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林 茂雄





ブランショと死

 2003年2月20日、モーリス・ブランショがパリ郊外の自宅でその生涯を閉じた。『謎の男トマ』 『アミナダブ』『至高者』といった物語(レシ)や小説(ロマン)、『文学空間』『来るべき書物』などの批評で、フランス本国はもちろん、世界的にも大きな影響を与えたが、そのプロフィールや肖像が明らかにされていない「謎の男」、それがブランショだった。
 ブランショのテクストは難解だとされているが、文章が複雑に構成されている訳でもなければ哲学的概念が駆使されている訳でもない。むしろ至って平明な言葉と文体でそのテクストは織られている。その難解さの所以は、彼が表現することの困難なものを記述しようとしているからなのである。たとえば、沈黙を語ろうとすること。
 作家を好きになる場合、おそらく二通りあるだろう。ひとつは、その作家が自分の分身のように感じられる場合で、「どうして俺の心の中をこの作家は書けたのだろうか」と思うほどに、親近感を持ってしまうケース。もうひとつは、その作家を理解しきれないがゆえに愛してしまう場合で、「この作家の謎に何とかして近づきたい」という欲望を抱かせられるケース。ブランショは私にとって後者であるのだが、彼以上に魅力的な謎を私は知らない。
 ブランショは『文学空間』所収の「可能的な死」という批評文において、カフカについてこう書いている。「死を前にしておのれを支配し続け、死に対して主権的な関係を打立て得た場合にのみ、書くことが出来る」と。そしてカフカは「芸術が、死との関係であることを深く感じている」といい、それがなぜかといえば、「死が極限的なものだからだ」としている。ブランショにとって(またカフカにとっても)、書くということは極限的な時空に身を置くことであり、文学空間とは死に臨む空間の別名となる。
 ≪死≫は、ブランショの作品におけるひとつの主題だった。ただ主題のひとつだったというのではない。それなくしてはブランショについて語り得ないほどの最も重要な主題だったともいえるだろう。彼は死を思考することによってのみ文学(書くこと)を思考したのだから。しかし、死とは経験不可能なものであれば、探求するためにこれほど困難な主題もないだろう。
 「死とは現在を欠いた時間であり、私はこの現在を欠いた時間に何の関わりも持っていない」とブランショはいい、「私は死に向けて身を投じることはできない」という。「なぜなら、死においては、<私>が死ぬのではなく、<私>は死ぬ能力を失っているからだ。すなわち、死においては、<ひと>が死ぬのであり、<ひと>が死に続けるのである」。
 <私>は死ぬことができない。それは「不可能な経験」であり、「経験されざる経験」である。ひとつの存在が死ぬ時には、<私>という人称も消え去るのだから。それゆえに、≪死≫とは<他なるもの>であり、決して<私>のものとはならない<外>であり、「非人称的なもの」なのだ。
 だから、<私>は死ぬことができない。死に続けることができるだけだ。「死 la mort」という名詞の手前で、「死にゆく mourir」という動詞を反復できるだけである。≪死≫という存在の彼方への一歩は永遠に踏み出せないまま、<私>は終りなき足踏みをし続ける。ブランショの作品のいくつかの書名はこうしたテーマにおいて象徴的である。
 「彼方へ一歩も Le pas au-dela」(pasは歩みという意味であると同時に否定の意でもある)
 「踏みはずし Faux pas」(ここにもpasが)
 「永遠の繰り返し Le Ressassement eterne」
 「死の宣告 L'arret de mort」('arretには宣告の意と停止の意がある)
 ブランショの手によっておそらく最後に発表されたことになろうテクストの書名は、「私の死の瞬間 L'instant de ma mort」と題されたものだった。彼が最後まで≪死≫を思考し続けてきたことが窺われよう。邦訳で6頁ほどのこの小品にジャック・デリダは『滞留』という非常に美しいテクストを寄せている。
 そのデリダは、「永遠の証人 Un temoin de toujours」と題する追悼文をブランショの墓前で読み上げた。「ここで、今、声を高める力をブランショ自身から受け取ったと信じたい」と語り始められたこの弔辞で、「まさにここで、この瞬間、モーリス・ブランショと、この名を口にした時、どうして身震いせずにいられるだろうか?」とデリダは自問する。
 「この瞬間」とデリダは言う。ブランショの死を前にして「瞬間 instant」は滞留する。「私の死の瞬間」とは決定的に不可能な時間であるから。ここではこれ以上このテーマには深入りしないで、デリダの綿密な読解によるテクストに送り返しておこう。
 「私が死ぬ」ではなく「ひとが死ぬ」という非人称な時空への歩みは、常に踏み外しを、終りなき滞留を、限りなき足踏みを要求する。しかし、そこにおいて、ブランショは「友愛 amitie」という言葉を口にする。
 「一切は消え去らなければならぬ、我々は、消え去りゆくこの動きに深い注意を注ぐことによって」初めて友に忠実でいられるのだとブランショは言う。「私が言いたいのは、彼らを未知のものとの関係において受け入れねばならないということである」。というのも、「死は、人と人とを分かつ境界を深化させるどころか消去してしまう。切れ目を拡大するどころか平らにしてしまう」からだ(『友愛』)。
 モーリス・ブランショという固有名詞。非人称的なものについて語り続けたこの謎の人は、彼自身が匿名性を纏ってきたのであり、その名前を口にする時、あたかも我々は≪死≫を呼び寄せようとしているかのように感じるのではないだろうか。ただし、そうした感覚は彼が死んだために生まれたわけではない。それは彼の生前でも同じだったのであり、彼の生死に左右されるものではないのだ。
 汲み尽くせない作家ブランショについて、これ以上ぎこちない言葉を連ねるのは控えておくことにしよう。まるで沈黙について語るようなこのぎこちなさが、死を生きることの困難さに結びつけられることを願いつつ。

付記1  アメリカの対イラク戦争に反対する市民活動「Not in our name」のアピールに米仏の知識人たちが署名しているが、デリダやジャン=リュック・ナンシーらと並んでモーリス・ブランショの名前があった。

付記2  本当ならば、「私の死の瞬間」と呼応する別の物語『死の宣告』をも参照すべきであろうが、ここでは断念せねばならない。

付記3  「友愛」という言葉は、ブランショが亡き畏友ジョルジュ・バタイユへ捧げたオマージュのタイトルでもあることを付け加えておきたい。

付記4  私はニーチェをテーマにした大学の卒論に「足踏み」というタイトルを付けたのだが(もう十数年前のこと)、それはブランショの影響によるものだった。それについては余白に漂わせておくがままにしよう。ただ、ひそかに「足踏み marquer le pas」という言葉をブランショに捧げさせてもらうことにしたい。




モーリス・ブランショ/生年1907年、没年2003年。享年95歳。代表作『至高者』 『来るべき書物』など。



はやし しげお  金沢生まれ。軟派な風貌に似合わず、大学では哲学科に籍を置いていたらしい。
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