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(C)2003
Somekawa & vafirs

『一緒に飲みたいひと』

酒飲みの女房

私は以前はお酒が苦手でした。
お酒が・・というよりかはお酒の席が・・の方が正確ですかしら。
たまたま世間知らずのまま10代で就職し、その職場がかなり特殊な、女性ばかりの会社でその中でも10代の年齢である・・ というだけで大事にされることもありうまく使われることもあり。

仕事がらみの宴席はしょっちゅうありました。
女性ばかりの職場なので接待の席ではホステス扱い・・
先輩が、まだ未成年の私に向かって「飲まなくていいから空になったら注いでね。あなたは飲んじゃだめよ」
飲んじゃだめと言われても注げば勧められます。
「飲んではいけないと言われてますのでお断りします」
接待で隣に座った女の子がこれでは可愛くないに決まってます。

お酒の席自体、大人の世界。
そんな中に社会勉強もせずにほおりこまれて成人するまでの数年は嫌な思いばかりしていました。
今で言うセクハラなんて日常茶飯事。
かわし方を知らないので変なことがあるたびに、「お酒を飲んでるおっさんなんて大嫌い!!」
そのうち接待の席に同席するのはお酒の強い同期生ばかりになって行き、 嫌なことは免れて行きましたが「お酒嫌い。飲み会も嫌い。酔っ払いも嫌い。お酒を飲んで酔っ払うのは恥ずかしいことだ。」
とさらに強く刷り込まれて行きました。

思えば、小さなころからもプロレスを見ながら、サッポロビールを嬉しそうに飲む父親を見て 「なんであんなに、貧乏ゆすりをしたり首を振ったりフンフン鼻をならしながらゆれているんだろう・・」と嫌悪感を抱いてました。
物心ついた時からお酒の好きな父親でしたねえ〜
そんなこんなで無事に成人するも、嫌悪感の刷り込みの方が存在を占めてましたのでお酒の席は出来るだけ避けて通りたい。
お酒を飲むのは罪悪。
正義感を持つ人間はお酒とは無縁。
と、ずーっと思ってました。
かれこれ30代になるまで。
なので、お酒で失敗したことがなければ修行が足りていないので飲み方もわからない。
まあ、宴席が嫌いなので誘われることがないし、わざわざ自分から行くこともない。
無菌室で培養されるような生活をしていたのでそのまま・・なんの疑問も抱くこともなく、すくすくと日常を過ごしていました。
ところが、大人になる為の洗礼を受けるにはいつまでも無菌室にいるわけにはいられません。
まずはわたしの五歳上の兄、これもまた特殊な男ばかりの職場だったのでお酒の洗礼は浴び過ぎる程に浴びさせられて 仕事とお酒は密接したものと言わんばかりに常にお酒まみれでした。
そんな兄が無菌室にいる私を不憫に思ったのか満を持してこう言い放ったのです。
「人と、ひゃっぺんコーヒーを飲むんやったらいっぺんでええから酒を飲みに行け」
私にとっては驚きのアルコール解禁宣言でした。
もうすっかり20代も後半を過ぎての解禁宣言・・そんなこと言っても飲みに行く友達もいないしいったい何時行くのかもわからない。
飲み方すらわからない私はとりあえずチュウハイ・・薬臭く美味しくもない(当時はレモンとライムしかなかった)飲み物をそんな、何杯も飲めません。
大人のお付き合いとはなんと面白くないものなんだろうと宴席嫌いの刷り込みは薄くなり濃くなりを繰り返しつつまたまた、すくすくと日常を過ごしていました。

そして次の洗礼が間もなくやってくるのですが〜〜フンフン言いながらお酒を飲んでいた父親が癌になったのです。
余命半年。
半年ですよ・・と言われながらも一年近く入退院を繰り返し、体調の良い日は仕事に出掛け好きなお酒も飲んでいたようです。
そして、自分が世話になっているスナックに私を連れて行くのです。
悲しいことに余命宣告されているので嫌とは言えません。
年頃に成長した娘を連れて飲みに行く・・・
多分・・・嬉しかったでしょうね〜

何度も涙ぐんでいました。
でも、私自身は解禁宣言してからそんなに年月も経っていないしまだ飲み方、楽しみ方がわからない・・酔いもしないので味気ないお付き合いだったと思います。
そんな中、もうこれが最後だと思うから・・・と兄と、父親と三人でカラオケスナックに行くことになりました。
それはそれは、歌う飲む飲む歌うとこんなにはしゃいだ父を見たことがない、と思うくらいの喜びよう・・嬉しい酔っ払い

初めておっさんの酔っ払いを「許せるかも?」と思った瞬間でした。
兄が、父親の財布から勘定を払いお釣りを私のポケットにねじこんでいてもすごく嬉しそうに喜んでいました。
間もなく父親は亡くなり、本当に最後の宴会になったのです・・

そして数年が過ぎ、予期せぬ次の洗礼が訪れてきました。
生涯の伴侶として現れたパートナーがなんと無類の酒好きだったのです。
彼は、若いころから楽しいこと、嬉しいこと、辛いこと、様々なことがお酒の席と共にあったようです。
よく体を壊さなかったなと感心するくらい、無茶な飲み方を(無菌室の私から見れば)していたみたいですね。
数ある武勇伝の中には新宿歌舞伎町を裸の体にトイレットペーパーをぐるぐる巻きにして走ったというのがあります。
あきれるやら、感心するやら下手すれば逮捕です。

そのパートナーと結婚する前、お付き合いを始めてから夜のお食事は必ずお酒の席になりました。
「仕事の後は仕上げなければならない」仕上げるって・・・
このパートナーのお陰で、無菌室で青春を過ごした私はあっという間に酒飲みの女房になりました。
あ、なりましたというよりなれました。・・・お陰さまで・・・
まだ、時間の配分が分かってない頃は一次会で食事も軽く済ませて二次会へ進む・・・「30分だけ行こうか」
え?もう終電だし、眠いし、まあ30分で帰るなら辛抱しようか・・・
ところが一時間二時間と時間は経過していく。
30分だけて言わなかったっけ?あれあれ?どうなってんの?次の日、その経緯を追及すると・・ 「なに言ってんの酒飲みの30分は3時間です」きっぱり!あ、そうでしたか。
そおいうことね。
毎日毎日、家飲み外飲みもらい飲みおごり飲みとアルコールとは切り離せない生活が始まり続きました。
でも、私はまだまだ新参者ですのですべて見ること聞くこと触れることが新鮮で驚きの連続です。
しかし恐ろしいことに、お酒のある環境に徐々に馴らされしまいには、 「お酒にお強いですね〜」なんて人から言われたりして・・・酒飲みの女房どころか酒飲みになりつつあります。

いえいえ、まだ飲み方がわかっていないんです。
修行の真っ最中なんです。
人生の中で飲むことのできる酒量が決まっているとしたら幸いにも解禁したのが遅かったのでまだまだ余裕があります。
楽しそうに馴染みの居酒屋でお酒の進むパートナーを見ていると、ああ、一緒にお酒を嗜むことができて幸せだわ楽しい嬉しい気持ちも倍増するわ、と。、
やっとこさ無菌室で育った女の子は大人の女性へと成長して行けました。
はい、お陰さまで・・・
そうして今や、馴染みの居酒屋では座って水割り、お湯割りと言うだけで好みのドリンクが出されるようになり軽く喉を潤してお料理にあったお酒をチョイスするなんて、 けっこう、宴席を楽しんでいます。
自分でもびっくりするくらいの成長ぶり・・・

そして父が他界してから20年。
あの時、つかず離れずと子供のままでいた私はお酒の味を知り、ほんわかと酔っ払うまでに大人になれました。
そのうえお酒を飲まないつまらない男ではなく(注、飲まない男性にも素晴らしい方は多くおられます) 豪快にお酒を飲むなんとも頼もしい男性と一緒になりました。

生きていれば78歳叶うことならば、フンフン言いながら笑っているお父ちゃんと 旦那さん、兄ちゃん、そして焼酎の水割り3杯はいけるようになった娘とお酒を酌み交わして夢のような夜を過ごしたかったです。

・・・親孝行したかったなぁ〜

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