六十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第四十九回 「ドラマ『龍馬伝』を観て思う事」

今回の大河ドラマ「龍馬伝」は大変な人気だそうである。特に若者にウけているという。私も毎回ではないが何回かは観た。どうも実在の「龍馬」の写真と今回のドラマの主役「福山…」とは見た感じが、かなりちがう(本物の龍馬は写真の朴訥として口数の少ない(私の様な?)人物ではあるまいか。それはあくまでもドラマであるから「龍馬」をイイ男にしたからといって、私がひがむ事もあるまい。又内容にしたところで、動乱期(幕末)に一気にその時代をかけ抜け、二十代で命を散らしていった。そんな生き様をうそも本当も交えて話を造る作家、脚本家。「やっぱりプロはちがうな」うまいなと思った。ところで、今回のこのドラマのどこが、若者にウケたのか、今はもう若者ではない私には現在の若者の心情は計りかねるが、想像するに当時の身分制度でがんじがらめになってもがいていた自分(龍馬)がそのまま周囲の言いなりになっていれば将来それなりに安定した生活ができたかもしれないものの、「脱藩」という手段で新しい自分の生き方を追い求めていった姿(ドラマでは)にあこがれるものがあったのではないだろうか。

私にももう遠い昔の事だが「龍馬」とは比較にならない(命がけの脱藩ほどではないが)が自分の人生を変える「脱学歴」をやった事があった。

もともと勉強(?)というものがきらいで中学卒業時に「高校へは行きたくない」と言ったら、周囲からは「今時、高校ぐらい出てなければ将来の安定など望めない」と。私は「学歴だけで人間を評価する社会はおかしい(本当の気持ちはいまとなってはわからない)」とは言ったものの結局、周囲に説得され高校へ行った。
又高校へ入って、やがて大学受験の時も「大学へは行きたくない」と言ったら、やはり「将来、それ(大学卒という学歴がなければ)ではロクな仕事に付けない」と周囲から又説得された。その時は、さすがに自分の意思の弱さをつくづく感じた。それで大学へ入っても、ほとんど勉強(?)はしなかった。当時の大学は「大学紛争」の時期で私の好き嫌いにかかわらず、私の周りでもいろんな事が起き、それに巻き込まれていった(例えば私の指導教官が自殺した等)。いろんな事があった中から私が得たものと言えば「人間、主体性を持って生きろ」という事だっただろう。卒業間近に教授から「君は成績は悪いし、こんな事(学部改革)やっていたら卒業できないかもしれない。又、就職にもひびく」と、会う度ごとに言われていた(威されていた)。それがある日、「脱藩」じゃないけれど「脱学歴」を決め(それだけの事のために随分時間がかかった)、教授がいつもの様に「君の将来の事を思って…」と言ってきた時、「もうそんな事はどうでもいいです。学歴が何ぼのもんじゃ、安定した就職が何ぼのもんじゃ」と大見得を切った。その時の教授のポカーとしてあっけに取られた顔、今でも覚えている。それからは私が登校するのを待ち構えて、今度は逆に「もう君の判を押すだけ(単位を無条件でやるから)で卒業できるから、早く大学を出て行ってくれ(邪魔者ははやく大学から出て行け)」としつこく追いまわされるようになった。私は「それは自分で決めます。お構いなく」という日々に変わっていった。結局、逆に卒業せず留年する事にした。背中に背負ったもの「背負わされたもの(学歴)」を投げ出した時の快感を初めて味わった様だった。その後、一年間大学にいて中退(除籍、どちらか知らない)となった。ただその一年、(中退と決心してから)が大学生活で一番充実していた様だ。いつも大学の廊下をスキップして歩いていた。どうもその時の快感が忘れられなかったのが、私が今の境遇に甘んじている一因かもしれない。「脱藩」して大志を抱いた「龍馬」とは「人間の出来」が違っていた様だ。それでも「脱藩」して周囲のしがらみから解放された龍馬も、どこか私と似て解放感を味わっただろうと勝手に私は思っている。
ただドラマの中の「龍馬」がドラマの後半になって言うセリフに「日本国のため」と言うのがやたらと多くなってくるのが、どうもいただけない。どうせ言うなら、藩や身分制度だのと言った名のもとに死んでいった(殺された)仲間のためにも、この国をぶっ潰す(変える)ぐらいにしておけばもっと「カッコイイ」と思うのだが。又、ドラマの最初の頃の岩崎弥太郎、彼が金の盲者となり、周囲から嫌われ七転八倒する姿は「さすが三菱の創始者、現代の三菱にも相通じるものがあるな」と感心して見ていたが、これもドラマの後半になって、彼がなんとなく「イイ人」に見えてくるのもやはりいただけない。
 さて、全部を観ていないドラマの批判はそれくらいにして、同じテレビ(NHK)の番組の「今年の就職事情」を見て感じた事を独断と偏見を加えて少し書いてみたい。それは今年も相変わらずの就職難であると、ただ大学生に関しては、求人倍率は「一」を超えていると。だが就職率は、はるかに「一」に及ばないと言っている。私の様に中退で、人間付き合いが悪く、はじめからほとんどあきらめているのかと思ったら、どうもそうではないらしい。一生懸命就職活動(就活というらしい)をしているが、就職が決まらないらしい。それはなぜかというと、就職を希望するのは、みな一部上場(大企業)が主であるためで、中小企業ならいくらでもあるという。親が学生のため大企業向けのパンフレットを集め、親子して「将来の安定」を求め一部上場の企業に殺到しているという。この番組の「締め」で「中小企業では君達(大卒)若者を受け入れてくれる所は沢山あります。是非そこ(中小企業)に入り、自分の力(若者の力)で会社を良くして行こう、という「気概」を持って欲しい」と言っていた。
ドラマ「龍馬伝」を観た後だけに、こうゆう今時(イマドキ)の大学生が安定を望み大企業に入り、やがて日本の経済界を担っていくのだとしたら「日本の将来はあぶないぜよ」と思ってしまった。
 私の友人である庭師の娘さん、親父以上にものおじしない女性だが、彼女がアフリカのガボンへ青年海外協力隊の一員として行っていた(そんな国があるとはその時まで私は知らなかった)。彼女はアフリカの各地へ行ったそうだが、そこでいつも「あなたは中国人ですか」と言われたそうだ。それほど中国人がアフリカへ進出しているらしい。中国人の若者のエネルギーを考えたら、将来の国の経済発展に関しては、安定思考の日本人に勝ち目はなさそうだ(現在でももう負けている)。ただ経済面だけでなく、今、そして将来の日本のあり方を考える(私が日本の将来を心配してもしょうがないが)、ヒントとして海外(それも後進国といわれる国)に若者は出て行ってほしいものである。中国人がアフリカへ進出するのは、どうせ中国政府のあやしげな「肝煎り」で派遣された若者達であろう。でも、そこで(アフリカで)若者のするどい感性で見るもの、見たものの中から、現体制の思い通りにいかない新しい価値観を生み出す可能性を秘めている様に思う(少々期待しすぎ?)
日本の少々の金持ちが円高を利用して「冥土の土産話し」にしようというような年寄り連中が欧米の名の知れた観光地ばかりを訪れているのを聞くに付け、円高の今こそ日本も「アメリカこけたら他の先進国みなこけた」というような没落の始まった先進国より後進国といわれる国々に若者を派遣して、その若者の感性で新しい価値観を創造してほしいものである(やはり若者に期待しすぎ?)。
 ところで、前記したガボンへ行った庭師の娘さん曰く、「ガボンでは一生懸命働いているのは中国人や他の外国人ぐらいで、現地の働き盛りの若者やオッサン連中は昼間から街のあちこちで、たむろして遊んでいる」と、どうも仕事がないらしいが、それより働かない事に対して「罪悪感がない」と。さらに彼女は「ここの人達には働いて将来に備えるというDNAがないみたい」とまで言い切る。日本みたいに「仕事がないために自殺するなんて考えられない」と、この話しを聞いて、おもわず「私をガボンにつれてって」と言い出しそうになった。
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