【陀羅尼・総持の句】


タレント学者



平川彰 東京大学ジャーナルフリー1971 年 19 巻 2 号 p. 584-592

※因みに明呪の信仰に関しては、大乗仏教では法華経が起源である。
大乗仏教経典において、法華経の神呪より古いものはない。
般若経典における呪文の信仰は法華経の影響であり、
般若経典が密教化したのは7世紀以後の事である。



●法華経に登場するダーラニーは大乗仏教最古であり、本来法華行者を守護するという目的で、つくられたものである。
本来法華経のオマケだったものが、後代に拡大解釈され、この後に続いて初期密教が起こり、真言を連発するようなご利益経典が作られるようになった。
役行者が持っていた孔雀明王経(孔雀が蛇を食べる事から山岳修行における蛇除けの呪文パリッタが発展したもの)などがそうである。
因みに『正法華経』竺法護訳286年は、ダーラニーもすべて漢訳している。陀羅尼は總持とも言う。正法華経では陀羅尼品は總持品となっている。

【AI による概要】

●「総持の句」という言葉は、陀羅尼(だらに)という仏教用語に関連する言葉です。
陀羅尼は、サンスクリット語のダーラニーを音写したもので、「総持」や「能持」「能遮」などと訳されます。
陀羅尼は、仏教経典に多く含まれ、特に密教では、祖師の供養や亡者の冥福を祈るために唱えられます。

● 「総持」という言葉は、一般的に「すべてをよくおさめ持ち、忘れ去らない」という意味で解釈されます。
陀羅尼は、梵語を翻訳せずに原語のまま音写された比較的長文の呪文で、不思議な力があると信じられています。

●陀羅尼は、その内容によって様々な種類に分類されますが、
総じて、仏や菩薩への帰依を宣言する句で始まり、本文へと続く構成が一般的です。
陀羅尼は、意味不明な呪文であるため、その宗教性は意味そのものにあるのではなく、
仏の真実語であると信じ、その神秘的な力に帰依する信仰にあると言われています。

●簡単にまとめると、「総持の句」は、陀羅尼という仏教の呪文の一種であり、
その中でも特に「すべてを忘れずに保持する」という意味を持つ言葉です。


■だから翻訳しない?


大谷大学:氏家昭夫 般若経と文殊菩薩から



この陀羅尼は書経に説かれるが、おそらく大品般若経が初出と思われる。

と言っているが、法華経の陀羅尼品が最も古い。


 

出典:https://buddha.pink/sutra/151/

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「陀羅尼品第二十六」(だらにほん)

アーナンダ
わたくしアーナンダは如是我聞しました!漢訳なので漢字なのです!

《薬王菩薩がブッダに質問します。》

薬王菩薩がブッダに質問します。

 
薬王菩薩

男であれ、女であれ、法華経を受持し読誦し、書写するなら、どれほどの幸いを得るのでしょうか?

ブッダは答えます。

 
大乗のブッダ

多くの仏を供養するより、法華経を四句偈でも受持し、読誦し、書写するほうがはるかに幸いが大きいのです。

薬王菩薩は言います。

 
薬王菩薩

法華経を説き広めるものたちに、陀羅尼(だらに)の祈祷文(きとうもん)を与えて守護いたします。

《漢訳ひらがなよみの陀羅尼》

あに・まに・まね・ままね・しれ・しゃりて・しゃみ・しゃびたい・せんて・もくて・もくたび・しゃび・あいしゃび・そうび・しゃび・しゃえ・あしゃえ・あぎに・せんて・しゃび・だらに・あろきゃばさい・はしゃびしゃに・ねびて・あべんたらねびて・あたんだはれしゅだい・うくれ・むくれ・あられ・はられ・しゅきしゃ・あさんまさんび・ぼだびきりじって・だるまはりして・そうぎゃねくしゃね・ばしゃばしゃしゅだい・まんたら・まんたらしゃやた・うろた・うろたきょうしゃりゃ・あしゃら・あしゃやたや・あばろ・あまにゃ・なたや

 
ぼーさん

下は、陀羅尼の音訳と訳語です。詳しい意味も読み方もわからないので参考程度にしてください。

《陀羅尼の音訳と訳語 *参考程度》

あに(奇異)・まに(所思)・まね(意念)・ままね(無意)・しれ(永久)・しゃりて(所行奉修)・しゃみ(寂然)・しゃびたい(澹泊)・せんて(志黙)・もくて(解脱)・もくたび(済度)・しゃび(平等)・あいしゃび(無邪)・そうび(安和)・しゃび(普平)・しゃえ(滅尽)・あしゃえ(無尽)・あぎに(脱莫)・せんて(玄黙)・しゃび(澹然)・だらに(総持)・あろきゃばさいはしゃびしゃに(観察)・ねびて(光耀)・あべんたらねびて(怗於内依倚恃所有)・あたんだはれしゅだい(究竟清浄)・うくれ(坑坎有無)・むくれ(高下亦無)・あられ(廻旋有無)・はられ(処周旋所)・しゅきしゃ(其目清浄)・あさんまさんび(所等等無)・ぼだびきりじって(覚巳越度)・だるまがりして(於法而察)・そうぎゃねくしゃね(合衆)・ばしゃばしゃしゅだい(無音)・まんたら(所説鮮明)・まんたらしゃやた(止足而懐)・うろた(節減尽除)・うろたきょうしゃらゃ(暢音響宜)・あしゃら(了衆声暁)・あしゃやたや(文字而了)・あばろ(窮尽有無)・あまにゃ(力勢有永無)・なたや(思念所無)

《サンスクリット語の陀羅尼》

アヌェー、マヌェー、マネー、ママネー、チッテー、チャリテー、サメー、サミター、ヴィシャーンテー、ムクテー、ムクタタメー、サメー、アヴィシャメー、サマサメー、ジャエー、クシャエー、アクシャエー、アクシネー、シャーンテー、サミテー、ダラーニ、アーローカ=バーシェー、プラティアヴェークシャニ、ニディル、アビアンタラ=ニヴィシュテー、アビアンタラーパーリシュッディ、ムトクレー、ムトクレー、アラデー、パラデー、ス=カーンクシ、アサマ=サメー、ブッダ=ヴィローキテー、ダルマ=パリークシテー、サンガ=ニルゴーシャニ、ニルゴーニ、バヤーバヤ=ヴィショーダニ、マントレー、マントラークシャヤテー、ルテー、ルタ=カウシャルエー、アクシャエー、アクシャヤ=ヴァナターエー、ヴァックレー、ヴァローダ、アマヌヤナターエー、スヴァーハー

■思念が尽くるところに、寂然たる安和あり。解脱の玄黙のうちに凝然と観ずれば究竟清浄なる眼に法を察す。

陀羅尼の概略:大角修先生

陀羅尼(だらに)は「ダラーニー」で、

「保持する」という意味。

語句の短いのを、真言(しんごん)「マントラ」ともいう。

陀羅尼呪(だらにしゅ)の呪は秘密の意味で、

陀羅尼そのものが呪文で「秘密の言葉」と解説されています。

この陀羅尼は神威のこもる祈祷文の神呪(しんじゅ)で、

たくさんの諸仏が説かれたものです。

もしこれを受持する求法者を誹謗するものがあれば、

その誹謗する者が諸仏の徳を毀損(きそん)する者なのです。

ブッダは多くの衆生に多くの幸をあらしめようと薬王菩薩を称賛します。

次に、

布施の勇者の勇施菩薩(ゆうぜぼさつ)がブッダに伝えます。

「わたしも法華経を受持するものたちに、

鬼の夜叉(やしゃ)や、

人を惑わし人を食べる悪魔の羅刹(らせつ)、

熱病をもたらす病魔プータナの富単那(ふたんな)、

死体を操る悪魔キトゥヤの吉蔗(きっしゃ)、

残忍な悪魔クンバーンダの鳩槃荼(くはんだ)、

餓鬼(がき)などの

悪霊がつけいることはできない陀羅尼(だらに)の祈祷文(きとうもん)を与えて守護いたします。」

《漢訳ひらがなよみの陀羅尼》

ざれ・まかざれ・うつき・もっき・あれ・あらはて・ねれて・ねれたはて・いちに・いちに・しちに・ねれちに・ねりちはち

《陀羅尼の音訳と訳語 *参考程度》

ざれ(晃耀)・まかざれ(大明)・うつき(炎光)・もっき(暉演)・あれ(順来)・あらはて(富章)・ねれて(悦喜)・ねれたはて(欣然)・いちに(住止)・いちに(立制)・しちに(永住)・ねれちに(合無)・ねりちはち(集無)

《サンスクリット語の陀羅尼》

ジュヴァレー、マハー=ジュバレー、ウッケー、トゥッケー、ムッケー、アデー、アダーヴァティ、ヌリトゥイェー、ヌリトゥヤーヴァティ、イッティニ、ヴィッティニ、チッティニ、ヌリトゥヤニ、ヌリトゥヤーヴァティ、スヴァーハー

■光輝なる富の証の富章(ふしょう)に喜びの欣然として住止せよ。

陀羅尼の概略:大角修先生

この陀羅尼も神威のこもる祈祷文の神呪(しんじゅ)で、

たくさんの諸仏が説かれ随喜してきたものです。

次に、

北方守護の毘沙門天(びしゃもんてん)も、

衆生を哀れみ法華経を守護するものに陀羅尼を示し、また守護します。

とブッダに宣言します。

《漢訳ひらがなよみの陀羅尼》

あり・なり・となり・あなろ・なび・くなび

《陀羅尼の音訳と訳語 *参考程度》

あり(富有)・なり(調戯)・となり(無戯)・あなろ(無量)・なび(無富)・くなび(何富)

《サンスクリット語の陀羅尼》

アッテー、タッテー、ナッテー、ヴァナッテー、アナデー、ナーディ、クナディ、スヴァーハー

■金持ちの富有(ふゆう)なるは、あざける調戯(ちょうぎ)にして無戯(むぎ)なり。無量なれ。

陀羅尼の概略:大角修先生

 
ぼーさん

この毘沙門天の陀羅尼の大角先生の解説に、宮沢賢治のエピソードがでてきます。とてもおもしろいですよ!下に本の紹介のせておきます。

次に、
東方守護の持国天王(じこくてんのう)がたくさんの音楽の精霊の乾闥婆衆(けんだつばしゅ)たちと共にブッダに宣言します。
「われもまた、持経者を守護するために陀羅尼を示します。」

《漢訳ひらがなよみの陀羅尼》

あきゃね・きゃね・くり・けんだり・せんだり・まとうぎ・じょうぐり・ぶろしゃに・あっち

《陀羅尼の音訳と訳語 *参考程度 岩波の解説にも?がついていました・・・。》

あきゃね(無数)・きゃね(有数)・くり(曜黒?)・けんだり(持香)・せんだり(曜黒?)・まとうぎ(きょう祝)・じょうぐり(大体)・ぶろしゃに(順述器于)・あっち(有至暴言)

《サンスクリット語の陀羅尼》

アガネー、ガネー、ガウリ、ガンダーリ、チャンダーリ、マータンギー、プッカシ、サンクレー、ヴルーサリー、シシ、スヴァーハー

■曜黒(ようこく)に持香し凶祝(きょうしゅく)の大本に至る。

陀羅尼の概略:大角修先生

次に、

生きものの精気を奪う妖怪の、藍婆(らんば)、毘藍婆(びらんば)、曲歯(こくし)、華歯(けし)、黒歯(こくし)、多髪(たほつ)、無厭足(むえんそく)、持瓔珞(じようらく)、臬諦(こうたい)、奪一切衆生精気の十羅刹女(じゅうらせつにょ)がいて、
鬼子母神(きしもじん)とその子ら眷属(けんぞく)と共ブッダに宣言します。

「わたくしたちもまた、持経者を守護するためと、憂いと患いを除きたいと思います。もし法師の弱みをうかがう者があっても、つけこまれることのないようにします。」とブッダに陀羅尼を示します。

《漢訳ひらがなよみの陀羅尼》

いでび、いでびん、いでび、あでび、いでび、でび、でび、でび、でび、でび、ろけ、ろけ、ろけ、ろけ、たけ、たけ、たけ、とけ、とけ

《陀羅尼の音訳と訳語 *参考程度》

いでび(是於)、いでびん(欺於)、いでび(爾乎)、あでび(民於)、いでび(甚極)、でび(無我)、でび(無吾)、でび(無身)、でび(無所)、でび(俱同)、ろけ(己興)、ろけ(己生)、ろけ(己成)、ろけ(而住)、たけ(而立)、たけ(亦住)、たけ(嗟嘆)、とけ(亦非)、とけ(害加得消頭大疾無)

《サンスクリット語の陀羅尼》

イティ=メー、イティ=メー、イティ=メー、イティ=メー、イティ=メー。
ニメー、ニメー、ニメー、ニメー、ニメー。
ルヘー、ルヘー、ルヘー、ルヘー、ルヘー。
ストゥヘー、ストゥヘー、ストゥヘー、ストゥヘー、ストゥヘー、スヴァーハー。

■ここに無我、無身なり。大疾も害を加うるを得ず。

陀羅尼の概略:大角修先生

「わたしも法華経を受持するものたちに、鬼の夜叉(やしゃ)や、人を惑わし人を食べる悪魔の羅刹(らせつ)、熱病をもたらす病魔プータナの富単那(ふたんな)、死体を操る悪魔キトゥヤの吉蔗(きっしゃ)、死体を操る青鬼のヴェーターダの毘陀羅(びだら)、赤鬼の犍駄(けんだ)、食人鬼ウマラーカの烏摩勒羅(うまろぎゃ)、妖怪アパスマーラの阿跋摩羅(あばつまら)たちが、

法師を悩ますことがないように偈でもって伝えました。

ブッダは法華経を受持する者の守護を讃えました。

そして、ブッダが陀羅尼品を説いたとき、

六万八千人が無生法忍を得たのです。

 

スヴァーハーとは薩婆訶「ソワカ(Sowaka / Svaha)」とは、サンスクリット語に由来する仏教用語で、
「**幸あれ!」「祝福あれ!」「円満・成就!」**といった意味を持ち、真言(マントラ)や陀羅尼(ダラニ)の最後に唱えられ、
祈願や功徳を成就させるための言葉です。元々は神への供物を捧げる際に使われた言葉で、
般若心経の最後にも「菩提薩婆訶(ぼだいそわか)」として登場します。

【ソワカの主な意味と使われ方】

    意味:「幸あれ」「祝福あれ」「うまくいきますように」「成就しますように」など。
由来:インドのヴェーダ宗教で神に供物を捧げる際の言葉。

仏教での用法:真言(呪文)の最後に付けて、その祈りが円満に成就することを願う。

例:「オン・カカカ・ビサンマエ・ソワカ」(お地蔵様のご真言の一部)。
般若心経の「菩提薩婆訶(ぼだいそわか)」は「悟りよ、成就せよ」という意味。

法華経には陀羅尼品の他に普賢菩薩品にも陀羅尼が登場する。

普賢菩薩の陀羅尼呪

阿檀地(あたんだい)檀陀婆地(たんだはだい)檀陀婆帝(たんだはてい)檀陀鳩棄隷(たんだくしゃれ)
檀陀修陀隷(たんだしゅだれ)修陀隷(しゅだれ)修陀羅婆底(しゅだらはち)仏駄波羶禰(ぼっだはせんねい)
薩婆陀羅尼(さるばだらに)阿婆多尼(あばたに)薩婆婆沙(さるばばしゃ)阿婆多尼(あばたに)
修阿婆多尼(しゅあばたに)僧伽婆履叉尼(そぎゃはびしゃに)僧伽涅伽陀尼(そぎゃねぎゃだに)
阿僧祇(あそぎ)僧伽婆伽地(そぎゃはぎゃだい)帝隷阿惰(てれあだ)僧伽兜略(そがとりゃ)
阿羅帝(あらて)波羅帝(はらて)薩婆僧伽(さるばそぎゃ)三摩地(さんまじ)伽蘭地(きゃらんだい)
薩婆達磨(さるばだるま)修波利刹帝(しゅはりせってい)薩婆薩嬉楼駄(さるばさったろだ)
隠舎略(きょうしゃら)阿傾伽地(あとぎゃだい)辛阿毘吉利地帝(しんなびきりだいてい)

ここ


陀羅尼はサンスクリット写本においても、正法華経においても呪文として扱われている。
しかしながら、竺法護は、翻訳を試みているようだ。
下記はAI翻訳であるので現時点では、正確ではないかもしれない。





正法華経総持品第二十四 日本語訳


そこで薬王菩薩は、座から立ち上がり、長く跪いて手を合わせ、前に進み出て仏に申し上げた。

「もし族姓の子や族姓の女が、この正法華経の経典を聞けば、

受持し懐に抱き、経巻を書写すれば、福はいかほどでしょうか」。

仏は言われた。「族姓の子女が、この経を受持し、誦し、懐に抱き、経巻を書写すれば、その福は計り知れない。

測り知れず比喩し難し。もし族姓の子が八十億百千姟*

*河砂の数ほどの諸如来衆を供養し、さらにこの正法華経を

授持し懐抱し書写し、講説し供養するならば、どちらの福徳がより大きいか。

如何と思うか。むしろ一心不乱に経典を奉持すべきか、衣食をもって諸仏を供養すべきか。

薬王菩薩は仏に申し上げた。「もし族姓の子や族姓の女が、正法華経の

経典の要義を受け、一四句の頌を執持し書写し、講説し諷誦し、さらに奉行して具足成就するならば、その福は最も多く、幾多の

江砂の諸仏世尊を供養するよりも勝る。仏は言われた。「まことに、法の供養は最も

第一である」。薬王菩薩は再び仏に申し上げた。「私はかくのごとき者ら、すなわち諸族姓の子や族姓の女、この経を受け持つ法師らを擁護し、

義をもって宿衛し、長く無患を得させ、総持の句を誦し、また呪を唱えて曰く

奇異なる所思、意念無意、永久に所行し奉修す。寂然澹泊、志黙して解脱、平等無邪、安和普平、滅尽無尽、

莫勝玄黙澹然、総持観察光耀、有所依倚、恃怙於内、

究竟清浄、無有坑坎、亦無高低、

旋転する所も周旋する処もなく。その目は清浄にして等しく等しくなく。覚已ち

越度して法を観察し。衆を合し音なく説く。解明して懐止し

足尽て節限を除き。宣暢して音響を曉らし。衆声を了し文字を了して

窮尽なく永く力勢なく所思念なし。

薬王菩薩白く曰く。唯然世尊。是総持句。六十

二*河砂の数ほどの諸仏が説かれたもの。仮にこの*呪文を犯す者があれば、

またこの等法師に背き毀損する者は、諸仏世尊の道教を失う。仏は

薬王菩薩の大士を讃えて言われた。「善哉善哉。もし族姓の子が総持句を説き、

衆生のために憐れみ守り、多くを安穏に導くならば」

その時、妙勇菩薩が仏の前に進み出て申し上げた。唯然世尊。我身も

衆生のために、永く安らかでありたいと願う。もしこの経典を奉持する者があれば、

総持句を授け、このように諸法師らを守護し、その便を得る者を伺う者なくさせよ。鬼神諸魅、汚穢の衆鬼、突鬼、厭鬼、餓鬼、反足の鬼。

たとえ煩わそうとも、便を得ることはできない。妙勇菩薩は専心して

思惟し、この総持句を説く。

煌耀大明炎光演暉順来富章悦喜欣然住

此立制永作無合無集

是総持句。*河沙等諸仏所説。咸共勧助。

如来の比類なき諸法師の教えに背く者は、自ら危うきに陥る。

時、毘沙門天王が仏の前に進み出て申し上げた。我もまたこの総持句を説き

慈心をもって衆生のために

法師を守護せん

富有調戯無戯無量無富何富

ゆえに諸法師らを守護し

百由旬内に犯す者なく

宿衛将順

諸族姓子

かくの如く比喩至学法師

受持して

これによって守護され常に吉祥を得る。時、順怨天王

その会に坐し、諸香音億百千姟鬼眷属に囲まれて、

仏所へ赴き、仏に白して言わす。唯然世尊、我もまたこの

総持句を宣べせん。

無数有数曜黒持香凶*呪大体于器順述暴

言至有

唯然世尊、この総持句は、四千二百億諸仏の説くところなり。

この総持をもって、諸経を学ぶ者を擁護供養し、

その便を得ることを伺う者なくさせよ。時に一魅あり、名して結縛、また名して離結、また名して施積、また名して施華、また名して施黒、また名して被髪、また名して無著、また名して持華、また名して何所、また名して一切精を取れ。仏所へ赴き、 鬼子母は諸子と共に、異口同音に仏に前白して

言わん。我ら世尊よ、常にかくのごとき比喩の諸法師らを擁護し

吉祥を加え、法師の短所を伺い求める者なくさせ給わん。時に諸魅は

共に声を挙げて、この総持を宣べ、法師に従順に

かくの如く、かくの如く、かくの如く、かくの如く、極甚く我なく吾なく身なく

所共に興り生じ成って住み立ちまた住み嘆きまた

非ず頭大疾を消し害を加えられず

是ら類は我が眷属。犯すことなく法師を守護し

鬼神諸魅餓鬼溷神突鬼蠱道符*呪

痴狂顛鬼を消し去る。是像を化して来る。鬼神形及び非人像

二日三日、あるいは四日に至る。あるいは常熱病。あるいは夜臥し

悪夢に遇う者。あるいは男女大小の諸像が現れる。我等擁護し

その便を得る者を伺う者なくせしむ。時に諸魅、共に仏前にて

この頌を説く

    頭犯し七分破る 華菜剖るが如く

    母殺す罪致う 父害す殃を得る    

    法を犯す師は 皆この罪を招く    

    世々安らかを得ず 諸仏と会わぬ    

    仏寺を破壊する罪 聖衆を乱す災い    

    麻油を一つに集め 火を放てば皆焼け尽きる    

    消え果て余りなし    

    法を犯す師は この罪殃を得る

    峻なる秤に載るが如く 罪垢の集まる所

    法を犯す師は この重き罪を得る

諸鬼神軍頭等。この偈を説き終え、仏に前白して言わす。我等

は皆、かくのごとく比像諸法師等を守護し、常に安穏にして怨敵を除去せしむ。

周匝宿衛令無傷害。若有行毒。毒為不

行。時仏咏嘆諸魅所*呪。善哉善哉。汝等

乃欲護諸法師。若聞此 周囲に宿衛を配し傷害なきよう。毒を為そうとも、毒は

行われず。時、仏は諸魅の呪いを嘆き、善哉善哉と称えた。汝ら

は諸法師を守ろうとする。この経を聞けば、名号を宣持する徳は測り知れず、

ましてや経巻に書かれたものを随時持説し、

華香・幢幡・蓋・雑香・搗香をもって供養し、 灯を灯し繆紗を懸け、思夷合歓

青蓮紅蓮 黄蓮白蓮

油蘇を少し加えて灯を灯し

この経を供養し勤修を怠らぬ者は

百千億倍の福は計り知れず

汝らはかくのごとく精進する学者を護れ

仏が総持品を説かれた時

六万八千人が

無生法忍を得た







下記のような解釈もあるが法華経の呪文すなわち陀羅尼は、サンスクリット写本においても、
正法華経においても呪文として扱われているので、ここに断っておく。それを踏まえて読んでほしい。



こういう意見もある↓


妙法蓮華経は最低のアレンジ:抜粋
出典:https://heiseidanlin.blogspot.com/2014/01/blog-post.html


法華経は
「過去からの諸仏たちが 神力を以てしても嘱累する事が出来なかった真意、
(宇宙の法則)を説き置く」経だと釈迦自身が言っている。
ならば、翻訳を生業とする鳩摩羅什等の職業翻訳チームが真意を理解して翻訳したと思い込む事はナンセンスだろう。



正法華経に翻訳した竺法護と妙法華経に訳した鳩摩羅什は共にインド系ではあるが、どちらがより仏教と漢語を理解していたかは、正法蓮華経が総持の句としたのに対して、妙法華経では陀羅尼呪としか漢訳出来なかった事で判ります。シリーズ最初に示した三法華経比較で判りますが、妙法華経は正法華経の81%の文字数しかありません。読み比べた限り、竺法護訳は忠実さに重きが置かれ、鳩摩羅什は文学的意訳に長けているように思います。日蓮宗系が最も大事とする妙法華経の壽量品は、正法華經の如來現壽品に比べて70%の文字数で、30%も少ないのは、それはかなりの部分を端折って意訳している事の顕れではないでしょうか。正法華經では善權品第二の 「五濁」 を、 一 塵勞 二 凶暴 三 邪見 四 壽命短 五 劫穢濁 と翻訳されています。意味は 一の塵勞 とは汚す事  二の凶暴、三の邪見、四の短寿命はそのままで解りますが、五の 劫穢濁 とは長期にわたる穢濁、=汚染 の事です。妙法華経の方便品では、五濁は 劫濁 煩惱濁 衆生濁 見濁 命濁 と訳されていて、一見何の事か考えなければなりません。日本人としては正法華経の翻訳の方が、判り易くされているのです。竺法護より翻訳能力が劣る事を端的に示しすのは、鳩摩羅什の陀羅尼の翻訳で、比較になりません。従地湧出と壽量品の翻訳で、字数も内容も正法華経の方が多いのは、五濁の訳例の様に表現の差にあるのです。解かりやすい例を挙げます。過去諸仏が神力を以てしても嘱累仕切れなかった悠久の宇宙時間「久遠」を説き明す、壽量品前半の最も大事なシーンですが、正法華経の翻訳は「於時世尊告大衆曰 今吾宣布詔諸族姓子 如彼士夫取無數五百千億佛界中 塵擧一塵過于東方 不可計會 億百千?諸佛國土 乃著一塵 如是次取越爾所國土 復著一塵 如斯比類取無央數五百千億佛界所有土地一切之塵 一一取布著諸佛國 悉令塵盡」 この後のしばらくの部分は、あたかも現代の我々にはハッブルやスバル望遠鏡の映像に観る 幾億の銀河集団が 宇宙ガス(塵)から生成される様子をイメージさせるシーンで、それから「我成佛已來復過於此 百千萬億那由他阿僧祇劫」へ続きます。 この部分を妙法華経は「爾時仏告大菩薩衆 諸善男子 今当分明宣語汝等 是諸世界 若著微塵及不著者 尽以為塵一塵一劫。」と、半分以上端折って「一塵一劫」と極端に単純化して、久遠を導こうとします。正法華経には「一塵が一劫」だとの、思い切った端折りはありません。端折りといえば、藥草喩品第五は訂正版の添品法華経では復活させていますが、文字数で1946文字をまるまるカットされています。 壽量品に匹敵する約2000文字ですが、その内容は法華経からカットされて良いものだったのでしょうか。日蓮聖人は法華経題目抄や寺泊御書で正法華経、妙法華経、添品法華経での言い回しを挙げて、同じ内容であることを示しいます。 観心本尊抄で薬王品の最後の多宝を無視した日蓮聖人ですから、都合の良い読み方しかしないようで、添品や正法華経との違いをどこまで読んだかは知りませんが、約2000文字の違いを承知できる環境にはあった筈です。現代の妙法華経だけの使用者には藥草喩品半分以上内容を知る由もないでしょうから、添品法華経をチェックされては如何でしょう。正法華經より30%も端折られた妙法華経を読むと、鳩摩羅什はやはり釈迦の真意を理解しきれていないと言えます。既に書いたように妙法華経には更に「妙法華経度量天地品第二十九(断片 NET484文字)、妙法華経馬明菩薩品第三十(NET7982文字、最終部分なし)」が存在します。 NETとは 。やスペースを省いた純粋に文字だけの数です。馬明菩薩品は残存部分だけでも妙法華経では最大の品となるもので、題名と番号から明らかに妙法蓮華経だけに混ざっていた物ですが、それを無視する妙法華経は何故か変なのです。陀羅尼品では字数総数は殆ど同じにも拘わらず、只、サンスクリット読み音に似た読みの漢字を宛てただけ(音写)の鳩摩羅什と、漢語に意訳した竺法護の訳とでは、伝わる内容には段突の差があるのです。意味不明で解読出来ないから、単に近い音の漢字を充てる音写。意味不明が故に、それを呪文だろうとして、それならばと前後の部分もそれらしくなる為の訳を施す。その様な必要が出てくるのです。訳者にとって意味不明だったが故、後に魔道に汚染された支那仏教界には、反って訳ありげな呪文(陀羅尼)として利用され、怪しげな密教や真言の基となったのです。 これも釈迦が法滅尽経、仏説分別経に予言した事象でした。ちなみに竺法護が訳した「仏説分別経」では その悪世中でも一体どの国が最悪か との阿難の問いに、釈迦は眞丹(支那)の土域だと答えています。まさに今の中華圏、所謂特亜域その物です。日本では外国語をそのまま使う時、その言葉をカタカナ読みにして使います。漢字しかない中国では、似た音の文字をフリガナとして当てるしかないので、それが中国語でない事は直ぐに判る支那人は音として読み、文字本来の持つ意味など考ません。しかし日本人は文字自体の持つ意味に気を取られるので、余計に惑います。支那天台は意味の解らぬ陀羅尼品はさっさと嘱累品の後に追いやってしまいました。添品妙法蓮華経はさすがにその位置を修正し、陀羅尼の区切りも調整し直しています。それでも妙法蓮華経の微修正に過ぎず、陀羅尼は意味不明の音写のままに置かれました。嘱累品の内容は法華経の終了式ですから、正法華経は最初から経末に置いています。 改訂版の「添品妙法蓮華経」も最後に置き直しています。 と言う事からサンスクリットの原典の順番もそうだったと考えられ、従って妙法華経における嘱累品の順番は何かしらの意図があって、故意に変えられていたとも思えます。妙法蓮華経の改定版として「添品妙法蓮華経」が出たという事は、論理的に翻訳の質に於ても、現存法華経では妙法蓮華経が最低だったという結論を取らざるを得ません。現存三訳を読み比べると、正法蓮華経の竺法護訳が一番正確な法華経訳として良いと言えるのです。法滅尽経に「魔に染まる」と書かれ、分別経に「最悪となる」警告された支那での仏教にしてみれば、魔の使用から断絶せよと書かれた薬王品は不都合だった筈です。だからこそ卒業式である嘱累品を、無理に薬王品の前に入れてしまったのでしょう。天台は、宿王華への嘱累と「女人往生」という妙法華経クライマックスの直前に、エンドクレジットを入れた、その終わった妙法華経を使い、法華文句に「?拾(落穂ひろい)」だと言って、本編でカットされた薬王品以下をおまけ映像のように扱っています。それを真に受けた日蓮聖人は「藥王品已下。乃至涅槃經等。地涌菩薩去了。爲迹化衆他方菩薩等重付屬之。?拾遺屬是也」、地涌菩薩が去了った(嘱累品の)後だから、?拾遺屬だと言っています。(観心本尊抄)後の五百歳の末法では支那域が最悪であると、3000年近く前に分別経に説いた釈迦自身が、「後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶して、悪魔、魔民、諸天、龍、夜叉、鳩槃荼等に、其の便を得せしむ無かれ。」と、あらゆる魔心に法華経の便を得させるなと、薬王品で宿王華に課しています。薬王品に、宿王華菩薩に、後五百歳に法華経を説いて、魔に利用させてはならないと、釈迦が言われている事を鑑みれば、日本の歴史を混乱に導いた「末法思想」を生んだ妙法華経各品の配置が入れ替えられていた事には、悪意さえ感じられます。 それを薬王品は嘱累本のあとだから、「?拾遺嘱」だとした智の解釈が、(妙法蓮華經文句第十巻上の「自法華已後有得道者 如?拾耳」)魔から護るべき宿王華の重大なミッションの意味を薄める効果を発揮しました。観心本尊抄当時の日蓮聖人は、「十方より来る諸の分身の仏各本土に還り給う 乃至多宝仏の塔還って 故(もと)の如くし給う可し等云云、」「薬王品已下乃至涅槃経等は地涌の菩薩去り了つて迹化の衆他方の菩薩等の為に重ねて之を付属し給う?拾遺嘱是なり。」と、落ち穂拾い説」を踏襲していました。宿王家への附属は「十方より来る諸の分身の仏各本土に還り給う 乃至多宝仏の塔還って 故の如くし給」うた後の事だから ?拾遺嘱 だと言って、その代わりに上行への附属をこじ付けようと何とか努力したのです。ところが薬王品は「多寶如來 於寶塔中 讃宿王華菩薩言 善哉善哉 宿王華」云々 の言葉で終わるので、多寶如來も寶塔もまだ帰ってはいません。「多宝仏の塔還って 故の如くし給」うは、薬王品を読めば誰にでも分かる間違いです。後で述べますが、日蓮聖人は日本では尊敬に値する宗教者ではありますが、天台に学んだ妙法蓮華経が最高の訳であると言っています。その日蓮聖人が何故素人にもすぐに分かるような、このような間違いを、選りに選って(観心本尊抄)に書くのか、自分は戸惑い、大いに失望しました。宿王家への「後五百歳中の広宣流布」が、「十方より来る諸の分身の仏各本土に還り給う 乃至多宝仏の塔還って 故の如くし給」うた後の?拾だと言う事は、すでに帰った上行は 「後五百歳中の広宣流布」の話を聞いていない、知らない、と言っているのです。その為に法華経を弘める自分達を上行になぞらえる自己矛盾に苦心しつつ、更に修正版の添品法華経の訳者を非難しているのです。 誤りの宝庫、法華経文句、摩訶止観の酷さについては平成談林3の日蓮聖人の90の誤りに書いて置きましたが、 天台的には陀羅尼なんぞは嘱累品の後の落穂ひろいのおまけだから、どうでも良かったのでしょうが、支那汚染の天台に果たして法華経を読解く力があったと言えるのか? 日蓮聖人は何故それを見抜けなかったのでしょう?