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林 茂雄





シュペルヴィエルとメレンゲ

 一時期、アポリネールと共にシュペルヴィエルに凝っていた。どちらもフランスの優れた詩人であると共に、幻想短篇の書き手である。アポリネールの『異端教祖株式会社』『虐殺された詩人』と、シュペルヴィエルの『沖の小娘』『ノアの方舟』は、最も愛すべき短篇集としてわが貧しき書架をしばらく飾っていたっけ(詩人の手になる短篇作品に傑作が多いと前から思っている)。
 ただ、この二人を並べてみると対照的ともいえて、アポリネールは黒、シュペルヴィエルは白、というイメージがある。アポリネールが夜の幻想だとすれば、シュペルヴィエルは昼の幻想だ。シュペルヴィエルの言葉は、ブラックアウトではなく、ホワイトアウトする。その作品世界は光に満ちた輝く白、それも限りなく透明に近い白であって、昼の力が闇を溶かすまでに夜を侵食していくかのようだ。たとえば詩集『引力』の中の「予言」を読んでみよう。
 
 「ある日 地球はもはや 回転する盲目の空間にすぎなくなり 夜と昼との境もなくなるだろう。 (中略) 世界中のありとあらゆる家がほろんで たったひとつのバルコン以外には 後に残らず 人間の住む世界地図全体から 天井知らずの悲しみだけが残されるだろう。 (中略)茂った森のあった場所に ひと声 鳥の歌声が立ち昇っても 誰ひとりとして どこから聞こえるかを知らず、いい声だとも思わず 耳にもすまい。ただひとり 神様だけが聞き入り つぶやくだろう 《ああ 鶸だな》と。」
 
 シュペルヴィエルの幻想は、彼が涙や溜息を扱うときでさえも、明るく輝く。そのエクリチュールは空虚な世界を開かせるが、それは楽しげに思えるほど、美しく透明な光に満ちた空虚さだ。もうひとつ『引力』所収の「息吹き」という詩に目をとめてみよう。
 
 「地球の軌道の中で この惑星が もはや遠く 稀薄な夢にとりまかれた ちっぽけな球体でしかなくなるとき。 (中略) 見えるのだ。虚空に浮かぶ死者たちが 空中で寄り集まって 地球の進み具合を あれこれと 声をひそめて論じ合うのが。 (中略) 川という川の影たち あきらめきれない急流の影たちが なおも忠実な水を流す気で 死者たちの生きた姿を映そうとする。非現実に夢中になった魂が 夜明けとそよ風にたわむれながら 天空の動きの中に さくらんぼを掴もうとする。」
 
 『シュペルヴィエル詩集』を編纂したクロード・ロワはこう述べている。「シュペルヴィエルの作品以上に死が絶えずそこに頑張っている作品はない。しかも、死をロマンティックに取り扱うことの危険にこれ以上染まりにくい作品もない。 (中略) 死とは、シュペルヴィエルにあっては、まったく単純な、まったく健全な、恐怖や威信の虚飾を完全に脱ぎ捨てたものだ」と。
 シュペルヴィエルの代表的な短篇「沖の小娘」「セーヌ川の名無し女」なども死がテーマになっているといっていいだろう。だが、一見ファンタジックでリリックに思えるけれども、甘いわけでも湿っているわけでもない。不可思議なほど明るくドライな空気に包まれているのがシュペルヴィエルの作品世界である。
 やや甘い味はするが、その菓子には砂糖は使われていない。口当りはやさしくサッとさわやかに口溶けするが、テイストはしっかりと舌に残る。そのメレンゲ菓子はシンプルで素朴だが、大人が堪能できるものだ。それは空虚で乾いている。汎神論のように。それは古代ギリシア的地中海の雰囲気を纏っている。




ジュール・シュペルヴィエル(Jules Supervielle)/生年1884年、没年1960年。享年76歳。
代表作『沖の小娘』『ノアの方舟』『火山を運ぶ男』ほか。

はやし しげお  金沢生まれ。東京在住。
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