腰本 文子


霊感ゼロ、くじ運ゼロ、ギャンブル運ゼロ。悪いモノに憑かれることもないかわりに、ついてる話にもおよそ縁がない。そんな人生を送っていながら、人智を越えた不思議な話に目がなく、酒とチョウチョをこよなく愛する上州女が、虫採りのついでに各地で採集した奇譚・珍談・怪異譚。どうぞ、眉に唾をつけつつお読み下さい。

霊能者の奇譚採集

第1回 キジムナー(採集地;琉球国)

それは、ニングルから始まった

 ずいぶんと前の話だが、倉本 聡著『ニングル』(理論社)がマイブームになったことがある。ニングルとは北海道の原生林に人知れず棲息するといわれる森の民で、身の丈は20センチくらい。先住民族の伝説に登場するコロボックルと同種か別種か定かではないが、反則技ギリギリのノンフィクションの体裁で書かれた同書を読むと、とにかくニングルは北海道に「いる」らしいし、また「いてほしい」と思わせる生きものである。 『ニングル』に登場する人物は、倉本氏の富良野での交友録を綴ったエッセイ『北の人名録』に同名(本名ではなく愛称だが)の人間が多数出てくることからも、実在の人物であることが窺い知れる。そのなかの数人がニングルに実際に遭遇したときのエピソードが、同書には生き生きと、けれども虚々実々に描かれている。どこまでが事実でどのあたりからがフィクションなのか、その判断は読者にゆだねるという執筆の姿勢が、反則技ギリギリという所以なのだが、技は技。「これってどこまでホント? でもってどこからが寓話?」と思った時点で、読者は手練れの脚本家の術中にすでにハマっているのである。
 ニングルが現れるときには強い草いきれがムッと立ちのぼるという。北海道の森林破壊が問題になる時期に、なぜかニングルの目撃談が頻発するなど、倉本氏が続けている問題提議を思えば、寓話的要素が多分に強いのだが、とにもかくにも私はニングルの存在を信じることにした。そのほうが面白いという理由で。そして、理論社と倉本センセイから感謝状をもらってもいいくらい、同書の布教に勤める日々が続いた。
 沖縄で語り継がれる伝説の妖怪「キジムナー」に興味をもったのは、そんな頃である。
 
全身真っ赤な妖怪
 きっかけはNHKで放映された『ぐるっと海道3万キロ』(タイトルうろ憶え。違っていたらごめんなさい)という番組だった。
 確かNHK沖縄の制作だったと記憶しているが、幼い頃にキジムナーと遭遇した複数の「おばあ」の目撃談と、その存在の神秘性に取り憑かれ、ヤンバルの森の樹冠に作った観察小屋でキジムナーウォッチングに明け暮れる、ある「おじい」の姿を追うという内容であった。あのお堅いNHKが地元スタッフの確信犯的コンセプトのもと、ドキュメンタリー番組にも関わらず「キジムナーは実在する」という前提で、かなり強引に、しかし情熱的な台本づくりをしていたのに何よりも心を打たれた。『ニングル』で洗礼を受け、そのテのものに対する当方の受信機能が、パラボラアンテナ並みに広がっていたせいかもしれない。
 キジムナーは人間の児童くらいの背丈で、皮膚は全身真っ赤。髪も燃えるような緋色であり、ガジュマルの古木をねじろにしているというのが定説のようだ。
 
  その丈 三尺を越えることなし
  その体重 ときには盤石のごとく
  また 空気のごとく 判定するに すべなし
  髪 あくまで赤く 西の海の茜のごとし
  顔 あくまで赤く 幼童のごとく 愛らし
  歳月はあれども その一生
  優に人間暦の世紀を重ねて なお余りあり
  巨樹老木に棲み 
  黄昏時より 夜明けまでの天地を
  わがものとして翔びまわる われを
  人間は 木の精なりという
      (船越義彰著『きじむなあ物語』那覇出版社より)

 また、キジムナーはときに他愛のない悪戯をしては、その存在を人間に知らしめるという。
 人間に角力(すもう)を挑む、魚の目玉を片っぽうだけ食べる、いわゆる金縛りに襲われるのもキジムナーのしわざである、などなど。
 果たしてキジムナーは実在するのだろうか。それともウチナーンチュ(沖縄の人びと)自身は、単なる伝説・民話の世界の語り継がれる精霊やもののけの類ていどにしか考えていず、「ナイチャー(内地の人間)がまた何を血迷ったことを」と嗤うだろうか。好奇心がむくむくと首をもたげるのであった。

西表島のコビト伝説
 キジムナー熱がピークにさしかかった時期、折良く、沖縄に旅する機会に数度恵まれた。思えば、大学時代に蝶採集で八重山諸島の西表島にハマって以来、沖縄行きは10数回を数える。
 沖縄本島にある某企業の会社案内パンフレット制作のために取材旅行したときも、友人と連れだって個人旅行した折にも、私は会う人、会う人に同じ質問を浴びせかけた。
 「ジムナーを見たことはありますか? あるいは、貴方のお知り合いでキジムナーを目撃したという人はいらっしゃいませんか?」
 仕事で一緒になった那覇在住のカメラマン氏(現在40代半ば)は言った。
 「幼なじみの家のおばあは昔、見たことがあると言ってたな。僕自身はないですけど、子どもの頃、よくキジムナーにまつわる遊びをしたものですよ。年取ったガジュマルの樹のまわりに砂を巻いておくと、キジムナーの足跡がつく。それでキジムナーを捕まえようという遊び。足跡はとうとう見つけられませんでしたけどね」
 西表島に行くと必ず泊まる民宿のおじいの言葉も印象的だった。おじいは私の目をじっと見つめたあとで、じつに思わせぶりにこう答えたのである。
 「キジムナーは西表にはおらんよ」
 西表島にはキジムナーとはまた別のコビト伝説があって、コビトに会った、コビトを見たという噂がまことしやかに流布されている。
 余談になるが、学生時代、人も通わぬ鹿野川湾という西表島の秘境でキャンプをしたとき、当時鹿野川湾の洞窟で暮らしていた世捨て人の爺さんが──人恋しくなったのであろう──夜半、酒盛りをしていた私たちのところへひょっこり顔を出した。泡盛「清福」をふるまいながら、私は訊いた。
 「鹿野川にコビトは本当にいるの? 見たことある?」
 鹿野川湾こそ、西表コビト伝説のメッカといわれ、湾の沖に転々と浮かぶ岩の上にコビトがこつ然と現れ、ぴょんぴょんと岩から岩へ跳び移っては、またこつ然と消える。あるいは、時化に遭った漁船が湾に避難したとき、コビトが漁民の前に現れて「魚、獲れたか?」と声をかけた──等々、鹿野川のコビトにまつわる怪談をすでに聞いていたからだ。身を乗り出す私に、「鹿野川爺さん」は拍子抜けするほど、あっさり言い放ったものである。
 「ああ、おるとも。こんな、海の凪いだ月夜の晩にはよく現れるんじゃが……今日は出んなぁ。人間が大勢いるから恥ずかしがっとるんじゃろ」
 そんな昔の想い出があるだけに、民宿のおじいの発言を深読みしてしまう私であった。
 「(コビトならいるが)キジムナーは西表にはおらんよ。(でも、ほかの島にはいるよ)」
 私の耳にはこう聞こえたのである。
 ウチナーンチュは、そこがチャーミングなのだが、冗談を真顔で言って人を煙に巻くヘキがあるから、からかわれただけかもしれない。実際、「見た」と言い切る人はなかなか現れなかった。だが、「キジムナーはたんなる伝説に過ぎない」と存在を言下に否定する人も、1人としていなかったのである。
 少なくとも、ウチナーンチュの心にしっかりとキジムナーが棲みついているのだけ
は、確からしい。
 
キジムナー目撃者あらわる
 そう結論づけて、生き証人の発掘を諦めかけたときのこと。思わぬところでキジムナーの目撃者に巡り会った。学生時代からの常連宿、石垣島の某ゲストハウス。夕食後の宴会の席で、キジムナーについてダメモトで切り出したところ、「ハイッ! 私、キジムナーに会ったよ」と、宿のママさんが勢いよく手を挙げたのだ。ママさんの話はこうである。
 宮古島に住んでいた小学生時代、まだ離島に設備が整った病院がなかった時分、彼女は盲腸の手術を受けるために沖縄本島の病院に入院した。海を渡るのは初めてのことで、手術への恐れよりもまだ見ぬ世界への憧れのほうが勝ったという。
 さて、手術が無事済んで、大部屋に移されたある深夜、彼女は金縛りに襲われた。
 「目は覚めているのに、体がびくとも動かなくてサ。恐る恐る薄目を開けた。そしたら、真っ赤っかのおかっぱ頭の子がね、ベッドの横で私を見下ろしてたの。おっきな目がキラキラと輝いていてね、可愛かったよー」
 不思議と恐怖心はなかったとママさんは言う。時間が止まったようだったとも。どれくらい経っただろうか、ふいに金縛りが解かれ、その瞬間に真っ赤な童の姿も霧の如くかき消えた。隣のベッドを見ると老婆がぱっちりと目を開けていた。
 「おばあ、おばあ! 今の何? 今の何だったの?」
 老婆はこともなげに言ったという。
 「あれが、キジムナーっさあ」
 翌日、隣のベッドの老婆はまるで何事もなかったかのように、キジムナーのことは何ひとつ話さなかった。あれは口に出してはいけないこと。おばあの横顔がそう語っていた。

奇妙なコトバの符合
 彼女の体験はひょっとしたら、術後、身体に残存した麻酔薬の影響からくる幻覚だったかもしれない。レム睡眠時によく起こる「金縛り」という脳の錯覚に伴う幻視や幻聴だったかもしれない。金縛りはキジムナーの悪戯と聞かされて育つウチナーンチュのことだ。意識への刷り込みが見せた幻覚という線はじゅうぶんに考えられる。
 だが、ママさんの表情は真剣そのものだった。彼女は元来霊感が強く、ほかにも怪異な体験に事欠かない人である。なにしろ、内地の出身でバリバリの現実主義者である彼女のご主人でさえも「うちのカミさんは時々ホントに神懸かるから」と、半ば冗談、半ば本気で言うくらいなのだ。私は彼女の話を信じることにした。
 考えてみてほしい。そういった身の丈小さく容貌怪異な生きものが、もし実在しないのだとしたら、全国の、いや世界のコビト伝説はなぜこうもよく似ているのだろう
か。北欧の森に棲むというノームというコビトしかり、北海道の先住民族の伝説でつとに有名なコロボックルしかり、くだんのニングルしかり、キジムナーしかり。ニンフ、精霊、妖怪、もののけ……レッテルはさまざまだが、森の小さき民、古木に巣くう者という共通項は無視しがたい。
 発想をもっと飛躍させれば、日本各地で伝説の残る河童だって、ある意味、コビトの一種と考えてみてもいいのではないか。かの有名な柳田国男著『遠野物語』で河童の項目をチェックすると、《身内まっ赤にして口大きく(56話)》とか、《外の地にては河童の顔は青しといふやうなれど、遠野の河童は面の色赭きなり(59話)》などの記述が見つかる。一般に河童は川に棲む妖怪といわれているけれど、遠野の河童は古木とも縁が深いようだ。《三本ばかりある胡桃の木の間からまっ赤な顔したる男の子の顔見えたり。これは河童なりしとなり。今もその胡桃大木にてあり。この屋敷のめぐりはすべて胡桃の樹なり(59話)》とある。なんだか、ガジュマルの樹に棲息するキジムナーを彷彿とさせる記述ではないか。キジムナーのおかっぱ頭というヘアスタイルの語源が「河童」に由来するのは明々白々だし、人間に角力を挑むという言い伝えも奇妙なほど似ている。
 また、例えばコロボックルやニングルやノームが、キジムナーや河童よりも身体がずっと小さいのは、もしかして北方系と南方系の違いなのではあるまいか。昆虫の世界では、北方系種は大きさが小ぶりで、南方系になるほど、より大型で派手な色彩になるのはよくあることである。人類だって肌の色や身体の大きさはさまざまではないか。
 とまあ、何の根拠もない無責任な推論(妄想?)を書き連ねてしまったが、今回のキジムナー話にはちょっとしたオチがある。
 たった1人とはいえ、貴重な目撃者に巡り会い、満足感を胸にふと立ち寄った那覇の本屋で、私はなんの気なしに『琉球語辞典』を手に取った。ぱらぱらとページをめくる。すると「ニングル」という4文字が目に飛び込んできた。
 えっ、琉球語にニングル? 
 ドキドキしながら、そこに書かれた標準語訳を読む。そして、総毛立った。
 
  《ニングル:「恋人」の意》
  
 恋人……こいびと……コビト。
 民俗学の世界では、音の響きとコトバはたしか、密接な関わりを持っているのではなかったか。
 だとすれば、この不思議な符合はいったい何なのだろうか。 

   

腰本文子(こしもとふみこ)

群馬県沼田市生まれ。蝶に狂い、旅にあけくれる、自称吟醸ライター。著書に『蝶がいっぱい』(晶文社)など。