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林 茂雄





ダニロ・キシュとディテール

 サミュエル・ベケット(葬送譜24)がパリで死去した1989年12月22日の2ヶ月余り前、同じパリで、旧ユーゴスラヴィアの作家ダニロ・キシュ(Danilo Kis)が54歳の若さで客死した。キシュは1935年2月22日、ユダヤ人の父とモンテネグロ人の母の間に生まれた。父は1944 年にアウシュヴィッツに送られてそのまま二度と戻ることはなく、母はキシュが16歳のときに病と苦悩のうちに亡くなった。
 キシュは寡作な作家で、日本ではまだよく知られているとはいえない。邦訳されているのは現在三冊で、生前最後の作品『死者の百科事典』のほか、自伝三部作と呼ばれるもののうち、二作目の『若き日の哀しみ』と三作目の『砂時計』が日本語で読める(『砂時計』は2007年の今年ようやく翻訳された)。自伝一作目の『庭、灰』や、スーザン・ソンタグ(葬送譜23)が編纂したエッセイ・インタビュー選集(『Homo Poeticus: Esseys and Interviews』)の日本語訳が待たれる。
 『若き日の哀しみ』は、大戦下の少年時代を描いた作品で、切り倒されたマロニエ、母のシンガーミシン、仲良しの犬との別れ、還らなかった父などをめぐり、少年の視点で抒情的に語られている。訳者後書の最後に「1995年2月22日 ベオグラードにて」と記されているのがなんとも心憎い。ちなみに同じ訳者による『死者の百科事典』の訳者後書では、残念ながら「1999年1月19日 ベオグラードにて」となっているが、奥付の発行年は1999年2月22日になっている!――2月22日はキシュの誕生日だ。
 『砂時計』は『若き日の哀しみ』とはガラッと異なり、複雑な構成をもったアイロニカルな作品。キシュの父をモデルにしたE・Sという人物像を、4つのタイプのシークエンス(三人称の情景描写、一人称の覚書、自問自答的な予審、証人尋問)を絡み合わせながら再構成し、最後に実際の父からの手紙を挿入している。この小説の特異なスタイルに慣れるまでに時間はかかるが、次第にキシュの父の肖像が浮かび上がってくる。キシュの友人であり批評家でもあるギィ・スカルペッタによると、E・Sという人物に焦点は当てられているが、 この小説の真の主題は「第二次世界大戦の間の中央ヨーロッパのユダヤ人の迫害の歴史」にあるとされ、ラブレー、ボルヘス、シュルツ、ブロッホ、ヌーヴォーロマンの伝統の合流点にキシュは立っているという(『小説の黄金時代』)
 ――存在するものが存在するのはいかなるゆえによってか。存在しないもの(存在したかもしれないもの)が存在しないのはいかなるゆえによってか。肉体や、目や、睾丸と共に、魂や、この雲や、死にゆく心臓の中心にある核まで死ぬのならば、全てが存在するのはいかなるゆえによってか。――(『砂時計』)
 ――生きとし生ける物は皆、円を描いている。生と死の間で彷徨いながら、生と死の二つの点が重なるまで。――(『砂時計』)
 主人公E・Sをめぐるこの小説『砂時計』には、『若き日の哀しみ』にあった主観的な抒情が排除されており、客観的な記述によって様々なディテールが盛り込まれている中、上に引用したような形而上学的な言葉が時折挿入されている。ディテールの集積と形而上的なモチーフという『砂時計』の特徴は『死者の百科事典』にも当てはまる。
 『死者の百科事典』は生前に刊行されたキシュ最後の作品だ。大恐慌時代のハンブルグを舞台に、愛しい娼婦の死を悼む男の回想を「私」が書きおこした「死後の栄誉」、幻想小説の形を借りて、ある少女が手鏡のなかで殺人事件を目撃する「未知を映す鏡」、歴史書のパロディーによって綴られた「祖国のために死ぬことは名誉」など、様々な文体によって表現された九つの短編と、楽屋話によって著者自身が全作品を相対化してみせた「ポスト・スクリプト」によって構成された短篇集である。どの作品にも「死」という形而上学的な通底音が鳴り響いている。
 この『死者の百科事典』所収の作品の中で最も印象的なのは、同題の短篇「死者の百科事典」である。語り手である女性の「私」は演劇研究所の招きでスウェーデンに行き、そこでいくつかの演劇を観る。――「中でもいちばん面白かったのは、囚人のためにベケットの『ゴドーを待ちながら』をやっていて、それが大成功だったことです」――。『ゴドー』上演を観た翌日、彼女は王立図書館に連れて行かれるのだが、そこで分厚い一冊の書物を開く。その書物がどういったものなのかを彼女はなぜか知っている様子だ。
 ――私にはもうわかっていたのです、どこかでこのことについてもう読んでいたのを思い出したのでしょう。これがあの有名な『死者の百科事典』なんだ、と――(「死者の百科事典」)
 その『百科事典』には彼女の父の写真が載っており、詳細な伝記が書かれている。――「ここには何ひとつ、そう、足りないものはありません。書き落としなどいっさいありません」――。葬儀の次第にしても、例えば、「葬礼を執り行なった司祭の名前、花輪の様子、小聖堂から父の遺体を見送った人たちの名簿、魂の平安を祈って灯された蝋燭の数、“ポリティカ”紙に掲載された死亡広告」といった具合に細大漏らさず、事細かに記述されているのである。
 こうしたディテールの集積が『砂時計』の最大の特徴であったことを考えると、この短篇の中で言及されている『死者の百科事典』という書物は、『砂時計』のことだといってもいいぐらいである。
 この短篇の最後にひとつの花のディテールが書き込まれているのだが、それは何とも奇妙な花である。――「ふと父について書かれたページの終わりのほうを見ますと、花がひとつ、奇妙な花がひとつありました。(中略)説明を読みますと、それが父の絵の基本的な花のモチーフであると書かれていました」――。それは、「皮をむかれ破裂した巨大なオレンジにそっくり」な花で、父が生前に描いていたものとまったく似ていないその絵に彼女はがっかりする。しかしながら、『百科事典』のページでは、父が絵を描き始めたのは 「体内に癌の兆候が現われた時期」にあたるとされ、「彼が憑かれたように花のモチーフを描くのは、病気の進行と一致する」と書かれていたのである。彼女はその絵を写し取り、父の主治医に見せたところ、ちょっと驚いた様子で父の体内の肉腫がちょうどこんな様子をしていたことが告げられて、この短篇は終わっている。
 こうしたディテール表現の不気味さは、偶然にしか過ぎないものがあたかも運命的な符合のように感じられるとき、より強められる。『死者の百科事典』が刊行された3年後にキシュの体に癌が見つかってしまう。翌年キシュはこう語っている――「この作品を書いていた時期はもちろん、僕の肉腫が大きくなっていく時期に一致していた」――と。




ダニロ・キシュ(Danilo Kis)/生年1935年、没年1989年。享年54歳。
代表作『砂時計』『死者の百科事典』ほか。

はやし しげお  金沢生まれ。東京在住。
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