01 14

林 茂雄





須賀敦子と淡い霧

 「ナポリを見て死ね、という言葉があります」と書かれた一枚の絵葉書。それを小学一年生の時に洋行の父親から受け取った女の子は、やがて大きくなってイタリアに行くことになるだろう。いや、その女性はイタリア人と結婚し、十年余をイタリアで暮らすことになるのだ。そして、夫と死別した後に日本に帰国し、「ナポリを見て死ね」というエッセイを書き残す。
 須賀敦子の名はアントニオ・タブッキやナタリア・ギンズブルグの邦訳者として知ってはいた。だが、彼女の手によって1990年代に上梓された美しいエッセイ集の数々を手にとらなければ、おそらくその固有名詞が私の脳裏に刻まれることはなかっただろうし、彼女がイタリアで日本文学の伊訳者として仕事をしていたことも知らずにいただろう。
 「ナポリを見て死ね」というエッセイは『ミラノ 霧の風景』に収められている(本書は講談社エッセイ賞と女流文学賞を受賞)。ここには、須賀敦子が二十代の終りから四十代の初めにかけて過ごしたイタリアの思い出が、絶妙に配色されたタペストリーのように丁寧に織り込まれている。彼女の記憶の中の街や人はくっきりとした輪郭を持っているのだが、鮮やかに彩られているというのとは少し違って、全体にどこか《淡さ》が感じられたのだったが、その理由を最初は見出せないでいた。
 馴染むのに手間取ったナポリ、海の街トリエステ、演劇的なヴェネツィア、そして、須賀が多くの年月を過ごした霧のミラノ。出会った人もこの世を去り、街も姿を変えてゆく。すべては霧の向こうへと時が無情にも流してゆく。そんな感慨がストレートに綴られているわけはないけれども、品よく選ばれた言葉の行間から、余計な飾りのない文体から、知らぬ間に懐かしさと哀しさが読む者の心に染みてくるのは不思議だ。いつしか心の中のアルバムに、行ったこともないイタリアでのスナップ写真がどこからか紛れ込んでくるほどに、彼女の思い出を共有してしまうのはどうしてだろう。
 この本の中には、彼女の夫の死については既成事実として触れられていても、何も書かれていないに等しい。しかし、この本のすべてに夫の死が書かれているともいえる。霧の中からすくい取られた思い出のすべてに、別の霧が、夫ペッピーノの影が、ヴェールのようにかけられているかのようだ。おそらくそれが、彼女の言葉に一種の《淡さ》を感じた所以ではなかっただろうか。
 あとがきには、「いまは霧の向うの世界に行ってしまった友人たちに、この本を捧げる」とある。そして、須賀とペッピーノが共に愛した詩人ウンベルト・サバの次の詩が掲げられている。

 死んでしまったものの、失われた痛みの、
 ひそやかなふれあいの、言葉にならぬ
 ため息の、
 灰。

 思い出とは喪失の別名かも知れない。逆にいえば、喪うことによって思い出というものは結晶化されるのだろう。だからこそ、追憶はこんなにも、痛ましくも美しく、苦くて甘いのだ。だが、《喪失の記憶》さえもいつしか失われてゆくことに、ため息さえも灰となってゆくことに、我々は時折、静かに打ちのめされる。思い出を思い出し、思い出を思い出したことを思い出す。それを繰り返すうちに、思い出そのものよりも、思い出したことの記憶の方がいつしか重層的に積み重ねられ、我々の追憶の歩みは、まるで霧の中をさまようかのように、とても頼りないものになってしまうのだ。




須賀敦子/生年1929年、没年1998年。享年69歳。代表作『ミラノ 霧の風景』。



はやし しげお  金沢生まれ。伊太利亜に住むことを夢見ながら、今日も東京の下町で眠りに就く。
-

東西作家死亡年譜へ       



13へ