平成14年(2002年)NHK大河ドラマが、
「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」を放映!

平成14年(2002年)放送の大河ドラマで、石川県待望の
「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」を放映しました。
激動の戦国時代に「律義」・「実直」・「誠実」さで、信長、秀吉、家康の信頼を得て、
“加賀百万石”の礎を築いた藩祖・前田利家と、その正室・まつ。
信念と誇りをもってナンバー2の立場を貫いた利家と、夫を叱咤激励して支え続けた
まつの波乱万丈の人生を描く“戦国ホームドラマ”です。
作者は、平成8年放映されて大好評を得た「秀吉」を手掛けた竹山洋氏。

前田利家
加賀藩初代藩主。
尾張(愛知県)荒子に生まれる。
初め織田信長に仕え、青年の頃は血気盛んで武勇を誇り「槍の又左」との異名をとった。永禄元年、まつと結婚。天正3年、越中府中城主となり、同9年には能登の国特大名となる。同10年に小丸山城を築く。同11年、賎ヶ岳の合戦後、金沢城(尾山城)に移る。以降、秀吉のもとで五大老の一人に列し秀頼の後見役を勤めたが、慶長4年、大阪城内で死去。
まつ(芳春院)
前田利家夫人。
天文16年、尾張海東郡沖之島で生まれる。永禄元年、12歳で利家と結婚。長女幸や長男利長など2男9女をもうける。豊臣秀吉、おね夫妻とも親交があった。夫利家が死後、剃髪して芳春院と称し、2代利長、3代利常を見守り、前田家の安泰を見届けた。家康の誤解を解き前田家を守るため、慶長5年、人質として江戸に赴き15年を過ごす。金沢に戻って3年後の元和3年、71歳で死去。


ここにいけば歴史が甦る。ドラマがはじまる。「前田家縁りの史跡」


今もなお、加賀藩の面影を色濃く残す縁りの地。加賀百万石の文化と歴史に触れてください。

金沢城址石川門(金沢市丸の内)
利家が天正11年に入城して以降、本格的な築城が始まり、以後前田家の居城となった。門の方向が石川郡の方を向いていたので石川門と称したという。
尾山神社(金沢市尾山町)
2代藩主利長が卯辰山八幡宮を造営し、卯辰山ろくに利家を合祀したのにはじまる。神門は和漢洋折衷三層楼門で、国の重要文化財に指定されている。
野田山墓地(金沢市野田町)
天正15年利家の兄利久を葬って以後、前田家一族の墓所となり、利家も遺言通りここに葬られた。
桃雲寺(金沢市野田町)
慶長5年利家墓守の寺として建立された。初め野田宝円寺と号したが、のち利家の戒名を取り高徳山桃雲寺と改称した。
宝円寺(金沢市宝町)
前田家の菩提寺。七尾に宝円寺(現長齢寺)を建立したのち、天正11年利家が金沢に移った際、新たに建立された。

・兼六園(金沢市丸の内)
・尾崎神社(金沢市丸の内)

・天徳院(金沢市小立野)

・辰巳用水(金沢市)