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(C)2003
Somekawa & vafirs

オヤジが学生にもどれる時

川口 明彦

元々、酒が好きだった訳ではなかった。
酒を飲む席には必ず女性がいた。 そう、自分にとっては当時酒は女性を口説く場所だったのかもしれない。

そんなある日、当時口説こうとしていた彼女とロブロイに行った。
その後何回か行ったが、ある日突然ふられてしまい、ロブロイへ行くと主は言った。
 「まあ、とにかく飲んだら」

別に女をはべらして飲みに行くのは悪い事ではないが、ロブロイはそのような場所ではない事を飲みに行く度にわかって来た。
それと同時期に良き飲み友達にも出会った。

一人は残念ながら数年前に他界してしまった。 いつも酔ってカウンター席からころげ落ち、床で眠りだす。 よく自分は一人っ子だと言い、メロンを一人で全部食べれる、と自慢する不思議な人物だった。 もう一人は今でもベロンベロンに酔いながらも、お互いを理解出来るいい関係だ。 おまけに最近自分の薦めもあり、同じ会社で働いている。
彼とは毎週土曜日にはロブロイに行っていたような気がする。

当時はバブル突入期ではあったが、お客さんはまばらでとても快適に飲めた。
学生の分際でと思われる方もみえると思うが、当時の住んでいた寮は催促なしのある時払い的な事もあったので、家賃も払わず飲み代にしていた。 ちなみに就職後の夏と冬のボーナスは、その家賃滞納分にすべて使った。

20年前にもなるが、彼とは大学でバンドを組んでた事もあり、卒業前にもうギターを弾く事もないから、「今日ギターをマスターにあげる」と言い一緒に飲みに行った。 その時のマスターの 嬉しそうな顔は忘れられない。
あげると言っても彼のギターは、当時でもかなりの高級品だったような気がする。

その後、彼とは兄弟みたいな関係(最近知ったが、当時二人にはホモ疑惑があったらしい)だったので私のベース(これも当時かなりの物で、その後マスターから聞いた話では、某有名ミュージシャンのバックバンドのメンバーが譲ってくれ、と言ったとか言わなかったとか)も卒業で実家に帰る前、「マスター、このベース“預けるよ”」と言い、預けたつもりが数年たつと「川口君。北方領土も何年かたったらソビエトの物になった。このベースも10年たったから所有権は僕の者だよ」との事。さすが!学生時代に聞いたうんちくは健在だ。

大学卒業後、しばらくの間は毎年一回は行っていた。 マスターの子供さんが小さい頃、その友人家族と、マスター家族と一緒に長島スパーランドに行ったりした。 その後はなかなか行く機会がなかったが、ここ2年は母校の行事の関係で、飲みに行く機会が出来た。

特に今年、その彼と一緒に飲みに行けた事が、非常に嬉しかった。
20年前から変わらない雰囲気で、20歳年をとった連中が20年前の自分に戻れる空間がある、と言うのは不思議な世界でもあり幸せな事である。

そして40過ぎた自分を川口“君”と呼んでくれるマスターとTAKA様、多分、50になっても70になっても“君”と呼んでくれると思う。
最近は飲むと言っても外で飲む機会も減り、金沢のロブロイに行くとはめを外し、今回は早めにホテルに帰ってゆっくり寝るぞ、と思いながら二年連続で、さあ帰ろうかと思い、外に出るとお日様が見える世界。 五人乗りのタクシーに、ドライバーさんがダメだ、と言うのを六人無理やり乗り込んでホテルまで帰る。

40過ぎのオヤジ、お姉さまが20代気分で飲んではしゃげる場所が、金沢片町の裏通りにある。

<ロブロイストの日々>  毎・月始め更新いたします。