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(C)2003
Somekawa & vafirs

『ロブロイストの日々 後編』

ヤミヨのカラス

【45口径コルトM1911】

タイ陸軍の射撃場で38口径リボルバーを打ち終えた後、45口径コルトに持ち替える。
コイツはリボルバーと違い連射が可能だ。
グリップに安全装置があり、握りこまないと撃てない仕組みになっている。
カートリッジには7発の弾が込められており、38口径よりはるかに重い。
スライド部を操作し弾をチャンバーに送り込む。
標的に狙いを定めて引き金を引くと、防音式のヘッドフォーンを突き破る発射音と共に、銃口は上を向く。
肩が抜けるほどの衝撃にウシロのめりになり踏ん張った瞬間、手は無意識にグーとなり、
“ドキィィィィィーン”
と、射撃場のトタン屋根をぶち抜いた。
曹長は速攻で頭を抱えてしゃがみこみ、次の誤射がないことを見てから立ち上がり、こちらに歩み寄る。
そして口を、ヘッドフォーンに捻じ込むように近づけ、一言
“ユー、ノーセンス(見込みないわ)”
とノタマッタ。

トタン屋根には“過去のノーセンス野郎”が開けた穴がいくつも見え、一発目でノーセンスはないだろうとイラッっとくるが、一人前にコイツを打てるようになるには、かなりの授業料が必要なことは確かだ。
象でも一発でぶっ倒せると言うのもまんざらでもない。
と言うか、鍛え抜かれたプロしか使えないだろう。
今度、会社で何かあったら、45口径は辞退し、38口径を借りよう。

もったいないので残り5発は撃つことにしたが、身の危険を感じたのか曹長は、射撃場からずっと離れて見守るだけだった。

【小仏像のアクセサリー プラクルアン】

肩の痛みと火薬のにおいを引きずりながら帰ることとする。
車のエンジンをかけて数分後、部下のKは笑みを浮かべながら車に乗り込んで来る。
ウインクしながら手渡してくれるその手には前タイ国王を印刷した1000バーツ札があった。
軍を紹介したタイ人にキャッシュバックされる金だし、黙っていれば自分のポケットに“ナイナイ”出来るものの、さすがに信頼できる片腕だ。

その後、Kの案内で街に引き返し市場にある仏具店に向かい、ロブロイのマスター用と帰国の土産用に、タイ仏教徒が身につけている小仏像のアクセサリー“プラクルアン”を買う。
由緒ある寺院で年代物のプレミアモノであれば、数億円するものもあるらしい。
土産用はステンレスの容器で、マスター用は銀製の奴で買い求め、30キロほど離れた寺院に向かった。
と言うのも、馴染の店のマスターが大手術すると言う話をKにしたところ、仏教徒のKらしい“プラクルアン入魂+祈祷作戦”を立ててくれた。
目的の寺は日本の薬師寺に相当し万病を直すと言う霊験あらたかなお寺である。
辿り着くと、何十人と言うタイ人が線香を手に持ち仏塔を回りながら無心に祈っている。

Kの通訳で寺院に祈祷を申込む。
日常タイ語ではない読経の中、本尊と僧侶そして小生とそのプラクルアン達は一本の糸で繋がり、仏の魂と病気平癒、健康長寿の祈りが封印された。

プラクルアン

【染川三男と我らの祈り】

この年の2003年4月に、マスターはこのHPを立ち上げる。
しかしいきなりのマスターの大手術で、もう終いか?と言うピンチもあったが、ロブロイを愛する人達により、旅日記や自慢話、ロブロイにまつわる話、マニアックな話や、シュールな話などをマスターは掲載してくれたのである。

同じ年の8月、小生はタイ赴任を終え、能登にある工場に異動となる。
引っ越しの途中にマスターの入院する金沢の病院に寄りプラクルアンを渡す。
が、それ以上にロブロイを愛する人々の祈りによってマスターが回復したことは、これ以降の15年を見れば一目瞭然だ。
酒とたばこが日常だったマスターは奇跡的に肝臓も肺も健康で、酒をたらふく飲み、ハープも吹き、休暇に自転車で走り回るくらいに回復する。
生存率の壁である5年もかぁーるく超え、執刀医が学会で発表するほどのピンピンさだ。

しかし運の悪い時もある。
ある日、店から帰宅する時に、あの急な階段を踏み外し往来に転がり落ちた。 ものの、致命的な怪我も追わず、車にもはねられず、手首の骨折だけで助かった。
また、昨年の暮れに、瀕死状態で営業しているマスターに、忘年会を終えた掛かりつけの病院関係者が偶然にも来店して即入院となり今日に至る。
この点は、マスターがバックに入れて持ち歩いていた“プラクルアン”が守ってくれたと今も信じている。
もしくは元来、染川三男と言う人間は、魑魅魍魎どもを寄せ付けない体質なのであろう。

【ロブロイとは】

金沢市金劇裏の小さな店ロブロイ。
バーボン&スコッチの店として41年間、存在した。
そこには、人によって合わない酒はあるが、まずい酒は一滴も置いていなかった。

あの“薄暗い急な階段”を登り古びた扉を開けると、そこにはいつもバーテンダー染川三男が立っていた。
一見気難しそうであるが、ヤンチャで、シュールで、しかも手品好きで、遊び好きで、ハープを演るマスターを気に入った者には、たまらない隠れ家となる。
ふらりと寄ったがためにリピーターになる旅人や、マスターからの一言が欲しくて通う客も多かったと思う。(自分もその一人)
特筆すべきは、HPを立ち上げてから15年、毎月書いてくれた“主の独り言”。
一人でよくもまあ毎月、書けたものである。

極めつけは毎年6月と年末に開催されたロブ祭りを抜きにロブロイは語れない。
プレーヤーたちはそれに向けシコシコと腕を磨き、ブルース好きなオーディエンスが集まり、マスターの強引なハープの割り込みと共に、熱い夜が繰り広げられたのであった。
去年からロブ祭りは年3回となって、これからと言うタイミングではあったが、誠に残念なことにマスターの体調が悪化。
ハープも吹けなくなり来店者に対してバーテンダーの使命は全う出来ないと、苦渋の決断をしたのだろう。
2週間のラスト営業を最後に、閉店する連絡がロブロイを愛する面々に送られた。

マスターの闘病が長引き再開できるかヤキモキさせられたが、彼は見事に復活し、希少なボトルも含め店にある全ての酒をふるまった。
そして、誰も予想だにせぬマスターのハープ参入により熱いライブが毎夜繰り広げられ、3月24日(正確には翌日の朝4時)をもってロブロイは幕を閉じた。

【ロブロイストの日々】

我々は、マスターの心情である“酒・場・人”が昇華し、“ロブロイスト”と名付けられた。
夥しいボトルと漆黒のカウンターや壁に沁み込んだブルースはもう我ら“ロブロイスト”の記憶の中にしかない。

そして皆さんが、楽しみにしているHPと“ロブロイストの日々”を継続して欲しいと願い出たが、
“店も閉めたので区切りはつけたい。”
と言うマスターの想いは尊重したいと思う。

いくつも消え失せていく店が多い古都金沢で、はるか鹿児島からやって来た一人の漢が、嫁さんをメトリ子供も育て上げ41年間続けてくれたのも、マスターを見初めたロブロイストがあってこそだと思う。

そして、ロブロイを愛した我らは死ぬまで“ロブロイスト”であり、“ロブロイスト”がこの地球上に存在する限り、
“ロブロイストの日々”は、
続く

ロブロイ バーテンダー 染川三男マスター 41年間お疲れ様でした。

そして本当にありがとう。

ロブロイ