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(C)2003
Somekawa & vafirs

『オージーの風(前編)』

ヤミヨのカラス

【STAY HUNGRY! STAY FOOLISH!】

“貪欲であれ、常識に捕らわれるな。”
アップルの設立者であるスティーブ・ジョブズの座右の銘である。
そもそも、ヒッピーのために作られた“全地球カタログ=The Whole Earth Catalogue”という出版物の最終版に書かれた一節で、 ジョブズの伝説的なスピーチ(2005年のスタンフォード大学卒業式)で用いられている。
ジョブズは、日本でガラパゴス携帯と揶揄され世界標準にならなかった通信機器をアイフォンと称し、優れたデザイン性と直感的な操作性、 それと彼の巧みなスピーチにより瞬く間に世界を席巻した。

1980年代前半。
ジョブズの座右の銘は知らなかったが、ストレートにハングリーで無知であった。
司馬遼太郎と小田実の放浪記に感化され“世界を変えるくらいの何かをしたい!”と漠然とアホなことを考えていた20代前半のころ。
“音楽で世界中に友達を仰山作ったろ。そして、もし世界で大きな戦争が起こったら、その友達を起点に音楽で立ち上がるんや!そして平和な世界を実現するんじゃ!!!!” と志を立て、大学を卒業し入社するまでの1か月間オーストラリアを放浪することに決めた。
1983年3月の話である。

【COME YESTERDAY!】

野宿用の寝袋、ガスコンロ、ガスボンベはリュックに、自作の曲はカセットテープに放り込み、ギターをリュックに括り付ける。
英語もカタコトで泊まるところも決めておらず、“地球の歩き方”を頼りに現地で何とかすることとする。
初めての海外。
軍資金も心細く節約の旅だ。
また準備なく計画性もなく、別の意味でもFOOLISHであり、ワクワクどころか本当に生きて日本に帰って来れんの?と、自分の無謀さに吐き気を覚えた。

香港、台湾、シンガポール経由シドニー行のシンガポール航空の一番安いチケットを入手し成田空港から出国。
が、ガスボンベは成田空港の荷物チェックでハジカレ、幸先悪いなぁと飛行機に乗り込む。
オーストラリアまでの鈍行フライトは30時間の長旅だ。(帰りはシンガポール空港で一夜を明かす。)
機内では同世代の日本男子と隣り合わせになり、彼も一人旅で心細いのかすぐ仲良くなる。
聞けばシドニーに姉貴が住んでおり遊びに行くと言う。
家に泊まりに来ればいいと言うありがたいお誘いを受け、“普通の海外旅行になるけど、まっ、いっか。”と、最初の志はどこへやら。
不安な旅から解放されたと胸をなでおろしていた。
が、しかし早朝についたシドニー空港で彼は消えていなくなっていた。
素性も知れない輩を姉貴は受け入れなかったのであろう。

とにかく、そんなことでメゲてる場合ではない。
南半球の3月は夏から秋にかけての季節で、まだまだ暑いが節約のためシドニーの街へ2時間かけて歩く。
そして、ようやく辿り着いたYMCAのチェックインカウンターで紙を見せられる。
そこには、“先日火災が発生し宿泊できない。どっか別を当たってくれ。”と日本語で書かれていた。

“なんの、なんの俺にはまだ強い味方のユースホステルがあるわい。”と必死こいて探したユースホステルでは、 “チェックインは3時から”と書かれた看板がドアにぶら下がり施錠されていた。
チェックインまで5時間以上ある。
飛行機で殆ど眠れず、2時間以上歩きっぱなしで観光する元気もなく、小さな公園を見つけ木立に座り込み休むことにする。
このまま寝てしまうと荷物が盗まれると思い、青息吐息で目を凝らしていると案の定、50歳くらいのガリガリでしゃがれ声の白人のおばさんが寄ってきて、 いきなり“5ドルくれ!”だ。
“はあ!?”である。
彼女の目はうつろで、ロレツの回らない訛りの強い英語で金をせびってくる。
“金なんか無いよ!”と押し問答を繰り返していると、そのおばちゃんは、しびれを切らしたらしく一転ムンズと小生の手首を握り上げ、怒りの表情で、 “ギブミー ファイブダラー!! ナンチャラ!カンチャラー!!!!”と睨み付け叫んできた。
薬が切れた麻薬常習者のカツアゲだと直感し、反射的にその腕を振りほどき一目散でその場を離れる。
振りほどいた手首には、おばちゃんの爪が食い込み血が滲んでいた。
下手に手を出したら何が出てくるかわからない。
ここは外国。
しかも初日。

いきなりの出来事にショックを隠せず、空腹でフラフラになりながら町中に出る。
パンと水でも買おうと目に留まった小売店に入る。
“ハロー”と声をかけるが反応がない。
“ハロー、ハロー”と奥へと向かうと曲がった通路の先に白髪のお婆ちゃんが見えた。
と、そのお婆ちゃんは突然立ち上がり、“カム、イェスタデェー!!! ナンチャラ!カンチャラー!!!!” と、凄まじい権幕でまくし立てられその勢いに押され、一目散に表に飛び出た。

オーストラリア。
第2次世界大戦時、母国のイギリスを支援し日独伊同盟と戦っていた国である。
日本憎し、我が同胞の息子達を殺した憎むべきジャップ!の偏見は、当時はまだ根強く残っていた。
また、オーストラリアではワーキングビザという制度があり、1年間働きながら滞在する日本の若者が増加していた時代だ。
東洋人=日本人と思われてもおかしくない。

“カム、イェスタデェー???”
あぁ、日本で言う”オトトイ来やがれ!“だったんですね。マダム。

凹んでトボトボ歩いていると、ショーウィンドーに見たことがある猿顔の東洋人がこちらを見ている。
よくよく見るとそれは自分だった。
アジア人の顔って白人から見たら猿同然なんやな。
と妙に納得する。

仕方なくユースホステルに戻り玄関と生垣の間に身をひそめチェックインまで待つことにした。
するとそこには小生と同じ境遇であろう白人の若者が眠っている。
目が覚めたところ話しかけると、そいつはドイツ人だった。
日独伊同盟の同胞であり、やはり通じるものがあるのか、 “オーお前んとこのウォークマン、ええやんか!せやけど、ウチんとこのカメラもなかなかやるでぇー”などとお互いの国を褒めたたえあい住所を交換する。

ソステ。。。
ようやくチェックインができ、ドイツ人が連れて行ってくれたスーパーで牛肉を買い、ユースのキッチンでステーキにしオージー臭は強かったが腹いっぱい食べた。
とにかく初日は散々な日であったが、ドイツの友人が一人出来たことで良しとしよう。
まあ、世界平和はちょっと横に置いといて、とにかく明日どうするか、しっかりせんと日本に帰れんぞ。。。。
そう考えながら深い眠りについた。
続く

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