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林 茂雄





ブローティガンとマヨネーズ

 ブローティガンの小説はどれもファンタジックであるにもかかわらず、あるいはそれゆえに、よく墓場が出てくるんだよな。彼の創作活動はわずか20年あまりだったけど、『アメリカの鱒釣り』などの初期の傑作から、遺稿となった『不運な女』まで、ほんとによく墓場が出てくる。だから、この文章のタイトルを最初は“ブローティガンと墓場”にしようと決めたのだけれど、ちょっと味気ないなと思ったから、調味料を加えてみることにしたってわけさ。
 傑作『アメリカの鱒釣り』は47の断章が束ねられた不思議な浮遊感のある小説なんだ。「墓場の鱒釣り」という断章では、語り手の「わたし」は二つの墓地のあいだを流れている墓場クリークで鱒を釣る。そこには「いい鱒がたくさんいて、夏の日の葬送行列のようにゆるやかに流れていた」んだって。金持ちたちの墓地のほうには立派な墓石が建っているけれど、貧乏人たちの墓はといえば、「墓標はぱさぱさに乾いた古パンのみみみたいな、貧相な板切れ」ばかりで、そこに書かれているのは、たとえばこんな墓碑銘。
 ――「(前略)枯れ萎えた花を挿した/このマヨネーズの空瓶は/今は瘋癲病院に暮らす/妹が/六か月前に供えたものだ」――
 『ビッグ・サーの南軍将軍』はカリフォルニアのビッグ・サーという町を舞台に、ジェシーという名の語り手「わたし」と可笑しな将軍リー・メロンたちが繰り広げる破天荒なヒッピー・ライフが描かれた小説。その中で、子供たちが「泥や鹿の枝角やあわびの貝殻」で何か奇妙な遊びをした跡についての印象深い描写があるんだけど、それは「遊びですらなかったのかもしれない、遊びの墓場にすぎないのかもしれない」と語られてるんだ。
 三作目の小説『西瓜糖の日々』もまた、『鱒釣り』や『ビッグ・サー』同様、いくつもの断片的なエピソードで綴られた作品で、ほとんどのものが西瓜糖から作られているという不可思議な世界「アイデス」での出来事が淡いタッチで描かれてる。そこには「すべての死者たちをガラスの柩に納め、川底に葬る」風習があって、墓には狐火が入れられるため、夜になると墓は光を放ち、「川の中、水底にある墓からさしてくる光の上方で、蛾たちがはたはたと羽を鳴らす」のだ。この物語の最後のほうで、首を吊って自殺した美しいマーガレットがガラスの柩に埋葬されるシーンがあるけれど、感情を排した淡々とした筆致ゆえに、ある名状しがたい哀しみにいつの間にか読者は襲われてしまうんだろうな。
 このように、ブローティガンの小説には墓場や死体が本当によく出てくるんだよ。探偵小説『バビロンを夢見て』でもそうだね。私立探偵C・カードは、死体置場から死体を盗み出して墓場に持ってくるという奇妙な仕事のために雇われるんだけど、依頼主は別の連中にも死体を盗ませようとしたのみならず、さらに別に雇った連中にカードが盗んだ死体を横取りさせようとするという奇々怪々なストーリー。私立探偵カードはおよそ探偵らしからぬ男で、すぐに「バビロン」の白昼夢を見てしまうという空想癖があり、気をつけないと仕事を忘れてしまう駄目人間なんだ。
 「バビロン」も「ビッグ・サー」も「アイデス(iDEATH)」も(そしてブローティガンが描く作品の舞台はどこもかしこも)一見平和なユートピアではあるんだけど、「iDEATH(自己の死)」という名が示しているように、そこには「喪失、荒廃、死の意識が充満して」いる(トニー・タナー『言語の都市』)。
 1984年10月25日、カリフォルニア州ボリナスの自宅でピストル自殺したブローティガンが発見された。死後一か月以上経っていたという。遺品の中からは『不運な女』という完成された小説原稿が発見された。この作品の中でも墓場が出てくるのだけれど、他の作品以上に《死》の影に濃厚に浸されている感じを受けた。語り手の「わたし」は、ハワイのマウイ島にある日本人墓地を訪れ、高熱があるにもかかわらず「墓地のあいだを縫って歩きながら、死の言づてを読む」のだけれど、墓碑銘を読みながらさまよっていると、なぜか「生き生きとした気持ち」になれるという。――「わたしはこれまでいつも墓地に興味をそそられてきた。」――
 ある女性が首吊り自殺をした家で(『西瓜糖』のマーガレットを想起させる)寝泊りしていた語り手「わたし」は、この『不運な女』という小説そのものについて、「この本は中途半端な疑問が不完全な回答に繋がれた姿で構成されている未完の迷路」だと記していて、その言葉通り、「尻切れトンボの断片」の数々が積み重ねられた文章の中で、何度か筆は《首吊り自殺した女性》について触れるけれど、またすぐに別の事柄へと横滑りしてしまう。「くだんの不運な女は、わたしが短期間泊まったあのバークレーの奇怪な家のなかで、首を吊ったまま、いまだに死んでいる」と語る「わたし」は、最後のほうでこう述懐する――「首吊り自殺した女についてもっと哀れみ深く思いやりをもって、掘り下げて考えることだってできたはずなのに。」――
 『不運な女』の前書きにもまた《死》が書かれてる。N(ニッキー・アライ)という友人の死をめぐる言葉がそこにあるのだけれど、風変わりなことに、作者はその故人のNに向けて「あなた」と二人称で呼びかけている。――「あなたに電話をかけたいと切実に思いながら、わたしは電話機を見つめてじっとしていた。でも、それはまったくできない相談だった。だってちょっと前にあなたの友だちからかかった電話で、あなたが木曜日に死んだことを知ったのだから。」――
 これくらいにしようか。個々のブローティガンの作品について、まだまだ書いてみたいことはあるけれど、もう終りにしておこう。『ホークライン家の怪物』の舞台となっている場所が「死の山」と呼ばれていることについても、これ以上触れないでおこう。ハイウェイの下のペット墓地をさまよいながら墓碑銘を見て回るという短篇が『東京モンタナ急行』の中にあることなんかも、これ以上は踏み込まないでおこう。「虫のお葬式」や「死につつあるきみが最後に思いうかべるのが溶けたアイスクリームだとしたら(Melting Ice Cream at the Edge of Your Final Thought)」という詩についても、もう語るのはやめておこう。だって、言葉で埋められるものは、とても少ないのだから。
 ――「けれども、ことばで死を偽装することはできない。いつだって、ことばの終りで、誰かが死ぬ。」――(『芝生の復讐』)
 この文章を、私にとってのブローティガンの小さな墓にすることにしよう。墓前にマヨネーズの空瓶を置いておけば、きっとボードレールがやってきて、小さな花を供えてくれるだろう。リチャード、あなたがそのとき思い浮かべるものは、溶けたアイスクリームかい? それともマヨネーズ?




リチャード・ブローティガン(Richard Brautigan)/生年1935年、没年1984年。享年49歳。
代表作『アメリカの鱒釣り』『ビッグ・サーの南軍将軍』ほか。

はやし しげお  金沢生まれ。東京在住。
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