大野直子



第一回  東京都小川町・オガワのじっちゃんの巻

 雨の日の我が家は、なつかしい。
 雨降りの日は、お米に羽虫がついたときの米びつような臭いがしたり、昔っからあるお座布団の、カチンカチンに固まったワタのような臭いがする。
 へんな臭い。でも、きらいじゃない。子どものころにかいでいた、なつかしい匂いだ。
 そんな匂いのなかに身を置いて、雨の音を聞いていると、なぜだか心が落ち着いてくる。そのうちにからだ中から力が抜け、脱力。なんともいい具合になってくる。
 仕事柄、東京で働くいわゆるエディターと呼ばれる人々に電話をしなけばならないときが、まれにある。ま、平たく言えば編集の女の子に、だ。その電話が怖い。向こうは決してお高くとまっているわけではないのに、理路整然と東京弁でまくしたてられると、私の心臓は縮みあがってしまう。だが、向こうは決して「まくしたてている」とか「早口でしゃべっている」なんて、微塵も思ってはいないだろう。あの早さが、東京では普通なんだから。
 そもそも、「○○でぇ〜、ねぇ〜」という、語尾をこねくりまわす金沢弁がいけないのだ。
 ある東京生まれで東京在住の友だちは、金沢に来て、必要以上に伸ばす語尾を聞いているうちに、自分のからだまでねじれてしまいそうになった…と、決してイヤミではなく、心のうちを吐露してくれたことがあった。
 それを聞いて以来、東京の人に電話を掛けるときには、「金沢弁のイントネーションだけは出さんとこう!!」と、肝に銘じるのだが、言わんとこう、言わんとこうと思えば思うほど、逆に求心力が働いてしまうのか、「○○ですからあぁぁ〜」などと言ってしまい、受話器のこっち側で、ひとり、赤面することになる。

 そんな小心者の私にピンチが訪れた。
 この春、娘が東京の美大に通うことになったために、アパート探しに出かけなければならなくなったのだ。一人暮らしの経験がない私は、どうやってアパートを探したらよいかも、礼金・敷金なんぞの類もさっぱり分からない。それに加えて、東京の不動産屋に足もとを見られぬよう互角に渡り合わなければならない…。そう思うだけで、少し気の重い東京行きとなった。
 深夜高速バスで早朝に池袋に着いた私は、娘と落ち合い、朝一番で学校へ向かった。学生課に掲示されているおびただしい数のアパートの貼り紙を見ていたそのときだ。
「下宿をお探しですか」
 見知らぬオジサンが娘と私に声を掛けてきた。
「私は3棟ほどアパートを持っています。車がありますから、ご案内いたしましょうか」
 ええっ〜? 凶悪事件が跡を絶たない昨今、しかも生き馬の目を抜く東京で、そんなにホイホイと人の車に乗って付いていっても大丈夫だろうか…。私の脳ミソには、そんなうまい話に乗ったら危ない…、初老のご老人とは言え、娘と2人連れとは言え、何をされるかワカラン…、いや、いや、アパートの見取り図を見ているだけではピンと来ないから、この際、実物を見せてもらった方がいい…、一瞬のうちにさまざまな思いが錯綜した。
 そんな私に、このオジサンを信じて付いていこうと決断させたのは、どこかその御仁が脱力の人だったからだ。脱力人の私には、肩の力が抜けている人は、一見するだけで分かってしまう。同じ穴のむじなのにおいがした…とでもいうべきか。
 言われるままに付いていくと、果たして、そのオジサンは、美大がある小平市小川町の、その名も「小川」さんだった。東京都とは言え奥多摩にほど近い、武蔵野の雑木林が残る小川町。
「ここはうちの畑です」「この園芸ハウスで花を作っています」
 車をのんびり走らせながら、オジサンはポツリポツリと話してくれた。どうも小川さんは代々この土地に根付く地主らしい。私たちは、小川家の広大な敷地内に建つ古ぼけたアパートから、少し離れた新築したてのアパートまで見せてもらった。
 弱ったことが、オジサンが一抱えほどもある鍵の束を持ってきたのはいいのだが、何十本もある鍵にアパートの号数が記されていないために、いちいち全ての鍵を差し込んでみなければ部屋の扉が開かなかったことだ。
「あっ、違う。あっ、これも違う…」
 オガワのじっちゃんはひとりブツブツ言いながら、宝探しのように鍵を差し込むのだった。しまいには、一度差した鍵がどれかも分からなくなり、同じキーを2度も3度も差し込んでいる。そんなじっちゃんを娘と私は、ただただじっと励ますような気持ちで見つめるしかなかった。
 金沢弁をひた隠し、ヤーさんまがいの不動産屋と丁々発止とやり合う図を想像していただけに、予想外の間延びした展開となった。しかしアパートの扉の前でぼんやりと佇みながら、私は、このオジサンに娘の4年間を託してみるか…という気持ちになっていた。
「うちは不動産屋じゃありませんから、礼金はいりません。敷金の1万円だけもらえればいいです」
 この言葉が決定打となって、娘と私は新しい方のアパートに即決してしまった。下宿探しに2日間をみていた私たちだったが、キツネにつままれたような3時間ほどの顛末劇だった。
 娘は帰郷の道中、小川のオジサンはついうっかりして契約したことを忘れてしまい、ほかの学生とダブルブッキングしてしまうんじゃないか…、としきりに心配していた。
 そんな心配もよそに、今、娘は小川ハイツ?に住まい、「心理学の先生は2度も痴漢役で映画に出たことあるげんて!!」、なんていう金沢弁丸出しの1日1メールを送ってきては、学生生活を楽しんでいる。
 これも、東京の脱力御仁のお陰。脱力、バンザイである。

 クッククック、クッククック。小雨の中、昔懐かしい桜田淳子の歌さながらに、ヤマバトが鳴き出した。雨が上がるのも、もう間近だ。鳥のさえずりは雨上がりのサインだ。