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(C)2003
Somekawa & vafirs

『サマータイムブルースが胸に沁みる! (前編)』

ヤミヨのカラス

今年1月に2度目のチェンマイ駐在となり、はや半年を超えた。
なまじ海外にいると、10年前に比べれば情報インフラは格段に発達したとはいえ、それなりに今の日本に疎くなってくるのは仕方が無い。
この半年の間に、東日本大震災が発生した。
海外のメディアも連日連夜津波の被害を放送していたし、海外からの支援、励ましを受けたのは周知のとおり。
しかし、現地で唯一見ることができるNHKプレミアム放送では、今も被災の特集は行っているものの、報道の頻度は減ってきている。

確かに、中国四川地区やインドネシア(タイ南部も被災)の大地震の時、日本人の我々も、そうだったのだけれど、やはり関心は薄れているんだろう。
当初、この国やこの国に住んでいる日本人たちからも東北に向け支援、物資や義捐金を送ったりしていたが、関心は薄くなっている。
対岸の火事。
現在の日本に疎いので分からないが、日本の民放は、どうなんやろ?
やはり、視聴率、スポンサー最優先で恋愛ものや、お笑いものでの番組編成をしているんだろうか?
しかし、福島県の放射能事故は、全世界の心配事としては見過ごすことは出来ない。
なぜなら日本の食の安全から経済活動に、この先何十年と大きな影響を及ぼすであろうと思われるからだ。

1979年、郡山市に移り、4年間住んだ。
家主でもある大工の棟梁が立て15名ほどのむさ苦しい学生が住む、土日を除き晩飯付きの安下宿。
県下一の一級河川である阿武隈川のほとりにたち、下宿の名前は大工の棟梁の奥さんの名前でネェーミング。(富士美壮)
工業系大学なので毎週実験とレポートがあるにも関わらず、酒と音楽と旅にのめり込み、淡い恋に身悶えし過ごした青臭い日々。

この時期、Hと知り合う。
郡山生まれの郡山育ち。 同じ学部であったことや、高校時代にラガーだったこと、音楽をやっていたことや、酒が好きということもあり、すぐにツルんだ。
県随一の進学校に入ったものの、音楽で勉学の道を逸れてしまい、この大学に入ったことには自虐的な奴だった。

ゴキブリがワクほどの生活はしていたものの、奇跡的に小生は4年で卒業し地元に就職した2年目の年、有名な某楽器屋の音楽コンテストで、小生の曲が福島県予選でグランプリを取った。(と言うか、取ってもらった。)
それは、福岡出身で大学の応援団長兼バンド活動をしていた、もう一人のダチが、小生の曲で応募してくれたからである。(コード進行はオリジナルのままだったけれど、メロディラインを変えたので作詞:ヤミヨのカラスでノミネート)
次のステージである東北地区大会に進出しTVで放映するとのことで、その主催者は小生も仙台に招待してくれた。
一方、Hが率いるバンドも福島大会で入賞し仙台にて再開を果たした。
それ以来の腐れ縁となる。(東北大会では、両バンド、入賞はすれど、グランプリを取れず、散る。)

小生の結婚式にも元応援団長と共に出席。
3次会はロブロイでギターを弾きまくり、その宴はホテル日航で待つ嫁さんをほったらかして、へべれけになる朝方まで続いた。(こんな体たらくだったため、初夜から嫁さんに激怒され、その後、この上下関係は不変の法則となる。)
Hは1年留年した後、企業に勤めていた後、大学の元応援団長と共に学習塾を起業。
その後、少子高齢化ということで塾を畳み、IT関係のプログラム会社を立ち上げた後、社会人になった元塾の生徒と結婚、郡山市に居を構え一男一女をもうけた。

東北なまりの下宿屋の家族、4年間働いたハンバーガー店の店長やバイト仲間、馴染みの飲み屋のマスターやママ、など小生が携わった多くの人々も、 今、生きて郡山に住んでいるとしたら、全て被災者である。
下宿の新人歓迎コンパの際に、5名いた同期は、ことごとく潰されたが、逆に4回生を潰してしまった小生は、翌日正座させられ説教した後、蹴りを入れられた。
その蹴りを入れてくれた1年上の先輩も、いわき市出身だ。
市の音楽サークルで知り合い、テクノとロックを融合しつつ、セッションしながら下宿で遊んでいた田島貴男(オリジナルラブ、当時高校3年)も当時この街にいた。 (小生の音楽性が少なからず、ヒットに繋がった要因かも知れないが、売れなくなった要因であるかも知れない。もしくは関心がなかったか、のいずれかである。)

3月11日の震災後、福島第一原発の負のスパイラルに陥った様子を知るたびに、Hと携帯番号の交換をしていなかったことを悔んだ。 (1回目の海外赴任で年賀状以外の連絡は途切れていた。)
仕事中、何気なしにインターネットで、Hの名前を検索してみる。
すると、その検索結果にHが代表として名を列ねる会社が載っており、早速電話をかけてみると、いぶかしそうに電話口に出た声はまさしくHの声であった。
自宅マンションはヒビが入ったものの、どうにか住める状態。
会社も無事であったが、仕事が震災前より激減。
従業員は休業支援をもらい何とか維持している。
福島は、原発事故によりその名を世界に轟かせている。
カラ元気だったのかも知れないが、Hは大きな声で話しをしてくれた。

続く

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