『テーマ館』 第22回テーマ「振り向けば」



 「もしも振り向けば・・・」   by しのす


      ふと気がつくと彼女が目の前にいた。
      腰まで伸びた黒髪、ジーンズに包まれたすらりとした足、歩く度に揺れるヒップ。
      その完璧な後ろ姿に俺の胸は高鳴った。彼女こそ俺の探し求めた女性かもしれない。
      は彼女の後をつけることにした。仕事柄尾行は得意だった。

      以前も後ろ姿に惹かれて後をついていったことがある。
      ある時は後ろ姿に魅了されて追い越し、顔をのぞき込んだ。
      すると、それは50を越えたおばさんで、俺はショックを受けた。
      またある時は酔った勢いで素敵な後ろ姿に声をかけた。
      振り返ったのは厚化粧。「何かしら」と言ったその声は、太くて低かった。
      よく見ると喉仏が・・・。

      しかし今回は違う。おばさんでも、オカマでもない。
      真実の理想の女性が目の前を歩いているのだ。彼女の後ろ姿を見ながら俺はそう確
      信した。
      彼女の後ろ姿を追うだけで俺は幸せを感じた。
      もちろん彼女の顔を見たい。しかし無理にではなくて俺の心が通じて彼女に振り返
      ってほしいのだ。
      俺の思いが通じてもしも彼女が振り返れば、俺はきっと・・・

      と、一瞬の油断から彼女は点滅する信号を渡り切り、俺は横断歩道のこちら側にと
      り残されてしまった。無理に渡ろうとしたが、車に行く手を遮られた。
      待つしかない。数十秒だが長い時間・・・
      俺は目の前を行き交う車の間から、彼女の後ろ姿を目で追っていた。
      早く信号がかわれ、と念じ続けた。と、大型トレイラーが目の前を通り過ぎた。
      長い車体が通り過ぎてしまった次の瞬間、俺は息をのんだ。
      彼女の姿が消えたのだ。

      俺は動揺してまだ車が走っている道路に飛び出そうとしたが、何とか思いとどまっ
      た。彼女の姿を必死で探す。店のショーウインドーの前、ビルの間。
      やっとのことで、タクシーの中に彼女の後頭部をみつけることができた。
      はっと思った次の瞬間、タクシーは走り出していた。無情にもスピードをあげて去
      っていく。
      信号は変わらない。俺はいらいらしながらタクシーの去った方向をにらんでいた。
      仕事柄情けない話だが、タクシーの会社とナンバーをおぼえるのを忘れていた。
      やっと信号が変わった。俺は走って横断歩道を渡ったが、タクシーの姿は、もうど
      こにもなかった。俺は力無く歩道上に座り込んでしまった。

      あれから数ヶ月たつが、彼女の姿はまったく見ていない。

      あの時、彼女の顔を見ておけばよかった。
      一体どんな顔をしていたんだろう?
      俺はとても後悔している・・・

(投稿日:10月09日(金)23時48分35秒)